シガツ君の魔法修業初日 その4  思い出す、幼い頃の思い出。転んでひざを擦りむいて泣いて帰ると、いつだって父がすぐに魔法で 治してくれていた。  だからシガツはかすり傷でもすぐに父親の所へ行って治してもらっていた。  だが、いつからかそんな二人を見て彼の母が言い出したのだ。 「そのくらいの傷、魔法で治さなくてもすぐに治るでしょう?」  渋い顔をして言う母に、父はいつも困ったように笑った。 「だけどシガツはまだ小さいんだし、かわいそうじゃないか」  父はそう言って、小さな傷でも魔法で治してくれていた。  だけど母はそれからも、幾度もそれを反対した。  なんで母上はダメって言うんだろう。もしかしてボクのことが嫌いなのかな。  幼かったシガツはそう思った事さえある。  それに気づいたのか、ある日母親はシガツに諭すように語り掛けてきた。 「シガツ。シガツは男の子だから、このくらいのケガ、がまん出来るよね?」  だけどシガツは泣きながら父親にしがみついた。 「やだ。いたいもん。ちちうえ、なおしてよ」  そんなシガツに母親は、ゆっくりと話しかけた。 「そうよね。ケガをしたら痛いよね。だけどね、シガツ。みんながケガを治してくれる父上を持ってる わけじゃないのよ。もっともっと痛いケガをして、ずーっと長いこと痛いのを我慢している子もいるの。 母はね、シガツに痛みの分かる子に育って欲しいのよ」  当時は母親の言っている事が分からなかった。今も母親の考え全てが分かるとは言えないが、少しずつ だが分かり始めた様な気がする。 「たぶん母は、ほんのかすり傷の痛みさえ我慢出来ず魔法で治癒する人間は、自分の痛みには敏感でも 他人の痛みには鈍感になってしまうと考えたのでしょう」 「良い母上ですね?」  昔を懐かしむシガツにエルダがそう告げる。 「それにお父上も優しい方だ、ケガを治す魔法を知っているだなんて。これもお父上が?」  そう言うと師匠はスッとシガツの首に掛かっている飾りへと手をやった。 「え?」 「呪文が書いてありますね」  飾りの一部の細い金属には、丁寧に呪文が彫られている。魔法使いであるエルダは、それが魔除けの 呪文である事にすぐに気が付いた。 「ああ、それは……。物心付いた頃にはもうつけていたので誰が作ったのかは知らないんです。ただ、 一人前になるまでは外れないお守りだって聞いて育ちました」  彼の首に掛かったその装身具は留め金等の外せそうな部分はなく、かといって頭から抜くには輪が 小さすぎた。確かにこのままでは外せないだろう。  おそらく一人前になったと判断した時点で父親か誰かが魔法で外す事にしているのか。  そんな二人の会話を遠くに聞きながら、マインはきれいに治った自分の手のひらを見つめていた。  魔法をかけられた時の温かさが、まだ手のひらに残っている。 「どうしたの? 顔が赤いよ?」 「え?」  突然ソキに話しかけられ、マインはきゅっと手を握った。 「び、びっくりしちゃったからだよ」  慌ててそんな風に告げる。  普通の女の子なら「びっくりしたからって赤くなるわけじゃないじゃん」とつっこみそうなところ だけど、風の精霊であるソキは特に疑う事もなく「そうなの?」と納得してくれた。  それにほっとしながらマインはちらりとシガツの方に目をやる。二人はこちらを見る事なくまだ話を していた。 「先程の呪文やその『お守り』を見ると、お父上はかなりの魔法の使い手かと思えるのですが……」  そんな師匠の言葉が聞こえてきた。  え? お父さんが?  なにげにショックを受けたマインは二人の方へと駆け寄り、つい叫んだ。 「お父さんがすごい魔法使いなら、ここで習う必要ないじゃん」  どうりで魔法が使える筈だ。もちろん風の塔でも習ったんだろうけど、お父さんが魔法使いだったなら マインと同じように小さな頃から魔法に親しんできたんだろう。それならわざわざここで修業しなくても、 家で魔法を習えばいいのに。  そう思ってマインはシガツを睨むように見た。するとシガツはきょとんとした顔で言った。 「父は魔法使いじゃないですよ?」  シガツの言葉にカチンとくる。 「今師匠がそう言ったじゃん」  たった今その話をしていたのに、なんで否定するの?  ムッとしながらマインは言い返した。なのに師匠までがシガツの肩を持つように言う。 「かなりの魔法の使い手かと思ったとは言いましたが、魔法使いとは言ってませんよ?」  なによそれ。  エルダの難解な言い回しにマインは眉をしかめた。 「この辺りにはあまりいないようですからマインは見た事がないのでしょうが、ちょっとした魔法なら ひとつふたつ使える人も結構いるんですよ」  笑顔で師匠はマインに分かるように説明し始めた。  元来この世界の人は皆、魔法を使える素質は持っている。絵を描いたり料理をしたり、あるいは剣を 使えたり馬に乗れたりするのと同様に。  多少の才能の有無ややる気、良い師匠に出会えるか等で能力の差は出て来るだろうが、一部の人のみに 与えられた特別な能力という訳ではないのだ。  だから一般の人でも代々伝わるちょっとした魔法を使える者がいたり、簡単な魔法を魔法使いに習い、 使う者もいる。  つまり『魔法使い』は専門知識と技術を持つ職業で、素人でも簡単なものならば魔法を使えない わけではないのだ。  ただ、魔法は刃物などと同じで危険も伴う。先程のマインの失敗が良い例だ。だから『魔法使い』に なりたい者はちゃんと師匠について学ばなくてはならなかった。 「ですからシガツのお父上も魔法使いから呪文を教わったのかもしれませんし、その『お守り』も その魔法使いに作ってもらったのかもしれませんね」  そんな師匠の言葉にシガツは自分の首に掛かったそれを感心したように触ってみている。  マインはいまいち分かったような分からないような顔をしてそんなシガツを見ていた。 「そんな事よりマイン。先にシガツに言う事があるんじゃないですか?」  突然師匠にそう言われ、マインは首を傾げた。  別にシガツに言う事なんて文句しか思い浮かばない。けどまさか師匠がそれを言わそうとするとは 思えないし。 「まだ傷を治してもらったお礼を言ってないでしょう?」  そう師匠に厳しく指摘され、ぐっと息を詰まらせる。 「そ、それは……」  確かに手のひらの傷はきれいに治って痛かったのが嘘のようだ。大怪我とは言えなかったけど、 あのままだったら何日もの間、痛みを感じていただろう。  だけど素直に彼にお礼を言うのには抵抗があった。なのでつい話を逸らしてしまう。 「それよりシガツの実力見るんじゃなかったの?」  だけど師匠は見逃してくれない。 「先程の守護と癒しの呪文で実力は充分判りました。話を逸らしてないでちゃんとお礼を言いなさい」  叱られるように言われ、マインはますますむっとして頬を膨らませた。  普段のマインだったら素直にちゃんとお礼を言えただろう。だけど今日はどうしても素直に謝る気には なれなかった。 「どうしたんですか、マイン。いったい何が気に入らないんですか?」  むっつりと黙ったままのマインに師匠が問いかけても答えようとしない。  それを見ていたソキが心配そうに、そして困ったように、マインに声をかけた。 「もしかしてマイン。シガツの事、嫌い?」 「え?」  いきなり核心に触れるように言われ、マインは動揺した。それを見てソキは悲しそうな顔になり、 言葉を続ける。 「なんかずっと、シガツの事怒ってるよね……?」  言われてみればソキの前でもシガツに対して嫌な態度をとってきた。ソキにとってはシガツもマインも 大切な友達だから、仲良くして欲しいと思ってるに違いない。  ますます悲しそうな顔になるソキを見て、マインは「それは……」「だって……」と口ごもった。 ソキの気持ちも分かるけど、それでもどうしてもシガツに良い顔をしようと思えない。  そしてマインはついに、爆発したように叫んだ。 「だってせっかく仲良くなったのに! ソキはわたしの大事な友達だから、ソキをとられたくなかったん だもん!」  涙ぐみながら叫び、マインはソキにひしっと抱きついた。  バカバカしいと思われるかもしれない。だけどマインは必死だった。  村にいる女の子と遊んだことがない訳じゃなかった。だけどソキみたいにずっと一緒にいて仲良く なれた子は、初めてだった。すごく楽しくて一番の友達って思えた。  なのにシガツが現れて、なんだかソキはシガツの方を優先しているような気がして……。シガツさえ いなかったら、ソキの一番はわたしなのにって思ってしまうマインがいた。だからつい、シガツに あたってしまった。 「何を言うかと思ったら……。すみませんね」  苦笑いしながらエルダがシガツに謝っている声が聞こえる。マインの保護者としてそうせずには いられなかったのだろう。 「いえ……」  シガツもちょっと困ったような笑みを浮かべていた。  そしてマインに抱きつかれたソキは、ちょっと驚いた後、嬉しそうに笑みを浮かべた。 「ありがとう、マイン」  その言葉にマインの手がゆるむ。まさか「ありがとう」と言われるとは思ってなかった。ワガママな 子だって呆れられるかもしれないと思ってたのに。  ソキはマインから体を離すと、彼女の両手を手に取りにっこりと笑った。 「ソキのこと、大事な友達と思ってくれるんだね。ソキも、マインのこと大好きだよ」  ふわりと浮かんだソキから優しい風を感じた。本当に嬉しそうな顔のソキに、マインも嬉しくなって へらりと顔が緩む。 「だからね、みんなで仲良くなれたら、もっと嬉しいと思うの」  そう言ってソキはちらりとシガツとエルダの方を見た。それに気づいたマインはぴくりと顔を硬く した。  ソキの気持ちは、分かる。自分の好きな人達には仲良くしていてもらいたい。  それでもまだ、どうしてもマインは素直になれなかった。ソキの友達なんだから悪い人じゃないって 分かってるけど、これまで取ってきた態度を思うと素直にシガツと仲良くしようとは思えない。  するとシガツがにこりと笑ってマインに話しかけてきた。 「まだひと月もたってないのにソキとマインさんがそこまで仲良くなってるとは思ってませんでした」  突然何を言い出すのだろうと、つい耳を傾けてしまう。 「やっぱ女の子同士だからなのかな。オレなんかとよりずっと早く仲良くなっててびっくりしましたよ。 ソキも初めての女の子の友達で嬉しそうだし」  シガツの意外な言葉にびっくりした。 「そうなの? シガツより早いの? 初めての女の子の友達なの?」  つい確認をとってしまう。するとソキはうん、とすぐに頷いてくれた。 「そっか」  ポワッと嬉しさが胸の中に生まれた。顔の筋肉が自然と緩む。  同じ友達なら男の子とより女の子同士の方がきっとずっと仲良くなれるよね。  ほわほわと温かくなる心を抱いて、何もかもが上手くいくような気がした。  マインはほんの少し頬を染めながら、コホンと咳払いをしてシガツを見た。 「じゃあ、シガツと仲良くしてもいいよ? でも、条件があるの」  表情を引き締め、ピッとシガツに向かって人差し指を立ててみせる。 「さん付けで呼ぶのはやめて。あと、丁寧語も。ソキと喋るときと同じで友達口調でいいから。 じゃないと堅苦しいじゃん」  ちょっと照れくさいけれど、真面目にそう言い放つ。するとシガツは嬉しそうに笑った。 「そうだね。ありがとう、マイン」  にこりと笑いかけられ、ぼっと顔が熱くなった。慌ててマインは顔を背けて、ふと忘れそうになって いた事を思い出した。 「こ、こっちこそ。ケガ治してくれてありがとうっ」  慌てて言ったせいか吐き捨てるような言い方になってしまったけれど、感謝してるのは本当だった。 だけど恥ずかしくて、どうしても素直に笑顔でお礼を言う事が出来なかったのだ。  そんなマインの気持ちを分かってくれたのか、シガツもソキもエルダも、みんな朗らかに笑っている。 「さて、みんな仲良くなれたところで修業に入りましょうか」  場の雰囲気を変える為にエルダはパンと手を打ち鳴らすとにっこりと笑ってそう言った。 「え? 今日は実力を見るだけじゃなかったの?」  修業と聞きころりと気分が変わったマインが、嫌な顔を隠すことなくそう口にする。 「誰がだけって言いました? マインはすぐにサボろうとする……」  あきれるようなエルダと不満そうなマインのやりとりがなんだか可笑しくてついシガツは笑って しまった。 「なんで笑うのよー」  笑うシガツにマインは怒ったように言うが、今までのようなトゲはもう感じられない。和やかな 雰囲気の中、会話を断ち切るようにエルダが言った。 「さあ、修業を始めますよ」  師匠の言葉に二人の弟子達は「はーい」と素直に返事をする。ソキも再びフワリと樹の上へと 移動した。  みんな、仲良くなれて良かった。  ソキもシガツもエルダも、そしてマインも、心の中でそう感じながら顔をほころばせる。  そうしてシガツの魔法修業初日は始まったのだった。

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