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   守り神の花嫁として、私は育てられた。  守り神、なんて聞こえは良いけれど、その正体は誰も知らない。  皆が知っているのは二十年に一度、花嫁を差し出さなければ近隣の村々に災いがもたらされるという こと。    年若い者たちの中には信じない者もいるが、年寄り達は皆それが本当だと知っている。  彼らが若い頃、やはり迷信だといって約束の年になっても花嫁を差し出さなかった事があった。  すると村々に警告が届いた。    ある村には、大風がすべてを吹き払うであろうと。  ある村には、大波がすべてをさらうであろうと。  ある村には、家畜がすべて死ぬるであろうと。  ある村には、山がすべてを飲み込むであろうと。    だが、その警告も無視された。  誰か迷信深い者がそれを放ったのであろうと。  そして悲劇は起きた。  警告の通り。    ある村には大風が吹き、家も畑も飛ばされた。  ある村には大波が起き、人も家も流された。  ある村には疫病が流行り、家畜どころか子供まで死んだ。  次はこの村の山が崩れるに違いないとやっと気づいた時、ひとりの娘を花嫁とし、守り神の所へと 送った。  するとそれ以上の悲劇は起こらなくなった。  以来、助かった人々は二十年毎の花嫁をかかさなくなった。    昔からの慣わし通り、各村の持ち回りで順に花嫁を出していった。  そして次の花嫁を出すのがこの村。  次の花嫁に選ばれたのが私ってわけ。    誰もが知っている事だから私も知っている。『守り神の花嫁』なんてきれいな言葉を使ってはいるけど、 ようは私は『化け物に差し出される生贄』なのだ。  私はもうすぐ生贄にされてしまうのだ。    どういう経路で私が花嫁に決まったのかは知らない。  物心ついたときから花嫁として育てられてきたので、誰が両親なのかも知らない。  花嫁に選ばれたから両親が私を手放したのか、それとも身寄りの無い子供だったから私が花嫁に 選ばれたのか。誰もそれは教えてくれなかった。  大人たちは口が堅かったし、子供達は私と同様、その事は知らされていなかった。  知っているのは私が『守り神の花嫁』という事だけ。私も他の子供達も私が特別で大切で、そして かわいそうなのだと教えられて育ってきた。  その年になれば必ず花嫁にならなければならないと教えられてきた。    逃げようと思った事はなかった。  逃げれば友達の誰かが花嫁にならなければならないという事も教えられていた。  そのために育てられた私と違って、他の者が花嫁になれば悲しむ者も多かろう。覚悟が決まらず 土壇場で逃げ出してしまうかもしれない。  だから私は大事に育てられた。花嫁になる前に病で死んでしまわぬよう、怪我をして死んでしまわぬ ように。  人々は親切にもしてくれた。無茶なわがままは他の子供と同様許してくれなかったし、普段の着る ものや食べるものが他の子供達と特別違うものだったわけではないけれど。  他の子供達同様、遊び、学び、時には働き、誰もが笑顔で接してくれた。  ただ時折、忘れぬようにと大人達は私や他の子供たちに花嫁の話を聞かせた。  そして年に数度、花嫁の行事があった。    なんで私が、と思った事など一度も無いと言えば嘘になるけれど。不思議と逃げようと思った事は 無かった。  単に村から出た事の無い私には、村の外に出る勇気が無かったのかもしれない。村の外に出て生きて いける自信が無かったのかもしれない。  同じ死ぬかもしれないなら、村の人達を困らせない方が良いような気がした。    逃げようと思った事など無い。  それでも時には息が詰まって、独りきりになりたい時があった。特別に束縛されるという事はなかった けれど、家の外ではいつでも誰かの目があった。  友達に聞いてみたら、『そりゃあせまい村だもん。誰かしらいるよね』と笑って言ってた。  気にしすぎなのかもしれない。  けれど自分が守り神の花嫁と知っているから、どうしても逃げ出さないように見張られている気が してならない。  逃げたりなんか、しないのに。    そんなある日の事だった。  村はずれの草原で野苺摘みをしていて、ふと誰もいない事に気づいた。  私は野苺摘みが好きで、毎年この季節には毎日の様にここに来ることは誰もが知っている。  だからいつも誰かしら同じように野苺を摘んだり近くの森で仕事をする人の姿が見えていた。だけど 今日はその気配すら感じられない。  どうしたのかしら?  いつでも見られていると思うと息がつまるけれど、急に独りきりになると不安にもなる。だからと いって村に逃げ帰るのも子供じみている気がして、私はそのまま苺摘みを続けた。  しばらくして、ふと森から人の気配を感じた。  誰かが来たんだわ。  ほっとして顔を上げ、森の方を見た。するとそこには大人ではなく、私と同じくらいの年頃の少年が 立っていた。  誰?  なんだか見てはならない人を見てしまったような気がした。  そこに立っていたのは見たことのない少年だった。小さな村だから、村の人たちの顔は誰もが皆 知っている。  どこか近くの村からやってきたのだろうか?  だけどひとりで?  その違和感に背中がゾクリとする。  しばらくの間、どちらからも声をかけず見つめ合っていた。  ふと、少年が笑い、声をかけてきた。 「君はこの先の村の子? もうすぐそこから生贄が出されるって聞いたんだけど、それってどんな 子なの?」  更に違和感を感じて足が震えだした。  目の前にいるのは近隣の村の子でさえない。  確かに近隣の村の住人の顔を皆知っている訳ではないけれど。だけど近隣の村の住人のほとんどは、 私の顔を知っているはず。その為に年に数度、私はお披露目をされているのだから。  隣の村などは、動ける者は総出で来たのではないかというくらい大人数で来るし、少し遠い村からも 顔ぶれを変えながら代表者が訪れ、私の特徴や絵姿を描いて村へと持ち帰っている。  たぶん、万が一私が逃げ出した時に見つけるために。  それになにより、守り神に由縁のある村の者は、花嫁を生贄とは呼ばない。たとえ心の中でそうと 分かっていても、決して口には出さない。  それはたぶん、花嫁を怖がらせない為でもあるし、花嫁の身内を気遣う言葉でもあるんだろう。  いつかは自分達の村に順番がまわってくる。その時に選ばれるのが自分の血を引く者かもしれないの だから。    目の前の少年はいったいどこから来たのだろう。遠くからたった一人でここまで来たの?  彼の問いにどう答えていいか分からず、私は黙ったまま彼を見ていた。  彼もしばらくの間、興味深げに私を見ていた。 「そうか、お前が生贄なのか」  ふいに少年が口を切った。 「生贄じゃないわ、花嫁よ」  呼び名が変わろうと同じ事と分かっているのに、そんな言葉が口をついて出た。  私の考えなど見透かしたように少年が笑う。 「あんなのの花嫁になりたいのか?」  随分と意地悪な質問をする。好んで得体の知れないものの『花嫁』になりたい者などいるはずがない ではないか。  だけど。 「村を、皆を守れるなら、仕方ないじゃない」  私が行かなければ、どんな災厄が起こるか分からないのだから。 「偽善だな。なぜお前一人が犠牲にならなければならない?」  まるで心のずっと奥底に隠し続けてきた思いを暴くかのように彼は私を見つめた。 「わ、私一人じゃないわ」  声が震える。けれど早く否定しなければ。心に蓋をしてしまわなければ。 「私一人じゃないわ。今までもたくさんの女達が花嫁となったし、私の後も村々を守るために花嫁は 選ばれるのだもの」  それが現実。村々を守るために花嫁は選ばれ続ける。 「生贄を差し出すのではなく、あれをどうにかしようとは思わないのか?」 「あれ? あれって守り神のこと?」  何を言い出すのだろう。 「どうにかって、神様をどうするっていうの? 逆らえば殺されるだけだわ」 「生贄になったところで殺されるだろう?」  面白がるように少年は言い放つ。  けれどそれは違うわ。 「私ひとりが逆らって私ひとりが殺されるのならそれは仕方のない事だけれど、私ひとりが逆らった為に 村の人みんなが死ぬなんて嫌よ」  花嫁に選ばれたことを一度も恨まなかったと言えば嘘になる。けれど今まで優しく育ててくれた人達や 友達まで殺されてしまう事になるのはやはり嫌。 「なるほど。でも俺だったら殺される前にあいつを殺すね」  鋭い瞳をキラリと光らせ、彼は言った。 「殺すって、相手は神様なのよ? 山や海を動かす力を持っているのよ?」  とうてい人間の敵う相手ではない。  私の言葉を聞き、彼はますます瞳を鋭くした。 「あいつが神様だって? あれはただの化け物さ。けど確かにあんたの言う通り、人間では太刀打ち 出来ないのかもしれないね」  何が可笑しいのか少年はニタリと笑うと、もう話は終わったと言わんばかりにくるりと背を向け歩き 出した。 「待って、あなたは誰なの? 守り神の正体を知っているの?」  思わず呼び止めてしまった事に自分でも驚いた。  少年はチラリとこちらを振り返ったが、再び前を向いて歩き出した。そしてもう振り向くことなく、 答えた。 「縁があれば二年後にまた会おう。その時に教えてやるよ」  そして少年はそのまま森の奥へと消えていった。  二年後って、私が花嫁になる年じゃない。  彼はどういう意味でその言葉を放ったのだろう。  縁があれば……。  縁などあるはずがない。二年後には私は花嫁となり、この世からいなくなる。  たとえ花嫁になる前に来たとしても……。 「ここにいたの! 姿が見えないからびっくりしたわ。捜したのよ」  村の人に声をかけられ、急に現実に戻ってきたような気がした。  笑顔を作り、そちらを向く。 「野苺摘みに来ていたの。ほら、こんなに取れたわ」  籠の中の野苺を見せると彼女は安心した様に笑った。 「それにしても、黙ってひとりでこんな所に来るもんじゃないわ? 毒蛇に噛まれたり熊に襲われたり したらどうするの? 野苺摘みなら今度から私でも誰でもいいから誘ってね?」  それはお願いではなく、強制。 「ええ、分かったわ」  彼女を、村人を安心させる為に私は笑顔で同意する。  縁なんて、あるはずがない。  たとえ花嫁になる前に彼が会いに来てくれたとしても、その時は私は一人ではいない。村の人達は 他所者を私に会わせようとはしないだろう。  本当はここで他所者に出会った事を村の人に告げるべきなのかもしれない。  けれど私はこの事を自分の胸の奥深くに、こっそりとしまいこんだ。

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