大人達の春祭り  監督不行き届きだったと思いつつ、エルダはため息をついた。  マインは風の精霊であるソキを祭りに連れて行きたがっていたのだから、もうちょっと気を つけておくべきだった。  だが済んでしまった事をあれこれ後悔しても仕方がない。  幸いエルダはこの村の人達に絶大な信用を得ていた。だからこそ既婚者で村長の娘でもある キュリンギが彼の元へと通い詰めても誰も彼を責めなかったし、魔物退治の依頼を受け余所の村へ 行ってくると言えば必ずこの村に帰ってきてくれと言われた。 「エルダ〜。こんな所にいらしたのね」  いつもより更に着飾り頬を紅潮させたキュリンギが、嬉しそうに胸を揺らしながら彼の元へと 駆けて来る。  先程まではあれこれ理由を付けて彼女から逃げ回っていたのだが、事情が変わってしまった。彼女に 気づかれないようため息をつき、エルダはキュリンギがやって来るのを待った。 「あっちでニールとマインちゃんが踊っていたわよ。わたし達も踊りましょうよ」  すいとエルダの腕を取り、キュリンギは彼をダンス会場へと連れて行こうとする。 「いえ……」  その場に立ち止まり、エルダは首を横に振った。 「ええ? 良いじゃない。……そういえばソキちゃんとシガツ君の姿が見えないわね?」  するどいキュリンギの指摘にエルダは息をつき、苦笑いした。 「その事について少しお話があるのですが、良いでしょうか?」  隠していても仕方がない。子供達はあれ以上騒がずにいてくれたけれど、ソキが風の精霊だという 事はその内村中に広まるだろう。それならば先にこちらから話をしておくべきだ。  そういう意味ではキュリンギはうってつけの人物だった。エルダの事を好いていてくれているから 味方になってくれるだろうし、村長の娘である分、発言力もある。ソキとも面識があるから彼女が 悪い子ではない事が分かってくれるだろう。 「? 何かありましたの?」  首を傾げ、エルダを見る。彼の方から話があるなんて切り出すのは珍しい事だ。という事は大切な 話なのだろう。  キュリンギはエルダの腕を放し、彼の正面へと立った。 「……ソキの事なのですが、実は彼女は風の精霊なのです」  真剣な顔をして言うエルダをキュリンギはじっと見た。  ソキちゃんが風の精霊?  にわかには信じられなかった。確かに線の細いきれいな子だとは思ったけれど、いたって普通の子に 見えた。マインちゃんとだってとても仲良く遊んでいたのに……。  けれどエルダがこんな真剣な顔をして嘘をつくとも思えない。 「隠すつもりはなかったのですが、知らせるのはもう少し後、時期を見てと思っていたのです。しかし マインがこっそり祭りに呼んでしまって……。ニール達を大変驚かせてしまったようで……。 申し訳ありません」  頭を下げるエルダにキュリンギは慌てた。 「大丈夫ですわ。エルダが安全と判断して星見の塔に置いているんでしょう? だったら誰も 反対しませんわ」  エルダに対する絶対の信頼。もちろん彼女が彼を好きだという事もあるけれど、他の人達も 同じくらい彼の事を信頼している自信がキュリンギにはあった。 「しかしニール達を怖がらせてしまったのは事実ですから」  すまなそうに言うエルダにキュリンギはにっこりと笑うとその手を取った。 「心配なさらないで。わたくしからも父に言って村のみんなに伝えますし、ニールにも言い聞かせて おきますから」 「ありがとうございます。助かります」  キュリンギの好意を利用しているようで胸がチクリと痛んだが、それで丸く収まるならとエルダは にこりと笑顔を作った。  ひとまずは安心か、と胸を撫で下ろした時、エルダの後ろに視線をやったキュリンギが突然眉を 曇らせた。  その視線をたどり、振り向いたエルダはそこにいた人物に苦いものを感じた。 「今晩は、星見の塔の魔法使い殿。お元気そうでなによりです」  エルダが見ている事に気づいた彼は声をかけてきた。 「今晩は。皆様もお元気そうで」  キュリンギの存在を無視するような彼の態度が気になりながらもエルダは当たり障りのない言葉を 交わす。 「新しいお弟子さんが入られたそうで。村の治安もますます安心になりますね」  キュリンギの夫である彼は村長の補佐をしている。だから村の益になる事は歓迎すべき事なのだろう。 「それともう一人、新しい子がいるとか……」 「はい。今その話を奥様にお話ししていたのです」  奥様という言葉にキュリンギもその夫であるサールもお互いに嫌な顔をした。しかしエルダは 気づかなかったふりをして言葉を続ける。 「村長にも聞いてもらいたいのですが、今村長はどちらに?」  エルダの問いにサールは後ろを振り返り、ひとりの女性を見た。大人しそうなその女性が控えめに 答える。 「村長は今、あちらで皆様とお酒を酌み交わしていらっしゃいます」  うつむき、決してキュリンギと目を合わせようとしない彼女がサールの恋人だという事はエルダも 知っていた。割り切っているキュリンギとは違い、彼女は不倫しているという事実を後ろめたく 感じているのだろう。  村の誰もがその事を知っている。キュリンギやマインの様にさっぱり気にしない村人もいれば 不道徳だと陰口を叩く村人もいる。陰口をたたかれれば辛いだろうに彼と別れないのは、きっと それだけ彼の事を愛しているのだろう。  かわいそうにとは思うものの、エルダはその事に口をはさむつもりは無かった。  ふと、村人達が自分達に注目している事にエルダは気づいた。  あからさまには見ていないが、チラチラとこちらを見ている視線をあちこちから感じる。 「では村長の所に行きましょうか」  逃げ出すようにエルダはそう告げ、歩き出した。  村長はご機嫌な様子で酒を飲んでいた。大らかなのか気にならないだけなのか、娘夫婦とその 不倫相手が揃って彼の元へとやって来てもそのまま酒を飲み続けている。 「お父様、星見の塔の魔法使いからお話があるそうなの」  キュリンギがエルダの名前を呼ばずに「星見の塔の魔法使い」と言ったのは、これからする話が 大切なものだと分かってもらう為だった。  娘の意志を汲み取り、村長は酒の入ったコップをテーブルの上へと置いた。 「どうされましたかな、魔法使い殿」  村長の他にも様々な人達がそこでお酒を飲んでいたのが気になったが、どうせ村中に知れてしまう 事だ。エルダは覚悟を決め、先程キュリンギに話したのと同じ事を村長に話し始めた。  話を聞き終えた村長は「ふむ」と軽く頷くとコップを手に取りお酒をグビリと飲み込んだ。  周りで一緒に飲んでいた村人達は不安そうに魔法使いと村長の顔を見ている。 「魔法使い殿も一杯どうかね?」  自分の杯におかわりを注ぎ、その酒のビンをエルダへと差し出す村長。エルダがやんわりと断ると 「そうかね」とちょっと残念そうに頷いた。 「あの……。その精霊は本当に危なくないのかね?」  エルダの話に村長が何も言わない事にしびれを切らして村人の一人が訊いてきた。 「ええ。彼女は人間にとても友好的です。一緒にやって来たシガツとも友情を築いているようですし、 マインとも仲良くしています。とはいえ、彼女に対して敵意をぶつければ人ならざる力をふるわない とも限りません。ですから村には近づかないようには言っておきます」  エルダの言葉に数人の村人が不安そうに眉を曇らせた。しかし村長は「結構結構」と大声で笑い出す。 「村長、何が結構なのですか。敵意を向けたら我々に害をなすかもしれないのですよ」  質問してきた村人が村長へとくってかかる。しかし村長は大らかに笑いながら酒をコップに 継ぎ足した。 「敵意を向けたら害をなす。それは精霊だろうと人間だろうと同じじゃないか。余所者だからと 敵意を向け相手を怒らせれば矢を射かけてくる人間もいる。何が違うのかね。相手が友好的ならば わざわざ敵意を向ける必要もあるまい」  楽観的なのか大物なのか、村長はそう言って笑うとまた酒のコップを傾けた。  正直、村長にそう言ってもらえるのは助かった。まわりにいる村人達は「村長がそう言うなら 心配ないか」と納得し始めているし、キュリンギがそこへにっこり笑って付け加えてくれる。 「わたくし彼女に会った事がありますけど、ちっとも怖くなんてありませんでしたわ。普通の女の子と 変わらなかったですわよ」  キュリンギに言われ誰もがそれ以上、意見を言うのをやめた。  とはいえ、エルダは村人にもう一度声をかける。 「もし彼女の事で何か問題が起こりましたら遠慮なく言って下さい」  魔法使いにそう言われ、村人の一人がほっとしたように言う。 「そうだよな。万が一の事があっても魔法使い殿が助けてくれる。心配ない」  その一人の言葉に他の村人達も同意するように笑顔になる。 「そうだな。魔法使いがいるから大丈夫だ」  そんな言葉を口にしながら村人達は再び酒を飲み交わし始めた。  そこまで信頼してもらえるのは嬉しい反面、少し心配でもある。万が一の事があった時に、ここに 居られなくなってしまうのではないのだろうか。  考えすぎだとは思いながらもそんな不安を抱きながらエルダは村長へと会釈をした。  村長もそれに気づいたのか、杯をちょっと掲げにやりと笑って中身を飲み干す。そして不意に娘へと 目を向け口を開く。 「時にキュリンギ。孫の顔はまだ拝めそうにないか」  父親の言葉にキュリンギは顔をしかめた。 「……孫の顔を見たいならサールとの離婚を認めてって言ってるでしょう? それともこのまま 彼以外の子を身ごもりましょうか?」  エルダは一瞬ヒヤリとした。自分の名前が出るのではと思ったのだ。しかしさすがにキュリンギも こんな公の場で不倫相手の名前を出すのは控えたらしい。いや、実際には不倫などはしていないが。 「バカな事を言うんじゃない。サールはわしの跡取り、そしてその息子がその跡を継ぐんじゃぞ。 わしはわしの血の繋がった孫に跡を継いでもらいたいんじゃ」  村長としては切実な願いだった。愛する妻を早くに亡くし、子供はキュリンギ一人だった。だから 血縁のあるサールをキュリンギの許嫁と決め早い内からこの村をまとめていく術を教えてきたのだ。  しかしキュリンギからしてみれば良い迷惑だった。 「わたくしは別に自分の子供がこの村を治めなくても良いですし、そんなに血の繋がった者に跡を 継がせたいのでしたら今からでもお父様が後妻をもらえば済む事ではありませんの」  自分は愛する妻の事が忘れられず、後添いを迎えようとはしないのに、どうしてわたしの気持ちは 分かってくれないのだろう。  キュリンギは悲しくなりながらも父親に訴える。  そんな父娘のやりとりをエルダは冷や冷やしながら見ていた。  けれど実は、滅多に村に来ないエルダは知らなかったが、こんな村長親子の会話は日常茶飯事で村の 大人達は誰もが知るところだった。  もちろん賛成する者も反対する者もいる。けれど結局のところ家族の問題だからと周りの者は 見守っているのだ。 「くだらん事を。わしの跡継ぎはサールに決まっておるし、その跡継ぎはサールとお前の息子だ。 ぐだぐだ言ってないで早く子供を作りなさい」  先程のソキの件ではあんなに大らかだったのが嘘の様に頑固親父のようになる村長。そしてその とばっちりは娘婿であるサールへも飛ぶ。 「サールも。余所に愛人を作るなとは言わん。が、まずは奥方であるキュリンギを大切にして もらわんと」  ジロリと睨まれサールは唇を噛みしめた。  その時、ダンスをしている人達の輪からわあ、と歓声があがった。見ると村一番のダンス上手な 女性が鮮やかな踊りを披露している。 「わたし達も踊りましょうよ、エルダ」  皆がそちらに気を取られている内に、とキュリンギがエルダを誘う。  エルダは一瞬迷ったが、ちらりと目の端にサールと相手の女性がその場を抜け出す姿が映り、 キュリンギが差し出した手を取った。 「ダンスは不得意ですので勘弁して下さい。けど、よろしかったらあちらでお茶でも飲みましょう」  不倫をするつもりはない。けれどソキの事で気持ちよく味方になってくれる事を約束してくれた 彼女をこのままここに独り置いて行く程、エルダは非情ではなかった。  少なくとも友人としての彼女は嫌いではない。  そう思いながらエルダはキュリンギに微笑みかけたのだった。

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