夜桜の祝福  春爛漫。  今年の桜はほんとに見事で、お散歩がてら何度もかるくんとお花見デート。 「秋の桜も良かったけど、やっぱり満開の桜並木は特別だよね」  ピンクのトンネルの下、腕を組んで歩く幸せ。  見上げた空の水色と、淡い薄紅色の桜の花が一層かるくんの優しい微笑みを引き立ててくれる。 「スズメも、みっかには桜の花が似合うって」  楽しそうに笑いながらかるくんが、わたしの頭をちょんと指さす。手をやると一輪の桜の花。 そういえばさっき何か頭に当たった気がしてた。けど。 「桜の花って花びらだけ散るもんじゃなかったっけ?」  頭の上にあったのは一枚の花びらではなく、一輪の桜の花。 「だから、スズメだよ」  そう言ってかるくんが指さす桜の木の上には、数羽のスズメ。桜の花をくちばしでつまんでは下に 落としている。だからその木の下は桜の花がそのまま幾つか落ちていた。 「スズメが、みっかに桜が似合うから落としてくれてるんだよ」  ちょっとイタズラめいた顔で笑ってかるくんが言う。  好きな人にそんな風に言われて嬉しくないはずがない。へへっと笑ってもう一度その一輪の桜を頭に 挿してみせる。 「それで、本当はスズメ、何してるの?」  桜の花を落とす光景が不思議で、かるくんに尋ねてみた。 「ああ、なんかメジロとかウグイスとかが桜の蜜を吸ってるのを見てスズメも蜜を吸おうとしたんじゃ ないかって。けどホラ、メジロとかってクチバシが細く尖ってるから花を傷つけずに蜜だけ吸えるん だけど、スズメのクチバシって太くて短いだろ? だから上手く吸えないんだって。それで考えた スズメが花ごとちぎって花の根元を噛んで、蜜を味わってるらしいよ」  かるくんの話で思い浮かんだのは、子供の頃椿やつつじの花を摘んではその根元をなめて甘いと 笑ってた思い出。 「スズメって、賢いんだねぇ」 「しかも美的センスあるよな。みっかの頭に花を乗せるなんて」  そう言って笑ったかるくんの頭に、ポトリと桜が降ってきた。 「ほんとだ。センス良いスズメだね」  ついケラケラと笑ってしまう。  幸せな一日。  幸せな、お昼のお花見デート。 「ところで明日の夜、お兄さん来てくれそう?」  かるくんの言葉にわたしは眉を曇らせる。  明日はかるくんと、夜のお花見。そのお花見に、お兄ちゃんも誘ってとかるくんに言われた。だけど。 「来てはくれるみたいだけど、お兄ちゃんたら闇の多い時間帯に呼び出すなんてなんの罠だって 疑ってかかってるの」  かるくんはただ、お兄ちゃんとも仲良くしたいから誘ってくれただけなのに。 「そっか、単に夜桜の方が風情があるかなと思って誘ったんだけど、昼の方が良かったかなぁ?」  ほら、かるくんはお兄ちゃんをどうこうするつもりなんて欠片もない。 「大丈夫よ。昼に誘ったら誘ったで、なんだかんだ文句言うのは分かってるもん。まあ来てくれるって 言っただけでも一歩前進と思っとかなきゃ」  かるくんの存在を知ってからお兄ちゃんはわたしたちの付き合いを反対した。もちろんわたしは お兄ちゃんの言う事なんて聞く気もなかったし、お兄ちゃんも反対だと口で言うだけで、何かを 仕掛けてくるという事はなかった。  そしてかるくんは、「みっかのお兄さんなら、祝福して欲しいな」と何かとお兄ちゃんと会って 話す機会を作ろうとしてくれている。  わたしも、なんだかんだ言って反対しきれていないお兄ちゃんに気づいてからは、少しでも かるくんの良いところを伝えようと努力してきた。  だから、文句を言いながらもかるくんの誘いに応じるようになってくれて、とても嬉しい。  すぐじゃなくてもきっと、いつか二人は仲良くなってくれる。そう信じる事にした。 「昼の青空の下の桜も綺麗だけど、夜の桜も綺麗だって事、分かってもらえると良いなぁ」  昼の光も夜の闇も、どちらも桜を美しく彩る。  そこに正も悪もない。 「うん。お兄ちゃんならきっと、分かってくれるよ」  そうなる為にもまずは、会って話をしないと。  明日の夜、少しでもお兄ちゃんがかるくんに心を開いてくれますようにと、こっそりと桜に お祈りした。  待ち合わせは最寄りのバス停。  地元で有名なお花見スポットと、桜の木の数は少ないけれど、街灯が桜を照らしている小さな公園。 どちらにしようか迷ったけれど、わたし達は小さな公園を選んだ。  わいわい騒ぐなら有名なスポットの方が出店も出ていてライトアップも綺麗だけれど、それじゃあ しんみり夜桜の風情を味わえない。  にぎやかなほうがお兄ちゃんとかるくんが打ち解けられるかなとも思ったけれど、それよりも かるくんがお兄ちゃんに夜桜の風情を感じてほしいって言うから、それならとこっちを選んだ。  ライトアップはないけれど、それなりの数の桜の木があって、普段から公園を照らしている街灯の 明かりの下しんみり花見をしている近所の人達の姿が見える。 「人が少ないな」  案の定、お兄ちゃんが訝しげに言う。 「桜の下でドンチャン騒ぎもいいけど、今日はゆっくり夜桜を楽しみたかったの」  わたしが言うと、お兄ちゃんは「ふうん」と呟いた。  桜の木の下のベンチは残念ながら他の人達が使っていたけど、少し離れたベンチは空いていたので そこに腰掛ける。わたしを挟んで、右がかるくん。左がお兄ちゃん。 「真下から桜の花越しに月を見上げるのも良いものですが、こうやって少し離れた場所から月の光に 照らされた桜を見るのも良いものですね」  言いながらかるくんが、持って来たお茶を紙コップに注ぐ。 「熱いので、気を付けて下さい」  一番にお兄ちゃんに差し出すかるくん。 「なんだ、お茶なのか」  渋い顔をしながらも、お兄ちゃんはそれを受け取る。 「お酒も悪くはないけど、お茶も風情があるよね。それに春って夜はまだ寒いから、温かいお茶、 嬉しい」  わたしもかるくんからお茶を受け取って、ズズズっとすすった。  お月様の光に照らされて、桜の花はうっすらと光を放っている。その美しい光景にしばし見とれて、 わたし達はしばらくの間誰も喋らなかった。  その沈黙を最初に破ったのは、お兄ちゃんだった。 「小さい頃からみつかは、どこか夢見がちな子だった。だから、いつか誰かに騙され利用されるんじゃ ないかと心配だった」  かるくんやわたしに言うというよりは、独り言のようにボソボソと呟くお兄ちゃん。 「ひどーい。そんな風に思ってたの? お兄ちゃん。かるくんは……」  口をとがらせ反論しようとしたわたしの口を、かるくんがふさぐ。 「みっか。お兄さんの話、ちゃんと聞こう」  何かを感じ取ったのか、かるくんに真剣な声で言われ、わたしはコクリと頷く。  お兄ちゃんは、少し迷ったように言葉を探してから、再び喋りだした。 「運命の人がいた、なんて聞かされれば、恋に恋してるんだろうと思うし、それが闇の一族の男だと 知れば騙されてるんじゃないかと疑うのは当然だろう?」  いつもなら怒ったように言うのに、なんだか今日のお兄ちゃんの言葉は、言い訳をしているように 聞こえた。わたしだけかな?  そう思ってかるくんを仰ぎ見ると、かるくんはほんの少し嬉しそうな顔をしてお兄ちゃんを見ている。  それ以上お兄ちゃんが言葉を続けそうにないのを確認してからかるくんが口を開いた。 「そうですね。オレも最初の頃、みっかはなんでオレに近づいて来るんだろうってほんの少し疑って いました」  懐かしそうな顔をして、かるくんが呟く。 「だけどみっかはそんなんじゃないって、オレの事が本当に好きなんだって気づいて、勇気をもらい ました。〈闇の一族〉という名前に囚われ、オレに関わると皆不幸になってしまうんじゃと思っていた オレに、みっかはそうじゃないって教えてくれた。光と闇に善悪はないと教えてくれた」  ゆっくりと語るかるくんの言葉に、お兄ちゃんはじっと耳を傾けてくれている。  しばらくの沈黙の後、お兄ちゃんは小さく息をついた。 「光と闇に善悪はない……。そうだな。それでもお前にとっての『良い事』が、オレにとっての『悪い 事』にならなければいいが」  お兄ちゃんの言葉に、かるくんが少し慌てる。 「オレ、何か気に障る事してしまいましたか?」  それを聞いて、ほんの少し拗ねたようにお兄ちゃんは口を尖らす。 「オレのかわいい妹を、かっさらって行こうとしてるじゃないか」 「お兄ちゃん……」  何妹バカの恥ずかしい事言い出してるんだか。  まるで子供のヤキモチみたいなその言葉に、思わずずっこけちゃったじゃない。  だけどかるくんは、真剣にそれに答える。 「それについては、すみません。許していただきたい」  頭を深々と下げるかるくん。  お兄ちゃんはしばらく黙ってそれを見ていたけれど、やがて深々とため息をついた。 「オレがダメって言ったって、みつかはさらわれる気満々だろ?」 「もちろん。かるくんが嫌って言ってもわたしはついて行く気だよ」  じっとかるくんを見つめる。するとかるくんは笑みを浮かべた。 「嫌なわけないだろ? みっかのいない世界なんて考えられないのに」  かるくんの嬉しい言葉に、顔がほころんだ。  そんなわたしを見てお兄ちゃんは、もう一度深く溜め息をついた。 「もういいよ。みつかが幸せなら、それでいい」  あきらめた。降参だ、と言わんばかりにお兄ちゃんは両手をあげた。 「大丈夫です。絶対に幸せにしてみせますから」  かるくんもお兄ちゃんも年齢は変わらないはずなのに、まるでお父さんに挨拶する予行演習を しているみたいで少し笑えた。 「違うよかるくん。わたしはもう幸せだし、これからはかるくんと一緒に、もっともっと幸せに なるんだよ」  きっとこれから悲しい事や辛い事もあるだろう。それでもお互いの手を放す事なく生き続ける。  夜風がサアッとひと吹きした。  お兄ちゃんに許してもらえた事をまるで祝福するみたいに、桜の花びらがハラハラと舞う。  嬉しくて、かるくんの肩に身を寄せる。かるくんも、優しく微笑みながらわたしの肩を抱いてくれる。  ふと、一瞬闇が濃くなった気がした。  驚いてそちらを見る。するとそこには一人の女性が桜を見上げていた。 「あ……」  慌ててお兄ちゃんを振り返る。そこにはその女性に目を奪われたお兄ちゃんの姿があった。  やっぱり。  間違いない。彼女だ。お兄ちゃんの運命の人だ。  桜の花びらがハラハラと散る。夜の闇の中、月の光を受けて淡く光っているようにも見える。  良かった。これでお兄ちゃんも幸せになれる。 「ねぇ、かるくん。みんなで幸せが、いいね」  かるくんの手をキュッと握り、呟く。 「みっかは欲張りだなぁ……」  ちょっと呆れたように、かるくん。だけどすぐにいつもの笑顔を向けてくれる。 「でもみっかが言うと、本当にそうなる気がする。そうだな。みんなで幸せが、一番だよな」  わたし達の呟きは、きっとお兄ちゃんの耳には届いていない。だってお兄ちゃんは、彼女の事しか 見えていないだろうから。  でもそれでいい。  今はまだ、月の光を浴びて輝く夜桜の祝福をみんなで受け取ろう。

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