春風の少女 その1  小高い丘の上に目指していると思われる塔を見つけた。 「星見の塔の魔法使いを訪ねてみるといいよ。腕の良い魔法使いだっていうから、きっと力になって くれる」  他に何の手がかりも無かった彼は、その言葉を頼りにここまでやって来た。  星見の塔という言葉の通り、夜にあの塔の上で空を見上げればきっと星がよく見えるだろう。  彼は塔へと向かい、その入り口を目指した。すぐに見つけたその入り口には扉が付いていなかった。  中へと入り塔の内部を見渡す。しかしそこには生活感というものが無かった。 「ここに住んでるわけじゃなさそうだな」  ひとり呟き、更に歩を進める。目に留まった階段へと足を延ばし、そこに補修の痕を見つけた。観察 しながら階段をゆっくりと登る。住んでいる訳ではないけれど使ってない訳でもないようだ。時折 掃除にも来ているのだろう、そこまで埃も被っていない。 「近くに住んでるのか?」  小さく呟き、ふと思い出した。そういえば塔の陰に家が建っていたような気がする。  そう思って途中まで登った階段を引き返そうとした時、ふと小窓に目がいった。  何の気なしに見たその窓の向こうの下に、彼は捜していた少女の姿を見つけた。  ふわりと風が吹く。マインの頬を撫でたその風はサラリとフウの髪を揺らした。 「フウ、精霊なの?」  驚き問うマインの言葉を復唱するようにフウは「精霊?」と呟いた。 「……マインたちとは違うの?」  素朴な疑問をフウは口にする。 「見た目は人と同じですが、全く別の生き物ですよ」  そう言われても、フウはピンと来ないようだ。  そしてマインもまだ、フウが人間ではないという事が信じられずにいた。そんなマインに師匠は にっこりと笑って言う。 「精霊について覚えている事を言ってごらんなさい」 「精霊について……」  マインは必死にこれまで習ってきた事を思い出しつつ口を開いた。 「えーと……。火と水と風、それらに属する者達を三大精霊と呼ぶ。火の精霊は火と共に、水の精霊は 水と共に、風の精霊は風と共にいつもある」  たどたどしく、それでもしっかりとマインは口にする。 「精霊を使役する魔法使いを精霊使いといい、それぞれ炎使い、水使い、風使いと呼ぶ。契約を交わした 精霊はそれぞれ、炎は首に、水は腕に、風は指に、契約のリングを……」  そこまで言って、マインははっと息を飲んだ。 「フウの指輪!」  思わず叫び、フウを見る。フウはマインの言葉に不安そうに自分の指にはまった指輪を反対の手で 触った。 「そう、風使いとの契約の指輪です。とは言っても、フウのはめているものは効力を失っているよう ですが」  エルダはそこでひと息つき、フウを見た。 「おそらくその指輪が有効だった頃に魔物となんらかの関わりを持ってしまったのでしょう」  本来精霊が魔物に関わることはほとんどない。理由は分からないが魔物の方も精霊に関わろうとした 記録はほとんどなかった。だから幾ら力が弱いとはいえ、風の精霊であるフウが魔物に狙われていると いうのはとても不自然だった。  不自然であるとはいえ、風使いに使役されている精霊ならば魔物に関わらざるを得ない時もある。  きっとフウの場合もそういう事なのだろう。使役されている時に何かを知ってしまい、魔物に 狙われている。もしくは元主人が恨みを買っていて、その居場所を知っていると思われてつきまとわれて いるのか。  エルダはそう、考えていた。  星見の塔の窓から下を覗いた少年は目的の少女を見つけ声をあげかけた。  しかし背後の空間が歪むのを感じ、素早く振り返った。そして警戒するように身構える。  ぶおんと音を立てて現れたのは、マインたちを襲ったあの犬に似た魔物だった。 「おお、こんな所におられたのですか」  現れた魔物は少年の姿を見つけると恭しくそう告げた。にまりと笑うように細められた眼はじっと 少年を見つめている。  しかし少年は警戒を解く事なく、魔物を睨んだ。魔物の方はそんな事はお構いなしに少年に語りかける。 「さあ、私めと一緒に参りましょう」  へりくだり、優しい口調で少年に誘いかける魔物。カツリと爪音を立て、ゆっくりと魔物は少年へと 近づいた。 「どうしました? 何を迷っているのです。さあ、私めがご案内いたします。共においで下さい」  ニィっと笑い更に近づいてくる魔物。少年は警戒しながら深く息を吸い込むと攻撃の呪文を唱え始めた。  ドンッ  突然の閃光と爆音に、マインとエルダは塔を見上げた。 「あ」  一瞬、塔の小窓に例の少年の姿が通ったのをマインは見逃さなかった。 「塔の中にあいつがいる!」  叫ぶマインの言葉に反応し、エルダが走り出す。 「マイン、フウを連れて家の中へ!」  相手が何者か分からない以上、ここにいて見つかるよりは家の中の方が安全だろうと瞬時に判断し、 エルダは指示する。 「分かった。行こう、フウ!」  師匠の言う通り、慌ててマインはフウの背を押し家へと向かおうとした。けれどフウは塔を見上げ、 そこを動こうとしない。 「フウ? どうしたの、行くよ?」  不安になり、フウの腕を掴もうとした時だった。ふわりと優しい風が吹いたと同時にフウの体が 浮き上がった。 「フウ?!」  慌ててその手を掴み、どこかへ行こうとする彼女をマインは引き留める。フウの体が宙に浮いていると いう事実に、『本当に風の精霊なんだ』とは思ったけど、それより彼女を止める事の方が大切だった。 「どこに行くの? 魔物がいるかもしれないんだよ。早く家に入ろう?」  必死に彼女を引っ張り、引き留める。けれどフウは不安そうに塔を見、そしてマインを見て訴えた。 「でも…分かんないけど、行かなきゃ」  理由は分からないけれどそこに行かなければ、とフウは思った。魔物は怖い。だけど失った記憶の 底から焦りと言葉に出来ない何かが浮かび上がってきて、フウをつき動かしていた。 「行かなきゃ!」  感情と共に彼女の体から風があふれ出る。驚いたマインの手が緩んだ瞬間、フウは空高く舞い上がって 行った。  攻撃された魔物はしかしそれを避け、たいした傷を負う事なく彼を見ていた。彼もあの魔法で魔物を 倒せるとは思っていなかった。  そもそも対魔物用の魔法の知識などほとんど持っていない。小物の魔物ならともかく、言葉を操る事の 出来る魔物と対等に戦えるはずもなかった。 「なぜそう抵抗されるのです?」  攻撃魔法で少し距離をとる事は出来たものの、魔物が再び彼へと近づいてくる。  ジリジリと差を縮められぬよう後ずさりながら階段を下りる彼を、塔に辿り着いたエルダが入り口の 陰から観察していた。  一方は先程の魔物に間違いない。けれど、マインが魔物かもしれないと言った少年は魔物には 見えなかった。しかし魔物との関係が分からない。 「私と共に来れば素晴らしい力が手に入るのですよ?」  魔物が甘い声で少年を誘惑している。 「望むなら世界の王にもなれるでしょう」  それはどういう意味なのか。少年を仲間に誘い入れようとしているのか。  しかし少年は間髪入れず叫んだ。 「断る! オレは魔物になるつもりはない!」  その言葉にエルダは犬型の魔物だけを標的に定めた。どういう関係かは分からないが、どうやら少年は 魔物の仲間ではない。  少年の言葉を聞いた魔物は面白くなさそうにうなりをあげた。 「ならば仕方がない。力ずくで連れて行くとしよう」  言うなり魔物は少年へと飛びかかった。それと同時にエルダは呪文を唱えつつ、魔物を討つべく塔の 中へと飛び込んだ。

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