夜のおしゃべり  夜の帳が舞い降りる。  人々は明かりの灯った家の中で、眠りの準備へと取りかかる。  ソキは家の傍の木の上に寝そべって、家の中の気配を感じながらくつろいでいた。  時折夜風がサワサワと梢や木の葉を揺らしていく。 「ふう。やっぱり外は気持ちいい」  満喫するように息をつき、ソキはうん、と背伸びした。  記憶を失っていた時にはずっと家の中で休息をとっていた。だから外で夜を過ごすのはとても 久しぶりだった。 「フウ…じゃなかった、ソキ」  呼ぶ声が聞こえ、ソキはフワリと浮き上がる。見るとマインが二階の自室の窓からキョロキョロと 彼女の姿を捜していた。 「なあに? マイン」  そのままふわりとソキはマインの部屋の窓の前へと飛んでいく。  ソキの姿を見つけたマインは嬉しそうに笑った。けれどすぐに心配そうな顔になる。 「本当に外で寝るの? ……いくら風の精霊だからって、ソキは女の子なのに酷いよ」  後半の不満はソキにではなく、師匠と新入りに向けたものだ。  シガツが魔法修業をすると決まり、師匠が今晩は客間で寝るようにと言ったのだ。 「客間はフウが使ってるじゃん」  驚き怒りながらマインは叫んだ。客間にベッドは一つしかないし、二人が一つのベッドで寝るなんて ありえない。ということは彼女を追い出してこいつにベッドを提供するという事だ。  なのにあいつは当然のような顔をして言った。 「ソキに部屋は必要ないよ?」 「はあ? なんでよ」  怒りにまかせて言い放つマインに、師匠とシガツが声をそろえてきっぱりと言う。 「風の精霊だから」  なによそれ、と言い返そうとする前に、ソキ本人がひょいと顔を覗かせた。 「うん。外で寝るよ」  無邪気に笑顔でそう本人に言われてしまって、マインは反論することが出来なかった。  それでも不満そうにしているマインの顔を見て、師匠は眉をしかめてため息をついた。 「もう少し真面目に修業していたらそのくらいの事は分かるはずですよ。精霊は人とは違うんですから」  そんな風に言われしぶしぶマインはシガツが客間で寝る事を了承した。  それでもやっぱり納得がいかない。だから今ソキ本人とこうして話をしているのだった。 「さっきはああ言ってたけどさ、今までだって客間で寝てたんだから部屋の中で寝ちゃいけないって わけでもないんでしょ?」  精霊だろうと人間だろうとソキは女の子なんだし、やっぱり部屋の中で寝るべきだ。そんな風に 考えたマインはふと良い事を思いついた。 「ね、もし良かったら……」 「ソキ」  マインの声を遮るように彼女を呼ぶ声がした。すぐにソキは声のした一階の客間の方を見る。すると シガツが窓を開け、彼女の姿を捜していた。 「ここだよ。今、マインとお話してたの」 「そっか。じゃ、また後で来いよ」 「うん、分かった」  互いに笑顔で会話を交わし、ソキがマインに視線を戻すと何故か彼女は怒っていた。 「何様のつもりよ、あいつ! 外に追い出したり呼びつけたり!」  隠すことなくマインはシガツへの不満を口にする。そんな彼女に困ったように笑いながらソキは口を 開いた。 「マイン。あのね? 本当に外の方がいいの。好きなの」  どう言えばマインは理解してくれるだろうかと考えつつソキは言葉を紡ぐ。 「わたし達風の精霊には『家』なんてないし…。それにね、長い間部屋の中にいたら、息苦しく なっちゃうの」 「えー、そうなの?」  ソキの言葉にがっかりしながら、でもそういえばとマインは思い出した。  そういえば客間で寝ていた時やたらと彼女は窓を開けたがっていた。春とはいえまだ風は冷たいのにと 思ったけど、ソキは窓を閉めようとはしなかった。  それに師匠も、気を失っているソキを外に連れ出していた。あの時は魔物をおびき寄せるための囮に しようとしてるんだと思ったけれど、もしかしたら息苦しそうにしていた彼女の為に外に連れ出して いたのかもしれない。師匠は最初からソキが風の精霊だと気づいていたようだから。  そう思うとマインはもう無理に部屋を勧めることは出来なかった。 「残念〜。わたしの部屋で一緒に……」  寝ようって言おうと思ってたのに、と言おうとしたところでくしゃみが出た。夜着のまま窓を開けて 外にいるソキと話をしていたから体がすっかり冷えてしまったのだ。 「大丈夫?」 「うん」  ソキが尋ねるとマインは体を震わせながらも笑顔で答えた。 「夜はまだ冷えるから……。ソキは寒くないの?」  考えてみればこれまでもずっと薄着で平気だったのはソキが風の精霊だったからなのだろうけど、 ついその事を忘れ訊いてしまう。 「うん。へーき」  案の定ソキは笑顔でそう答える。 「もう窓閉めた方がいいよ。風邪ひいちゃうよ」  そう言うとソキは窓から離れ、おやすみと告げた。  本当はもっと話をしていたかったけれど、マインもお休みを告げると窓を閉め、冷えた体を温める ためにベッドへと潜り込んだ。  マインにおやすみを告げたソキはそのままフワリと地面へと舞い降りた。つい昨日まで自分が使って いた客間の前まで来ると、コツコツと窓をノックする。  中ではシガツがベッドの上で本を読んでいた。ソキのノックの音に気づき顔を上げるとにこりと 笑顔を見せた。 「入れよ」  窓を開け、ソキに告げる。 「うん」  頷くとソキはふわりと開け放たれた窓から部屋の中へと舞い込んだ。そしてそのまま窓辺へと腰掛ける。 「昨日までこの部屋で寝てたなんて、夢みたい」  本当に夢の中の出来事のようで可笑しな気分だった。 「記憶のない間、人間みたいに暮らしてたんだってな」  シガツの言葉にうんと頷き、ソキはもう一度部屋を見渡した。  こんな狭い部屋の中に長い時間いて、よく息がつまらなかったな、とソキは思った。  記憶を無くして不安だったせいか、息苦しさも不安からくるのだと思っていたふしもある。自分が マイン達とは違うだなんて思ってもいなかったから、マイン達が部屋に寝るのならそれが当たり前 なのだと。 「シガツは今までの間、どうしてたの?」  再会してから今までゆっくりと話す時間が取れなくて、別れてからのシガツの事を聞きそびれていた。  シガツは「うん」と頷くとベッドに腰掛け思い出すようにソキに答える。 「あの日、魔物から逃がしてくれようとしてソキに飛ばされただろう? あれで気を失って……」  魔物に襲われ危機を感じたソキにシガツは飛ばされた。ソキはそんなに力の強い精霊ではないから、 今までソキの風で飛ばされるなんて事はなかった。  たぶん、火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。その日初めて凄い勢いで飛ばされ、シガツは気を 失ってしまった。  気づいた時、シガツは見知らぬ土地に一人でいた。それでも打ち身が無かったのはソキの気遣いが あったからだろう。  自分ひとりしかいない事に気づいたシガツはすぐにソキの名を呼んだ。普段、姿が見えなくても名前を 呼べばソキはすぐに聞きつけて姿を見せてくれた。  だが、その時は何度呼んでも叫んでもソキが現れる事は無かった。  魔物の目的は自分だったし、魔物が精霊を襲うという話は聞いた事がなかったから、ソキは無事な はずだ。ただ、遠くに離れすぎてはぐれてしまっただけだと、シガツはそう思った。思いたかった。  そのままその場にいる訳にもいかず、ひとまずシガツは人里目指して歩きだした。  たどり着いたのは小さな街だった。そこでシガツは、途方に暮れてしまった。ソキに飛ばされた時、 持っていた荷物を無くしてしまっていたのだ。  何も持っていないから食事をとる事も宿をとる事も出来ない。  ソキを捜すにしても、きっと時間が掛かるだろう。何をするにしても休める場所と食事が欲しかった。 最終手段が無いわけではないが、出来るだけそれはしたくなかった。  お腹が空き疲れはてたシガツは途方に暮れたまま道の片隅に座り込んでしまった。 「そんな時に親切なおばさんに出会ったんだ」 「親切なおばさん?」  シガツの言葉を繰り返し呟いてソキは首を傾げた。 「そう。見ず知らずのオレの為に食事と寝床を確保してくれたんだ」  本当に幸運だった。彼女に会わなかったらソキを見つけに来るのはもっと遅くなっていたかもしれない。 「ふぅん。そういえば、ししょーもそうだよね。親切だよね」  気を失って倒れている少女を保護するのは人として当たり前の事かもしれない。けれど気づいて いなかったマインと違い、エルダはソキが風の精霊と気づいていてこの家に置いていてくれたのだ。 たぶん、危険性にも気づいていただろうに。  この辺りの人たちって親切な人が多いんだねと呟くソキに、そうだなと答えるとシガツは再び別れて いた時の事を語り始めた。  声を掛けられたシガツは、ほんの少し相手を疑ったものの、素直に彼女の後を付いて行った。  騙されたところで自分に残されているのは着の身着のままのこの身ひとつだったし、目の前の おばさんは着ぐるみはぐようなひどいまねをする人とは思えなかった。  それに笑い掛けてくれたおばさんの顔はどこか伯母の笑顔を思い起こさせた。容姿はちっとも 似てないのだが、雰囲気がなんとなく似て見えた。  伯母とは数度しか会った事がなかったが、優しくて良い人で大好きだった。そんな伯母に似て見える 人が悪い人とは思えなかったのだ。  そしてそれは間違いではなかった。  家に着くとその日はすぐに食事を出してくれて、食事が終わると寝室へと案内してくれた。  疲れていたシガツはお礼もそこそこにベッドへとなだれ込み、そのまま深い眠りへと誘い込まれた。  翌日、おばさんに軽く事情を説明するとおばさんは笑顔でこう言った。 「じゃあ、ここで働きながらその友達を捜してみたらどうだい?」  願ってもない申し出だった。  おばさんの家は小さな食堂をしていて、特に昼時は繁盛していた。シガツは手伝いながら店の客に ソキの事を尋ねてまわった。  だが何日たっても手がかりのひとつも得られなかった。  手伝いが終わると毎晩シガツは貸してもらった部屋の窓を開け、ソキの名を呼んだ。もしかしたら ソキの方も自分を捜してこの辺りまで来ていて、呼び声を聞きつけてやって来るかもしれない。そんな 一縷の望みに掛けて。  しかし返事が返ってくる事もソキが姿を現すことも無く、だからシガツはある日、食堂の後片付けを 手伝いながらおばさんに切り出した。 「明日、ここを立とうと思っています」 「え? なにか手がかりが掴めたのかい?」  おばさんの問いに首を横に振り、暗い顔で理由を話した。 「一度はぐれた場所に戻ってみようと思うんです。もしかしたらあっちもオレを捜して戻ってきてるかも しれない」  おばさんは「そうかい」と頷くと後片付けの手を止め、「ちょっと待ってな」とその場を離れた。 そして再びシガツの前に現れたおばさんの手には、小さな袋が握られていた。 「これは今まで働いてくれた駄賃だよ」  そう言っておばさんはその袋をシガツに握らせようとした。 「そんな。あれは食べさせて、暖かい場所で眠らせてもらったお礼です」  たった数日の事で、慣れない店での仕事だったから本当に手伝い程度の事しか出来なかった。だから 食事代と宿代と考えると足りないくらいではないだろうか。  しかしおばさんはにっこりと笑い袋をシガツの手の中へと持っていく。 「分かってるよ。だけど必要だろう? たいした額は入ってないから、受け取っときなさい」  シガツの胸に熱いものが込み上げてきた。ほんの数日前に会ったばかりの、どこの馬の骨とも知らない 自分にここまでしてくれるなんて。 「ありがとうございます。大切に使います」  おばさんの親切に素直に頭を下げ、礼を言う。するとおばさんも嬉しそうに笑みを浮かべた。 「もしはぐれた場所でも再会出来なかったら、星見の塔の魔法使いを訪ねてみるといいよ。腕の良い 魔法使いだっていうから、きっと力になってくれる」  その言葉を頼りにシガツはここへとやって来た。そしてソキと再会する事が出来たのだ。 「まさかソキ本人がここにいるとは思わなかったけどね」  笑いながらシガツが言う。 「うん。ここで逢えて良かった」  ソキもまた笑顔で頷いた。 「ソキね、記憶のない時もシガツを待ってたよ。もしかしてもう二度と会えないんじゃないかって 不安だった」  理由も分からず魔物に襲われ、守る為にシガツを風に乗せて飛ばしたけれど、その後無事に逃げる事が 出来たのか、怪我をしてしまわなかったか、何も分からないまま記憶を無くした。不安だけがソキの中に 残り、それでも心の奥底で再会出来る日を、待っていた。 「何も思い出せなかったから……」  ソキが喋り掛けたところで、シガツが欠伸を噛み殺した。 「あ、眠い?」  気づき、シガツに尋ねる。 「ん、悪い。今日は色々あったから…。もっと色々話したいんだけど……」  言いながらもシガツの瞼が重くなっているのにソキも気づいた。 「無理しないで。明日からまたいっぱいお話出来るんだから」  そう微笑むとソキはひらりと窓の外へと身を翻した。 「そうだよな。おやすみ、ソキ」  シガツは立ち上がり窓からソキを見送る。 「うん、お休みなさい」  そう告げるとソキは月灯りの中ふわりと舞い上がった。  窓が閉まると程なくしてシガツの部屋の灯りが消えた。そんな彼の部屋を眺めながらソキは心の中で 呟いた。  ありがとうシガツ。捜してくれて嬉しかったよ。  木の上に寝ころび、葉ずれの音を聞きながらソキは目を閉じた。そしてもう一度、心の中でそっと 呟いた。  お休みなさい、また明日。

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