黄昏と暁の公園 その1  夢を見る。  朧気な夢の中の恋人は、いつでも優しく笑み、わたしの頬に触れる。  夢見がちな少女の見る夢だと笑われそうで、誰にも話してはいない。けれど時折見るこの夢は、 とても大切なもののような気がしていた。だから胸の内でずっと大切に大切にしていた。 「姫様。もうすぐ若様がいらっしゃいますよ」  声を掛けられ、現実に引き戻される。どうやらうたた寝をしていたらしい。 「姫様はやめてって言ってるでしょう?」  言いながら立ち上がり、すぐ側にあった鏡が目に入った。  夢の中のわたしは、とてもとても幸せそうに笑っていた。けれど現実のわたしは……。 「姫様は姫様でございましょう? 我らが光の一族の、大切な姫様」  笑顔でそう告げられ、ため息をつかずにはいられない。わたしはそんな大層な人間じゃないし、 そんな風に呼ばれたいとは思ってもない。何度そう告げても周りの人達は改めてくれなかった。今更 繰り返したところで変えてくれるとも思えないけれど、それでもやはり主張してしまう。 「そんな風に呼ばれるのは恥ずかしいのよ……」 「何が恥ずかしいんだい?」  聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。 「まあ、若様。いらっしゃいませ。出迎えもせず申し訳ありません」  深々と頭を下げる彼女に、ヒラヒラと手を振り笑顔で答える彼。 「いいっていいって。それより光香。何が恥ずかしいって?」  にこにこと笑いながら、訊いてくる。 「お兄様には関係のない話よ」  若様と呼ばれる事に何の抵抗もない彼に言ったところで分かってはもらえないだろう。 「何を拗ねてるんだ、光香?」  わたしの態度が冷たいと思ったのだろうか、お兄様はそう言って顔を覗き込んでくる。 「別に何も拗ねてなどいません」  そう言うわたしに彼はとびきりの笑顔を向けてくる。 「だったら訪ねて来た許婚に笑顔でいらっしゃいのひと言があっても良いだろう?」  背を向けていたわたしの身体をいとも簡単にくるりと向きを変えさせて、にこにこと笑っている。  本当はとてもそんな気分ではなかったけれど、考えてみればお兄様には失礼な態度をとってしまって いる。わたしは小さくため息をつき、それから出来るだけ笑顔を作って彼に向けた。 「いらっしゃいませ、光児様」  お兄様と呼んでいるけれど、彼とわたしは兄妹では無い。ただ、幼い頃から身近に育ったからずっと お兄様と呼んできた。  そんな彼が産まれた時から決められていた許婚だと聞いたのは、つい最近の事だった。 「お兄様はいつからご存じでしたの?」  血のつながりは無いとはいえ、実の兄の様にしたっていたわたしにとっては少なからずショック だった。 「んー? 物心ついた頃にはこの子がお前のお嫁さんだよーって言われてたよ。だから今まで大切に してきたつもりだったけど……」  なんて事ないようにお兄様は言う。つまり彼はわたしの事を妹としては見ていなかったのだ ろうか……?  夢を見だしたのは、その頃からだった。  初めてその夢を見た時は、自分に許婚がいるという事がショックで、その影響でこんな夢を 見たのかと思った。  けれどそれは違うとすぐに気づいた。  夢の中の恋人は、決してお兄様ではなかった。  快活に笑うお兄様とは違い、彼は優しく微笑む。幼い頃から兄弟の様に育ったお兄様は、 ためらう事なく兄の様にわたしに触れるけれど、夢の中の彼はまるでわたしが壊れ物であるかの様に、 優しくゆっくりと触れる。  そんな彼が好きだった。夢の中の彼に、恋をしていた。  だけどそれはあくまで夢の中の出来事。どこにもいる筈のない、架空の恋人。  だからずっと誰にも言わず、大切に胸の内に秘めていた。  まさか、夢の中の恋人が実在するとは思いもしなかった。  光の一族と闇の一族は遙か昔から諍い争っていた。あまりに長い期間だった為、そもそも何故 争っているのか、その理由さえ忘れ去られていた。  そんな無益な争いに終止符が打たれたのはつい数十年前の事だった。和平を結び、互いに友好を 求めた。  もちろん根深く互いの遺恨は残っている。  それでも表向きの和平によって人々の暮らしに平安が訪れた。大きな争いはなくなり、少しずつだが 若者達の間には友情も生まれ始めた。  和平の証、友好を深める為としてどちらの一族の物でもない土地が用意され、公園として整備された。  そこで偏見のない若者達は互いを知り、友情を深めていった。 「今度黄昏と暁の公園に行ってみようと思ってるんだけど、光香も一緒に行くかい?」  お兄様に誘われ、ちょっと驚いた。 「何をしに、行きますの?」  どちらの一族のものでもない、友好の証の公園。偏見のない若者達は進んでその公園へ行くという けれど。 「一度は見ておきたいと思ってね。怖いなら無理には誘わないよ」  お兄様やわたしは、光の一族と言われている中でも特に血が濃いと言われている。和平がなっている 今、あちらの一族を悪く言うつもりはないけれど、それでも遺恨の残っている者達にとっては、 わたし達は憎いだろう。  そういう意味でわたしやお兄様は狙われやすい立場にもあった。そのせいかこれまで、そういった 場所には行かせてもらえなかった。 「怖くない……と言えば嘘になりますけれど、興味はあります。良いならば連れて行って下さい」  いつまでも古い考えに捕らわれていてはいけない。  かつての敵と、すでに友情を築いている者もいるならば、わたしもそれを見習わねばと、思った。  若様と呼ばれるお兄様と姫様と呼ばれるわたしが件の公園に行くと言い出して、屋敷では一悶着 起きた。光の一族の代表とも言える立場の二人なのだから、公式の行事として行くべきだとか、 お付きの者やガードの者を何人連れて行くべきだとか……。  だけどわたしもお兄様もありのままの公園を見たかったから、それは全て断った。そんな事をすれば、 本当にただ、その公園の景色を見に行くだけになってしまう。  わたしやお兄様が見たいのは、そこでどんな風に光と闇の一族同士が出会い、友情を育んでいるかと いう事だ。だから血の濃さとかそんな事は置いといて、普通の人として、その公園を訪れたかった。  だから結局みんなには秘密で行く事にした。幾ら血が濃いとはいえ、普段はそこまで大仰ではない。 光の一族の土地ならば一人で出掛ける事もままある。  ちょっとそこまで出て来るわといった体で外に出てお兄様と落ち合って黄昏と暁の公園へと行く事に した。  ほんの少し、罪悪感を覚えながら、ドキドキとわくわくを胸にお兄様と歩く。  途中で誰かに見つかって止められるんじゃないかとか、血の濃い者は行ってはいけないと 言われるんじゃないかと警戒してみたけれど、誰にも何も言われる事なくわたし達はすんなり、 公園の中へと入る事が出来た。  第一印象は正直なところ「期待外れ」だった。広い公園の中、時折人とすれ違う事はあるけれど、 一人で歩いている人だったり同じ一族の仲間同士だったりした。  もっと光の一族と闇の一族が肩を組み合って楽しげに話している姿が見れると思っていたわたしは、 ある意味拍子抜けしたと言ってもいい。 「あんまり人がいないな」  お兄様も同じ様に思ったのだろうか、声に失望の色が浮かんでいる。  ふと、一人の光の一族の男性がこちらを伺うように眺めているのが目に入った。 「こんにちは」  声をかけると向こうも挨拶を返してこちらへとやってきた。 「見かけない顔ですけど、この公園は初めてですか?」  質問の内容からみて相手はここの常連なんだろう。 「ああ。君はここに詳しいのかい?」  にこりとお兄様が笑顔を向ける。 「ええ。時間がある時には来るようにしてますよ」  話しているとちらりほらりと光の一族の人達が集まって来た。 「君たちは、どうしてこの公園へ?」  わたしとお兄様に投げかけられる質問。少し、警戒しているような目つきを向けられ、ついわたしは お兄様の背へと隠れてしまった。  それを見た最初に声をかけてきた人が手振りで他の人達を下がらせてくれる。 「すまない。悪気はないんだ。けど、誰の紹介もなくこの公園にやって来る者の中にはあまり質の 良くない輩がいてね。こちらも警戒せざるを得ない」  友好の証の公園。互いが互いに認め合い、友情を築く為の場所。そう思っていたのに、現実は少し 違うらしい。 「それは……少し残念だな。ここではどちらの一族も分け隔て無く仲良くやっていると聞いてやって 来たのに」  お兄様の言葉に少し警戒を解いたのだろうか、皆の顔が少し和らいだ気がした。 「もちろん、本気で仲良くしようと思って来てくれたなら歓迎するよ。……名前を聞いてもいいかな?」  ひとまずは認めてもらえたのだろうか、代表の男性の言葉にお兄様はにこりと笑って手を差し出す。 「光児だ。こっちはイトコの光香」  握手を交わすお兄様の後ろから、わたしはペコリと頭を下げた。  その後、光の一族の人達と一緒に闇の一族の人達に会いに行った。怖い人なんてひとりもいなくて、 皆気さくな人達だった。  光と闇。属するものは違うけれど、人間としてはわたし達と何も変わらない。そんな風に思えた。  そうして初めての黄昏と暁の公園の訪問を終えたわたしは、もう一度ここへやって来ようと心に 決めた。わたし自身、闇の一族の人達と交流を深める事によって、少しでも早くみんながこだわりを 捨てて仲良くなれれば、と思った。  だから暇を見つけてはお兄様を誘って公園へ行くようになった。  だけどお兄様の方はわたし程熱心ではなく、次第にわたしはひとりで公園へと赴くようになっていた。 その頃にはもうすっかり光の一族の人も闇の一族の人も顔見知りが増えていたから、ひとりで行く事に 抵抗はなくなっていた。

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