来訪者 その1  フウが来てからマインは毎日が楽しくて仕方がなかった。年の近い女の子と一緒に暮らす事がこんなに 楽しいなんて思ってもみなかった。 「えっと、この服なんてどうかな」  着替えなんて持っている筈もなかったフウに、マインは自分の服を貸してあげる事にしたけど、 大丈夫だった。フウの方がたぶん年上で背も高いから、最初はサイズが合わないかなと思った。 標準体型のマインに比べてフウはほっそりとしていたので、手持ちの服のゆったりしたのを選べば フウでも問題なくマインの服を着ることができたのだ。 「これ、かわいい〜」 「この組み合わせ似合う」  色んな服を取り出し、着せ替え人形のようにフウに色々着せてみる。フウもそれが嫌ではないらしく マインと二人で楽しそうに、きゃっきゃと騒ぎながら服を選んだ。 「楽な服が好きなの?」  ふとマインが尋ねた。フウの意見を聞いていると、かわいさよりも楽なものをどうも求めているようだ。  そういえば倒れた時に着てた服も高級そうでかわいかったけど、ふんわり包み込むような感じで体を しめつけないデザインだった。  そう考えるマインの横でフウは無邪気に頷く。 「うん。出来るだけしめつけないで……そう、肌で風を感じられるようなのが好き」  そう言ってあれこれ着てみた結果、フウが選んだのは、タンスの奥にあった夏物だった。 「え? でもそれ半袖だよ。上に何かはおらなきゃ寒いよ。待ってて……」  春とはいえまだまだ肌寒い。いくら肌で風を感じるような服が良いからって、その服だけじゃきっと 風邪をひいてしまう。  そう思ってフウの選んだ服に合いそうな上着を探し始めたマインを、彼女は慌てて止めた。 「いいよ。寒くないから、大丈夫」 「大丈夫って、いくらなんでもそれ、夏物なんだよ?」  寒くないはずがない。  けれど実際その服を着てもフウは一向に寒そうなそぶりを見せず、鳥肌が立つ事もくしゃみをする事も なかった。  元々着ていた服が薄着だったのは、てっきり暖房の利いた部屋にいたからだとマインは思っていたけど、 こんなフウを見ていると、もしかしたら元々外に出る時もあの服で出ていたのかもしれない。  結局かたくなに拒否するフウにマインは上着を着せる事を諦めた。 「えーと、じゃあ靴はどうしよう。さすがにわたしの靴じゃ小さいよね?」  服はマインのもので間に合っても、靴はさすがにそうもいかないだろう。ぱっと見、フウはもう大人の 女性くらいの大きさはありそうだけど、マインにはまだ大人用の靴は少し大きい。歩いていると すっぽ抜けてしまいそうになるだろう。  多少サイズが違っても融通の利く物は……と考えているとフウがぶんぶんと首を振った。 「靴はいらないよ」 「へ?」  フウの言った意味がつかめず、マインはきょとんとした。 「靴は、履かないの」  困ったように笑い首を振るフウに、マインはびっくりした。だけど考えてみればフウはこれまでも 用意していた室内履きさえちっとも使っていなかった。 「けど、外に出る時はどうするの?」  これまでは室内をほんの少し移動するだけだったので室内履きを使っていなくてもそんなに気には ならなかったけど、体調が良くなった今フウだって外に出たいはずだ。さすがに外を裸足で歩くわけには いかない。  マインはそう思うのだけれど、フウもまた当然のようににっこり笑って言う。 「裸足でへーきだよ」  きっぱり言われて思わずマインはそーなの? と納得しかけた。けどフウの白い足を見てそんなわけ ないじゃん、と否定する。 「裸足で歩いたらケガするよ。そりゃあ草の上を裸足で歩くと気持ちいいからわたしも好きだけど。 けど草のない小石だらけの場所だってあるし、草の中にも小石や小枝が隠れててケガする事だって あるんだよ」  心配して言うのに、フウはふるふると首を振って決して靴を受け取ろうとはしなかった。  その後マインは何度もフウに靴を履かせようとしたけど、結局フウが靴を履くことはなかった。 「せっかくキレイな足してるのに……。師匠もそう思うよね?」  微笑ましそうに二人を見ていたエルダにマインは同意を求めた。しかしエルダは目を細めたまま さらりと言う。 「本人が嫌と言ってるんですから、好きにさせましょう」  何よそれ。  そんな風に言われてマインはちょっとむくれた。  もし靴を履くのを嫌がっているのがマインだったら師匠は絶対にこんな風には許してくれない。 ただ厳しいというのではなく、マインの事を思って言ってくれているのは分かるから、それ自体は そんなに嫌じゃない。だけどフウに対してそんな風に甘いというのがなんだかちょっと気に入らなかった。  でもまあ、そんなことよりもマインはフウと遊ぶのを楽しみにしていたので、すぐにそんな感情は 忘れてしまった。 「そういえばちょっと行った所に今すっごいお花が咲いてるんだよ。行こ」  靴を履かせるのはあきらめて、マインはフウを誘う。  彼女の手を引きそちらへ連れて行こうとした途端、後ろから師匠の声が止めた。 「何言ってるんですか。マインは今から修業があるでしょう」 「えーっ」  ぶーっとぶうたれずにはいられない。せっかく今からお花畑に行こうとしてたのに! 「ちょっとぐらい、いいじゃんかー」  抵抗してみるも、ぐいと師匠に首根っこを掴まれてしまった。 「昨日も一昨日もそう言ってろくに修業しなかったのは誰です?」  図星をつかれマインは反論出来なかった。だからにっこり笑ってずるずると彼女を引っ張って行く 師匠にされるがままになるしかなかった。  そんな二人をフウは手を振って見送り、声をかける。 「じゃあわたし、あっちの方にいるね?」  そして彼女は二人から少し離れた場所へと向かった。  と言うのもエルダから、マインが修業する時には離れた場所にいるようにと言われていたからだ。 まだまだ未熟なマインは魔法の呪文を間違う事も多く、それが思わぬ結果を招く事があるのだという。 そんな時、フウまでかばいきれないからと言われた。  なので今日もフウは離れた場所に座り、くつろいでいた。「呪文が一部抜けていますよ」という エルダの声や文句を言いながらも呪文を唱えるマインの声が聞こえてくる。  そんな二人がなんだか微笑ましくて、ふふっと笑うとフウは意識をマインたちから景色へと移した。  早春の丘は心地の良い風が吹いている。芽吹いたばかりの若葉が世界を明るく照らしている。  フウはこんなふうに風に吹かれているのが好きだと思った。きっと記憶を失う前の自分も、こんな ふうに風に身をまかせていたに違いない。  失った記憶のことを思うと不安になる。何かとても大切な事も忘れてしまっている気がして、胸が 苦しくなる。  そんなフウに大丈夫だよと告げるように優しい風が吹いた。  フウは「うん」とつぶやき、その風を受け入れた。  そんなフウを横目に見ながらマイン達の方へとやって来る人影があった。手に掛けた籠を大事そうに 抱えながらいそいそとやって来る。キレイな髪をひとつにまとめ結い上げた彼女はチラリとフウを見ると 怪訝そうな顔をした。 「こんにちはー。エルダ、マインちゃん」  近くに来ると嬉しそうに声をかけ、彼女は二人に駆け寄った。 「あ、こんにちは。キュリンギさん」  彼女を振り返るとマインは元気良く挨拶を返し、師匠はというとギクリと体を震わせた。  その事にはマインもキュリンギも気づいていたが、二人共何事も無かったかのように会話を続ける。 「今日はね、パンがとても美味しく焼けたからおすそ分けに来たのよ」  にっこり笑ってキュリンギは手に提げていた籠を差し出す。中には彼女の言う通り焼きたての、 美味しそうな香りのするパンがたくさん入っていた。 「わあ、いつもありがとうございます」  籠を受け取り嬉しそうにマインはお礼を言った。  キュリンギは本当にいつもちょくちょくパンを焼いて持って来てくれる。おかげで美味しいパンには 事欠かない。マインやエルダもパンを焼けない訳ではないのだけれど、彼女の腕と比べるとかなりの差が ある。  エルダに言わせるといつも彼女がパンを持ってきてくれるせいで自分達でパンを焼く機会がなくなって しまう。だからいつまでたっても腕が上達しない、らしい。  けれどマインに言わせれば、厚意で美味しいパンをくれるんだから、いいじゃん、だ。  もっともキュリンギにしてみれば、マインに対しては厚意、そしてエルダに対しては好意であり 下心だったりもする。 「エルダもぜひ召し上がってね」  にっこりとキュリンギはエルダに声をかける。  さすがに無視するわけにもいかず、エルダはひきつりながらも笑顔を作ってみせた。 「本当にいつもいつもありがとうございます。ですが、こんなにしていただいても私には返せる ものが……」 「あら、貴方がここにいて下さるだけでいいんですわ」  少し皮肉の入った言葉を気にする事なくキュリンギはつとエルダへと近づきその手を彼の方へと 伸ばした。 「貴方のような力ある魔法使いが居て下さるだけで、わたしたちはとても安心出来ますもの」  それは嘘ではなかった。魔王が倒されてからもう十数年の時がたち、魔物と呼ばれる者たちの数も ぐっと減りはしたが、完全にいなくなったわけではない。こんな田舎の村に魔物に対抗出来る魔法使いが 住んでいる事はとても幸運な事だ。  実際、エルダがこの村にやって来るまで村人は、魔物を見たら恐れて逃げ隠れるしかなかった。だから 人々は見慣れぬ動物や余所者には敏感だった。いつ魔物が紛れ込んでくるか分からなかったから。  それはキュリンギも同じだった。 「ところでエルダ。見かけない娘がいたケド、どなた?」  エルダの目の届く範囲にいたのだから魔物ではないのだろう。けれど余所者が突然現れると、やはり 気になる。  しかも年若くはあるけれど、キレイな顔立ちをしていた。  キュリンギはエルダの腕を取ると自らの腕でぎゅっと抱き込み彼を上目遣いで見た。  彼女の胸がむにゅっと彼の腕に当たり、エルダがギクリと体を固くした。 「あの娘はちょっと事情があって預かっているんです」  焦るように慌てて腕を引き抜くエルダ。 「あん」  そんな彼の頬がうっすら赤くなっているのを彼女が見逃すはずもなく、『照れてるのね、エルダったら。 ふふふ』なんて決して口にはしないけれど、そう思わずにはいられないキュリンギだった。

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