来訪者 その2  そんな二人のやりとりを横目にマインは貰ったパンを家の中へと運び込む。そしてそのままフウの 元へと一直線。 「フウ、遊ぼ」  ルンルン気分で草地へと座り込んでいるフウに声をかけた。 「あれ? 修業はもういいの?」  いつもならもっと長い時間マインは魔法の練習をしている。けど今日はさっき始めたばっかりだ。 「いーのいーの。キュリンギさんがいる間は修業どころじゃないから」  にんまりと笑いながらマインはフウの傍へと座り込んだ。 「キュリンギさんね、師匠の事が好きでよくここに来るの」  喋りながらマインは手近に咲いている花を幾つも摘み取る。 「師匠は嫌がってるフリしてるけど、本当はキュリンギさんのこと嫌いじゃないと思うんだ」  そして摘み取った花を器用にマインは編み始めた。フウはそんな彼女の指先に見入ってしまった。 「わたしはキュリンギさん大好き。師匠と結婚してくれれば良かったのになぁ」  話をしながらもマインの指は器用に動き続け、花は見る間に編み込まれてキレイな花冠が出来上がった。 「はい、あげるね」  まん丸目でびっくりしているフウの頭に、マインはポンと花冠を乗せてあげた。するとフウは 嬉しそうに笑った。 「ありがとう。すごーい。どうやって作るの?」  目の前で作るのを見ていたけれど、あんまりにもあざやかな手つきだったので分からなかった。 「あれ? 作ったことない?」  マインはびっくりした。  この辺りの女の子は春になると競うように花冠を編むから、かなり小さな頃から編めるようになる。 だから年上のフウが編み方を知らないのはちょっと不思議だった。 「うん、作ったことないと思う」  思う、と付けたのはフウが記憶喪失だったからだ。花冠を作るところを見てこんなにびっくり したんだから、たぶん本当に初めて目の前で編むのを見たんだと思う。けれどもしかしたら他の記憶と 一緒に忘れてしまっているだけかもしれない。 「じゃ、教えたげるよ。まずね……」  そう言うとマインは再び辺りの花を摘み取り始めた。  そんな二人の様子を微笑ましく、エルダとキュリンギが見ていた。 「ふふ。マインちゃん、すごく楽しそう」  彼女の言葉に彼も頷く。  確かにマインはここの所、今までになかったくらい楽しそうにしている。ちょっとはしゃぎ過ぎている 感はあるが、まあたまにはとエルダは思っていた。 「ねェ、エルダ」  つと、キュリンギが彼の胸へと手を伸ばしてきた。 「やっぱりこんな所に住んでいないで、村にいらっしゃらない?」  これまで幾度か同じ誘いを受けた。確かにこの星見の塔の建つ場所は村から少し離れている。そんなに 遠いという訳ではないのだけれど、少し歩けば偶然人に出会うという場所でもない。この丘に来るのは たいてい魔法使いであるエルダに用のある者だけだった。  だからマインが淋しい思いをしている事もキュリンギは見抜いていた。 「マインちゃんだってもっと同世代の子たちとの交流が必要よ」  そう言い、手だけでなく更に体もエルダへと寄せる。けれど彼はその肩を抱く事はなく、すいと 離れると彼女に背を向けた。 「何度も言いましたが、私達はここで良いんです。確かに一般の方々と共に暮らす魔法使いもいますが、 それは魔物とは無縁で暮らしている者でしょう。しかし私は何度も魔物を倒してきた。魔物の数は 減ってきているとはいえ、いつ魔物が復讐の為襲ってくるとも分かりません。皆様にご迷惑を かけるわけにはいかないのです」  魔物を倒せるのは魔法使いだけという訳ではないし、魔物が特別魔法使いばかりを狙う事もない。 けれど魔物はどういうネットワークを持っているのか、同類を倒した人間を見分けることが出来るらしい。 そして、その人間を嫌う。力の弱い魔物は逃げ、ある程度の力を持つ魔物は襲いかかってくる。そして 本当に力のある魔物は……。 「そんな。エルダの様に力ある魔法使いなら傍にいて下さった方が力強いですわ」  そう言うとキュリンギは後ろから抱きついた。そして自慢の胸をぎゅうぎゅう押し付ける。 「え? いや。私はそれほど力がある訳では……」  焦ってエルダは彼女を引き剥がそうとするが、彼女はしっかりと抱きついて離れようとしない。 「そういえば最近、村の近くで魔物らしいものを見た人がいるとか」  不安そうにそう言うと、ますます彼女は彼にしがみついた。  そんな二人に気づく事なくフウとマインはきゃっきゃと遊んでいた。  フウは本当に花を編んだ事がなかったらしく、マインのお手本を見ながらたどたどしく花を編んでいく。 マインのように上手に編むことは出来なかったが、それでも少しずつ形になるととても嬉しかった。  と、その時フウは嫌な気配が風に乗ってやって来たのを感じた。  ゾクリと悪寒が背中を駆け上がる。 「良くないモノが来る!」  無意識にそう叫ぶ。不安に駆られフウはマインの方へと身を寄せた。  それに気づいたエルダはキュリンギを引き剥がし、二人の元へ駆け寄ろうとした。マインとフウの 目の前の空間がぐにゃりと歪む。そこから何かが現れ、それは二人の方へと近づいて行った。 「……は、どこだ?」  犬にも狼にも似たそれは、禍々しい気を発しながらそうつぶやいた。  恐怖にフウは凍り付いた。二人を守るため、エルダが走りながら攻撃の呪文を唱え始める。それに 気づいた魔物が身構えると同時に、解き放たれたようにフウが悲鳴をあげた。  魔物を中心に爆風が起こった。風が吹き荒れる。草や小枝がちぎれ飛び、魔物はかき消すように その姿を消した。その様子にマインはどこか違和感を覚えた。  いつもの師匠の魔法と違う…?  だけど何が違うのかを深く考える間なんてなかった。隣にいたフウが意識を失い倒れそうになって いたのだ。マインは慌てて手を伸ばし、彼女を支える。完全に気を失ってしまったフウを抱え込むと マインは、ゆっくりと地面へと座った。 「大丈夫ですか?」  心配して駆け寄る師匠を見上げ、マインは首を横に振る。 「わたしは大丈夫だけど、フウが……」  魔物の存在がよほど恐ろしかったのだろうか。ぐったりと力の抜けたフウの顔は血の気が無く 真っ白になっていた。  フウを客間のベッドに寝かして居間へ行くと、キュリンギがお茶を入れてくれていた。エルダと マインは礼を言い、椅子へと腰掛ける。 「あの子、魔物に狙われていますの?」  心配そうにキュリンギが告げる。その言葉にマインは驚いた。 「なぜ、そう思うのですか?」  マインの気持ちを代弁するように師匠が問う。  今まで何度か魔物を倒してきたエルダが狙われるのなら分かるのだが、なぜキュリンギはフウが 狙われていると思ったのだろう?  キュリンギは入れたお茶を飲みながら、落ち着いた様子で語った。 「だってあの魔物、まっすぐあの子の方に向かってましたもの。それに何か話しかけてたでしょ?」  確かにあの時、魔物はまっすぐフウを見ていた。傍にマインもいたけれど、確かにフウだけを見ていた。 キュリンギはそれに気づいていたのだ。 「そういえばあの魔物はなんて言ってたんですか?」  その時の事を思い出し、エルダがマインに問う。あの時彼のいた場所からでは、喋っていた事は 分かってもその内容までは聞こえなかった。  マインは眉をしかめ、その時の事を思い起こした。 「わたしもよくは聞こえなかったんだけど……」  人語を操る魔物とはいえ、あれは犬のような形をしていた。言葉を喋るには不向きな造りをしている。 だから少し聞き取りにくくもあった。  それでもその時聞こえた言葉を思い出し、口にする。 「何かを、探してたみたいだった。フウはそれを知ってるから狙われてるの?」  マインは不安になった。目を覚ますのを待ってフウに事情を聞こうと思っても、記憶を失っている 彼女に分かるわけがない。  だけど魔物の方はフウが記憶喪失だという事を知らないのだ。だからフウに何かを尋ねた。  漠然とした不安を抱いたマインだったが、彼女を安心させるようにキュリンギがにっこりと笑った。 「でも良かったじゃありませんの。魔物は先程エルダがやっつけて下さいましたもの」  そうだった、だったらもうフウが狙われる事はないんだ。そう息をつこうとしたのもつかの間、 エルダが口を開く。 「いえ、さっきの魔物は逃げました。本当に彼女が目的なら、またすぐにやって来るでしょう」  そんな、とマインは思わず立ち上がった。 「どういう事ですか!」  師匠に詰め寄ろうとしたが、それよりも早くキュリンギが「いやあんっ」と悲鳴を上げた。 「それじゃあまだ、魔物がこの辺りをウロウロしてますのね? 怖いわっ」  そう言い素早くエルダの元へと移動し、彼にしがみつく。 「家まで送ってくださる? でないと怖くて帰れませんわ」  本当に怖がっているというよりは彼に言い寄るための口実だ。そうとしか取れなくて、エルダは ヒクヒクと口の端を震わせた。 「いえ、狙われているのはフウみたいですから、彼女のそばを離れるわけには……。まだ本人も気を 失ったままですし」  そう言い訳をしてキュリンギから離れようとするエルダの長い髪を彼女は捕まえた。そして自分の 頬へと寄せ、うっとりと呟く。 「では今晩泊めて下さる? 一人では足が震えて帰れませんもの」  先程より悪い提案に彼は青ざめ、慌てて叫ぶ。 「マインに送らせます! 未熟とはいえ弟子ですから、多少の魔法は使えますから!」  万が一彼女を家に泊めてしまったら何かと理由を付けて夜這いに来られかねない。  慌てて告げた師匠の言葉にマインは「えーっ」と不満の声をあげた。キュリンギも「そんなぁ」と 残念そうにつぶやく。マインにしてみれば、気を失ったままのフウの傍を離れたくはなかったし、 キュリンギは少しでも長くエルダの傍にいたかったから、彼の提案は歓迎出来なかった。  多少の抵抗を試みたものの、師匠の言葉に勝つことが出来ず結局マインはキュリンギを送って 行く事になった。 「ごめんなさいね、送らせちゃって」  村へと続く道を辿りながら、キュリンギは申し訳なさそうに謝った。 「気にしないで下さい。たまには村に行くのも楽しいですから」  そう返事をしたものの、マインはフウのことが心配でたまらなかった。  もしもキュリンギさんの言う通りフウが狙われているんだとしたら、確かにわたしが傍にいるよりも 師匠が傍にいた方が良いわよね。  そう自分に言い聞かせる。  マインも一応は魔法が使えるから、かなり弱い魔物ならばなんとか倒せるかもしれない。だけど 少しでも力のある魔物が現れたらと考えると、確かにエルダの傍にいた方が安全だ。  でもそれでもマインはフウの傍にいてあげたかった。  まだ出会ってそんなに日もたってはいないけれど、それでもこんなに長い時間一緒に遊んで 仲良くなったのは彼女が初めてだった。  だから傍にいて守ってあげたい。そう思ってしまう。 「ねぇ、さっきのえーと…フウちゃんだったかしら。エルダは事情があって預かってるって言ってた けれど、どういう事情か訊いてもいいかしら?」  この近隣に魔物を倒せる程の魔法使いはエルダしかいない。だから余所の村や街からエルダを頼って 来る者は時折いた。けれどこれまでは大抵どこから来たどういう人が何の用件で来たのか、キュリンギの 耳に入ってきた。キュリンギの父親は村長だったから、そういう話は入って来やすかったのだ。  けれど今回のフウの件は全く知らなかった。エルダの所ではないにしろ余所者がこの村に入れば それだけでもたいていキュリンギの耳に入ってくるのに今回はそれさえもなかった。 「あ、はい。…倒れてたのを見つけたんです、わたしが。それで連れて帰ったんですけど、フウ記憶を 失ってて……。あ、フウって名前はわたしが仮に付けたんです」 「そうだったの……」  キュリンギに説明しながらマインはその時の事を思い出していた。何も持たず辺鄙な場所に倒れていた 彼女。魔物に狙われてるのだとしたら、逃げてる途中にあそこで気を失ってしまったんだろうか。  そんな事を考えていると、道の向こうから誰かがやって来るのが見えた。 「あら? 見かけない子ね」  キュリンギのつぶやきにマインもその人物を見た。確かに知らない人だった。村の者ではない。 キュリンギが見かけないと言うのなら、近くの村の者でもないのかもしれない。  フウに続いてやって来たその余所者にキュリンギも眉をしかめた。マインより二つ三つくらい 年上だろうその男は黒いマントに身を包み、暗い顔をして歩いて来る。  マインは妙な胸騒ぎがした。彼女はどちらかというと勘の鋭い方ではないけれど、それでも『彼』と いう存在がなんだか妙に気になった。  マイン達の方へと歩いてきていた彼は、やがて二人に気付くと無表情にこちらを見た。緊張で息が 詰まり、鼓動が早くなるのをマインは感じた。 「この辺りで女の子を見かけませんでしたか? 年の頃は十五〜六。細身で髪は背中くらいまである……」  唐突にそいつが話しかけてきた。暗い瞳で無表情なまま。 「それって……」 「知りません!」  問いに答えようとしたキュリンギの声を叫ぶように遮り、マインは彼を睨んだ。そしてキュリンギの 手をむんずと掴み、足早にその場を立ち去る。キュリンギはマインの態度を少し不思議に思いながらも 何も言わずにそれに従った。  そんな二人を何か考えるような眼で見送った後、彼は再び歩きだした。

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