正体  その少年の姿が見えなくなるまでマインはキュリンギを引っ張り続けた。やがて歩が遅くなり、 ようやく立ち止まった彼女にキュリンギは遠慮気味に尋ねた。 「さっきのって、フウちゃんの事、だよね…?」  突然やって来た余所者を不信に思わないではないけれど、彼の捜している少女の特徴はフウに 当てはまる。 「フウちゃんの身内や知り合いの人が彼女を捜しに来たんじゃないの?」 「そうかもしれません」  その可能性は否定出来なかった。魔物の事がなかったらマインもそう思っただろう。  でも。 「だけど魔物の仲間かもしれません!」  言いしれぬ不安に駆られ、マインは叫んだ。  不意に思い出す、幼い頃の記憶。マインがまだ、魔法使いの弟子ではなく師匠をエルダと呼んでいた 頃の事。  道端で、小さなかわいい生き物を見つけた。その頃はまだ知らない事がたくさんで、知らない動物も たくさんだった。だから初めて見たそれについても特に気にせず近づき、捕まえた。  大人しいそれは、素直にマインの小さな腕に抱かれ、マインはそれが嬉しかった。 「ねぇねぇ、エルダ。この子、ウチで飼ってもいい?」  唯一の保護者であるエルダを見つけたマインは、それを抱いたまま駆け寄った。しかし彼女の声に 振り向いた彼はそれを見るなり青ざめた。 「放しなさい、マイン!」  叫ぶなりエルダはマインの腕からそれをもぎ取った。そして素早く呪文を唱え、掴んだそれに魔法を ぶつける。するとそれは人間にも似た悲鳴をあげて、ぐったりと息絶えた。  突然の出来事に驚き、マインが怒りも悲しみも感じる間のないまま、エルダが話しかけてきた。 「これは魔物だよ。見たり触ったりした時、嫌な感じはしなかった?」  エルダの言葉にマインはふるふると首を振る。 「そうか。…いいかい、マイン。見た事のない動物や知らない人には気をつけるんだよ。魔物に決まった 形は無いんだから。中には人の姿をした魔物もいる。そういった魔物はとても強い力を持っている事が 多いから気をつけなければならないよ」  あの時エルダはそう教えてくれた。そして弟子になってからも何度か同じ事を教えられた。  さっきの男が魔物だという証拠は何もなかった。だけどフウが魔物に狙われているこのタイミングで 彼女の事を捜しているなんて、嫌な予感しかしない。 「キュリンギさん。ここまで来ればもう、大丈夫ですよね?」  確認するようにマインは尋ねる。  もともと彼女は師匠と一緒にいたかっただけで魔物云々は口実だったのだ。エルダに断られて仕方なく マインと一緒に帰ってるだけだし、あとほんの少し歩けば村に着く距離だからこれ以上キュリンギさんを 送っていく必要なんて無いはず。そう判断したマインはきっぱりと言った。 「ごめんなさい、わたし帰ります」  驚くキュリンギを振り返ることなくマインはその場を駆け出した。  客間へ入るとエルダは、フウが意識を取り戻していない事を確認し、彼女を抱えあげた。そして家の 外の風通しの良い木陰へと移動し、草の上に彼女を寝かせた。そして自分もその傍らに座り、ため息を つく。 「さて、どうしたものですかねぇ」  ぽつりと呟き、フウを見る。  まさか、魔物と関わりがあるとは思ってもみなかった。彼女が望んで魔物に近づいたとは思えないが。  さらりと気持ちの良い風が彼女の上を吹き抜けていく。  彼女の指にはまる指輪を見つめ、エルダはもう一度ため息をついた。 「契約の指輪が有効だった頃に、魔物と関わってしまったのか…?」  気を失ったままのフウにエルダの声は届くはずもなく、また届いたところで記憶のない彼女には その問いに答えようがなかった。  マインは不安な気持ちを払いのけながら一心に走った。もしさっきの少年が星見の塔に向かって いるのだとすれば、このまま走ると途中で再び会う事になる。そうならない為に、先回りして帰る為にも マインは途中から道を外れ、近道をした。普段は道として使わないからちょっと足場が悪いけれど、 走れない程ではない。そしてそこを通れば、さっきの男に会うことなく先に帰りつくことが出来る。  マインは息がきれるのもかまわず走り続けた。そして家に着くと大きな音が出るのにもかまわず 勢いよく扉を開け中へと飛び込んだ。  フウが寝ているはずの客間へと飛び込む。だけどベッドには誰もいない。慌てて居間に駆け込んだ。 もしかして目が覚めて師匠と話をしているのかもしれない。  だけどそこにも誰もいなかった。  嫌な予感がマインの背中を駆け上がり、必死にそれに気づかないふりをしながら家中を探し回った。 けれどフウどころか師匠の姿さえ見つからない。  やっぱりあいつは魔物で、魔法でここにやって来てフウをさらって行ってしまったの? そして それに気づいた師匠が追いかけて行った…?  そんな悪い考えを巡らせていると、ふと窓の外から音が聞こえてきた。  はっと振り向きそちらを見ると、にこにこと師匠が手を振っていた。 「なんで外にいるんですか!」  バンッと窓を開け叫ぶ。ほっとしたのと同時に暢気な師匠の笑顔を見て、心配した分腹が立った。  しかもよく見ると気を失ったままのフウが木陰に寝かせられている。 「フウまだ気がついてないのになんで外に……」  そう言いかけてひとつの可能性に気づいてはっとした。 「まさかフウをおとりにするつもりで!」  カッと頭に血が上った。  エルダは今まで何度か魔物退治を行ってきた。あんな風に魔物が現れて、しかも逃げられたなら 依頼がなくても師匠は魔物退治をしようとするだろう。  だから、魔物をおびき寄せるために彼女を外に連れ出したのかもしれない。そんな考えがマインの 頭の中に浮かぶ。  怒りで顔を真っ赤にして、「ひどい」と叫びかけたマインを手で制し、エルダはフウへと目をやった。 先程の大声で気がついたのか、彼女が身じろぎを始めた。 「ちょうどフウも目を覚ましたようですし、外へいらっしゃい」  マインの怒りなどどこ吹く風。エルダはにこにこと笑いながら彼女に手招きをしてみせた。  外に出るとマインは一目散にフウの元へとやって来た。 「大丈夫? 気分はどう?」  さわさわと梢を鳴らす樹の下に座ったフウはにこりとマインに笑いかける。 「うん。風が気持ち良いよ」  顔色もすっかり良くなり表情も和らいだ彼女にマインはほっと安心した。  良かった。魔物に襲われてもっと怯えてるかと思ったけど、大丈夫みたい。  そんな時、唐突に師匠が質問してきた。 「以前出した宿題の答えは分かりましたか?」  フウが何者なのか、観察して考えろと言ったあれだろうけど、今なんでそんな事を。 「誤魔化さないで、師匠! なんでフウを外に連れ出してるんですか!」  カッとなりながら叫ぶマインの鼻を、なぜかエルダはぎゅっとつまんだ。 「まだ気づいてないんですか。困った弟子だ。前にちゃんと教えたはずなんですけどね」  見ると師匠は笑顔をひくつかせている。訳が分からずマインはもがいた。怒っているのはこっちの 筈なのになんで師匠がこんな事をするの?  そんな彼女を見てふうっとため息をつくと、師匠はやっと弟子の鼻から手を離した。 「マインが気がつくか、フウ自身が思い出すまで放っておくつもりでしたが状況が変わりました。フウも 心して聞いて下さい」  真剣な顔になりエルダはフウの顔を見た後、弟子へと視線を移した。 「マイン、以前何度か人と同じ姿を持つ人外の者について教えましたね?」  人外の者という師匠の言葉に、マインは我に返った。こんな悠長に話をしている場合じゃなかった。 「そういえばさっき、フウを探してるっぽい男に会ったの。もしかしたら魔物の仲間かもしれない」 「なんですって?」  マインの言葉にエルダは慌てた。 「襲われたんですか? ケガは?」  がばりとマインの肩を掴み、尋ねる。  エルダ自身は何度も魔物を倒しているが、緊急の場合以外は出来るだけマインを現場に近づけなかった。 だからマイン自身が魔物に向き合った事はない。  そして今回の魔物の狙いはフウらしいから、キュリンギを村に送る際もまず魔物に会う事はないだろう。 そう思ったからこそエルダはマインにキュリンギを送らせる事にしたのだ。  なのにマインが魔物と接触するなんて。  先程キュリンギに『弟子だから大丈夫』と言ったが、いざ魔物に会ったと聞くとマインが『大丈夫』で ある自信がなかった。危険な目にあわせるつもりもなかった。 「あ、いや…。襲われた訳じゃ……」  師匠の慌てぶりに驚いて、マインは口ごもりながら言った。 「ただ女の子を捜してるって……」  襲われたんじゃないのか。  マインの言葉にエルダは安堵し、全身の力が抜けた。大きく息をつき、マインに告げる。 「びっくりさせないで下さい。あなたにもしもの事があったら……」  ご両親に申し訳が立たない。そう小さく呟いた。 「それで、どうしてその男が魔物の仲間だと?」  気を取り直すとエルダはいつもの顔に戻り、マインに尋ねる。  師匠の質問にマインは真剣な顔で答えた。 「ただの勘。だけどキュリンギさんも知らない子だったからこの辺の人じゃないと思うし、何より 目つきが悪かったの! とにかくなんか、普通の男の子っぽくなくて!」  一瞬エルダはずっこけそうになった。見た事のない目つきの悪い少年というだけで魔物扱いは、酷い。  勘の鋭い者は確かに肌で魔物の気を感じ取り、恐怖や嫌悪を抱く。けれど残念ながらマインが そういったものに鈍いという事は経験上知っていた。  しかし一概にマインの勘違いだとも言えない。実際フウを狙っているらしい魔物が存在していて フウを捜している少年がいるなら、それはフウの知り合いか魔物かのどちらかだろう。 「魔物という確証は無いんですね?」  真面目に問うとマインもコクリと頷いた。  その時、マインの目の端に不安そうな顔のフウが目に入った。 「心配しないで、フウ。わたしが守るから。まだ魔法は下手だけど頑張るから!」  思わずフウに抱きつき、そう告げる。フウの方が年上だけど、守ってあげなきゃという気持ちで マインはいっぱいだった。  そんなマインを見ながら、腕を組んで師匠は言った。 「頼もしい言葉ですね。ですがその前に、フウの正体について知っておいた方が良いでしょう」  ひと息つき、エルダはフウを、そしてマインを見た。  そしてゆっくりと、だけどきっぱりと告げた。 「フウは、人ではありません」 「え?」  驚きマインはフウの顔を見た。フウも驚いたのか、不安そうな顔をしてエルダを見ている。 「人と同じ姿の、人でない者については以前教えましたね?」  師匠は愛弟子の顔を見て、その先を続けなさいと促す。  本当はここまで言う前に気づいて欲しかったのだが、どうもマインはその辺りは鈍いらしい。 それとも勉強不足なのか。  マインは師匠の言葉に必死で以前習った事を思い出そうとした。人と同じ姿の、人でない者は三つ。 「ええっと、ひとつは神様とその子供たち。だけどもう随分昔に彼らはこの地上から姿を消して しまったのよね?」  伝説によると昔は魔物から人々を守るために戦ってくれた神様もいたらしい。けれど最後に神という 名が歴史書に記されたのはもう随分昔の事だ。神様がこの地を踏まなくなって久しい。 「それから一部の魔物。だけどフウが魔物のはずがない」  万が一魔物だったとしたら、師匠が家に置く事は絶対になかっただろう。  マインは三本目の指を立て、フウを見た。 「てコトは、フウは……」  マインとフウの間を風が吹き抜ける。 「フウ、精霊なの?」  尋ねたマインも問われたフウも、ただ驚き呆然とした。

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