すっごく綺麗な女性が突然訪ねて来たんですけど? その1  こっちに来る前季節は夏だった。うだるような暑さでクーラー無しでは過ごせなかった。  こっちに来て色々あって、季節がどうとか考える暇なんでなかったけど、どうもこっちも夏だった らしい。ただ、こっちの世界がそうなのか、それともここがたくさんの木々に囲まれた森だからなのか、 クーラー無しでも過ごせるくらいには涼しい。  そんな森の中をクロモと一緒に歩いて帰る。  飛び出して来た時はクロモを捜すのに必死で気が付かなかったけど、舗装のされていない道は歩き にくい。しかも慣れないロングスカートだし、足元も歩きやすいスニーカーではなく、ちょこっと オシャレな靴だった。なので普通に歩いていてもすぐに転びそうになる。  だから、繋いだクロモの手がとても心強かった。  ちょっぴり恥ずかしい気持ちもあったから、ついいつも以上にどうでもいい話を一人で喋り続けて いた気がする。クロモはそれを嫌な顔せずに聞いていてくれた気がした。  家の前まで着くとクロモは入り口ではなく別の場所へとわたしを導いた。 「どこに行くの?」  尋ねるとクロモがくすりと笑った気配がした。 「ドロドロのまま入るつもりか?」  言われてカァッと顔が熱くなる。 「そうだった。転んだり滑ったりで泥だらけなんだった。このまま家に入ったら家が泥だらけに なっちゃうよね。掃除がたいへんだよね。ごめん」  クロモが連れてってくれたのは家のすぐ近くにある小川だった。助走をつけて飛べば越えられそうに 思えるくらいの、ほんとに小さな川で、水深もそんなにないけれど、とても綺麗な水が流れている。 「ここで落とすといい」 「え? こんな綺麗な水、汚しちゃっていいの? 怒られない?」  びっくりしてクロモを見る。けど、クロモの方もわたしの言葉にびっくりしたみたいだった。 「川でなければどこで落とすつもりだ?」 「え? お風呂場とか……? そういえば昨日はあんまり疲れてたんでお風呂入るの忘れて寝ちゃった から、場所知らないんだった。もしかして、入り口から遠いから足だけでもここで洗って行った方が 良いのかな。足だけならたいして川の水も汚れないだろうし……」  首を傾げ尋ねるわたしにクロモは考えるように口元に手をあてる。 「オフロバとは、何だ?」 「へ?」  真面目に問いかけてくるクロモに、間抜けな声で返してしまった。  けど、ちょっと待って。 「お風呂……もしかして、この世界にはなかったりするとか? ああ、そういえばわたしのいた 世界でも国によってはシャワーしかない国があるとか聞いたことがある。でもってここってまだ 水道設備が整ってなさそうだから、シャワーも無かったり? だから川なのか! けど、え? 今は まだ季節的に大丈夫だけど、冬とかどうしてるの? ていうか女の子も川で身体洗うの? 足出しちゃ ダメとか言ってて、外で裸になるの?」  半分パニックになりつつ、クロモに尋ねる。囲いも何もない外で裸になるなんて、絶対無理!  わたしの問いかけにクロモも動揺したように答えてくれる。 「いや、ふ、服を脱ぐ必要はない。ここでは服のまま、大まかな汚れを落としてほしいだけだ。 ……普段は、部屋で湯で絞った布で身体を拭いている……」  オロオロしているクロモはフードでよく見えないけれど、たぶん赤くなっているんだろう。そして わたしも真っ赤な顔のままで、動揺が治まらない。 「そそそ、そっか。布で拭いてるんだ。ボディソープ……とか石鹸とかって、そんな感じじゃないよね、 たぶん。髪はどうやって洗ってるんだろ……。とにかく取り合えず、ここで大まかに洗い流しちゃえば いいんだね。うん、分かった」  なんかもう恥ずかしくてわけ分かんなくなって、パシャパシャと川の中へと入って行く。 「気を付けないと……」 「え?」  声を掛けられ振り向こうとした途端、川の流れに足を取られた。 「きゃっ」  バランスを崩し、思いっきり水にダイブする。おかげで洗い流す前に全身びしょ濡れになって しまった。 「大丈夫か?」  ザブザブと躊躇する事なく川に入って来たクロモがわたしを助け起こしに来てくれる。  少しだけど、水を飲み込んでしまって、咳込む。 「だ、大丈夫……だけど、ケホッ。うう、足、挫いちゃったかも……」  クロモに手伝ってもらって立ち上がった時、右足にズキリと痛みが走った。体重をかけると、痛い。 「歩けるか?」 「うーん。ゆっくりとなら、なんとか……。わっ」  歩こうとして再び足を取られてバランスを崩してしまう。けど今回はクロモの手を握っていたので 水の中に倒れる事はなかった。その代わり、思いっきりクロモにしがみついてしまったけど。 「無理するな」  そう言ってわたしの体勢を整えさせてくれると、クロモはいきなり、いつも羽織ってるフード付きの ローブを脱ぎ、わたしの肩へとかけてきた。 「え? どうしたの? あ、もしかしてわたしが濡れたから寒いと思った? 大丈夫だよ。涼しいとは 思うけど寒さまでは感じてないから」  びっくりするわたしの意見を無視しながらクロモはローブの前を合わせる。 「いいから着とけ」  そしてクロモは前かがみになったかと思うと、いきなりわたしを抱き上げた。いわゆる、お姫様 抱っこというやつで。 「え? あ? なんで?」  更にびっくりして、身体を動かす。 「暴れるな。落とす」  ぶっきらぼうに告げるクロモの顔が赤い。 「ごご、ごめん。そっか、わたしが足挫いたから。ありがとうクロモ。わたし重いでしょ。服も 水含んで更に重くなってるだろうし。あ、でもそれならやっぱり、せめてローブ脱いだ方が……」 「いいから黙ってしがみついとけ」  半分怒ったように言われ、しゅんとなってわたしは「はい」と答えた。  元々クロモは無口なほうだから、それ以上は何も言わなかった。わたしも「はい」と答えた以上、 しがみつかなきゃと思ってクロモの首に手を回す。すると赤かったクロモの顔がますます赤くなった。 というか、顔が近い。わたしもカーッと顔に血が上る。 「えーっと、クロモって回復系の魔法とか、使えないの? 挫いた足魔法で治してもらえたら自分で 歩くよ」  妙にドキドキしながら早口で告げる。こんなに誰かと顔を近づけた事なんてなかったから、 意識しないわけがない。しかも今クロモはフードを被っていない。キラキラフワフワの金髪と透き通る 青い瞳の整った王子様フェイスがすぐそばにあると思うと、ドキドキしない方がおかしい。 「……怪我を治す魔法は知らん」  クロモは前を見たまま、答える。口調のせいか、顔を真っ赤にして怒っているようにも見える。けど、 恥ずかしくてうつむいた時に気が付いた。わたしのじゃないドキドキが、伝わってくる。クロモも ドキドキしている。  そう考えるとますます恥ずかしくなってわたしは上を向けなくなった。  家に着くとクロモはそのままわたしの部屋まで連れて来てくれた。いつか漫画で読んだ、「新婚さんは 花嫁を抱きかかえたまま家の扉をくぐるものだ」と言いながら実行するシーンを思い出し、ますます ドキドキする。しかもふりとは言え、わたし達も一応新婚だし。  いつもはお喋りなわたしだけど、この時ばかりは何を喋ったらいいのか分からなくて、ずっと黙った ままだった。  部屋に着くとクロモは「立てるか?」と言ってそっとわたしを床に降ろした。 「湯と布を用意してくるから、足に気を付けながら着替えを用意していろ」  真っ赤になって照れているせいだろうか、クロモはあまりわたしを見ないようにしながらそう言って 部屋から出て行こうとする。 「あ、うん。ありがとう」  わたしも恥ずかしかったけど、お礼はちゃんと言いたかったしそれに滅多にクロモの顔を見れない 事を思い出してじっと見つめながらお礼を言った。  クロモはやっぱり照れくさいせいか「いや」と一言だけ言って振り返らずに行ってしまった。  扉を閉め、溜め息をつく。  随分迷惑かけちゃった。もちろん悪気はなかったんだけど、わたし迷惑かけすぎでしょ。  軽く落ち込みながらふとクロモのローブを羽織ったままだった事に気づいた。慌てて、ローブを脱ぐ。 ずぶ濡れのまま羽織っていたからローブもぐっしょりと水分を含んでしまっている。  悪い事しちゃったな。  濡れたローブを見ると、申し訳なくなる。けど、濡れて冷えた身体を包んでくれたのは、嬉しかった。  ローブを衝立にかけようと、足に気を付けながら歩こうとしてその時初めて気が付いた。濡れた服が、 ピッチリ身体に張り付いてる。 「え? ちょっと待って。これって……」  鏡が無いから全身の確認は出来ないけど、それでも分かる。足も腰も胸も、何もかも張り付いて 身体の線がはっきりと出てしまっているし、部分によっては肌の色が透けて見えている。 「ウソっ。やだっ」  今更だけど自分の身体を隠すように自分を抱きしめる。クロモがローブを羽織らせた意味が、 寒いだろうからというだけではなかった事に今更気づいた。  恥ずかしさにパニックになってる時に、クロモが戻って来たようでドアにノックの音が響く。 「あ、はい。ちょっと待ってっ」  動転して慌ててバタバタと走って隠れようとする。と、すかさずクロモの声がドアの向こうから 聞こえてきた。 「慌てるな。すぐにはドアは開けない。足がますます悪くなる」  焦って足を痛めている事さえ忘れていたわたしは、クロモの言葉に痛みを思い出した。声が出そうに なるのを必死に抑え、クロモの言葉に甘えてこれ以上足が悪くならないようゆっくりと歩いて衝立の 向こうへと隠れる。 「ありがとう。もういいよ」  わたしの返事から一呼吸おいて、クロモは扉を開けて入って来た。 「湯はここに置く。少し熱めにしてあるから、最初は気をつけろ。隣にいるから、終わったら呼べ」  ぶっきらぼうに告げると、パタンとクロモが出て行く気配がした。  ふうっと息をつく。けどまだ胸はドキドキしている。  抱きしめていたクロモのローブを衝立に掛け、痛めた足に負担をかけないようゆっくりと歩いて クロモの入れてくれたお湯の方へと近づいて行った。  桶にたっぷりと入れられたお湯は、恐る恐る手を浸けてみるとちょっと熱めのお風呂くらいの 温度だった。温水器なんて無いだろうから、この短時間にこれだけのお湯を用意したって事は魔法で 沸かしたんだろうか。  恥ずかしさを忘れるため、そんな事を考えつつ部屋のカーテンを閉める。それから着替えをまだ 出していなかった事を思い出し、衣装箱を開けた。  ドレスは朝さんざん取り出してどれにしようか迷ったから、すぐに決めて取り出した。問題は、 下着だった。どこを探してもそれらしいものが見当たらない。ブラはこの世界にはないかもしれないって 半分覚悟していたけど、ショーツの類いも見当たらないなんて、どーいう事?  オロオロしながら他に衣装箱がないか、それに小さな箱や入れ物も全部開けてみた。けどそれらしい ものは見つからない。  くしゃみが出て、せっかくのお湯が冷めかけている事に気づいた。  あんまり遅いとクロモが心配してやって来てしまうかもしれない。  慌てて濡れた服を脱ぎ、お湯で絞った布で身体を綺麗に拭いていく。  お風呂じゃない場所、普通の部屋で裸になる事なんてなかったから、落ち着かない。  手早く済ませると用意していた服を着た。……下着なしで。  落ち着かない。裸よりはマシとは言え、恥ずかしくて不安で心もとない。  終わったら呼べとクロモは言ったけれど、こんな状態で呼ぶ気にはなれなかった。  それでもあんまり時間がたつと、やっぱりクロモは心配するわけで。 「大丈夫か? 何か問題でも起きたか?」  ノックと共にドアの向こうからクロモが声をかけてくれる。 「だ、大丈夫。あの、足かばって動いてたからちょっと色々と遅くなっちゃっただけだから。その、 もうちょっとで終わる……けど、えーっと。洗い終わったら悪いけど、足が痛むからベッドで 休んどくよ。色々と心配かけちゃって、ごめん。それと、ありがとう」  ホントとウソを織り交ぜながら告げる。ベッドの中に入ってれば少しはシーツで隠せるから、 わたしはそのままベッドへと移動する。  本当はクロモに下着のある場所を聞くのが一番早いんだろうけど、普通の時でさえ切り出しにくい 話題を、あんな水に濡れて身体の線バッチリ見られた直後に言い出す勇気はなかった。 「そうか。では湯は後で取りに行く。……無理するなよ」  最後のひと言に胸がキュッとした。  クロモは優しい。  もちろんこっちの都合もおかまいなしに召喚したり何も言わずに出て行ったりと自分勝手なところも ある。それでも、わたしの為にお湯を用意してくれたりこんな風に声をかけてくれたりして、とても 優しい人だ。 「うん、ありがとう……」  クロモが扉の向こうでわたしの返事を待っていてくれたかどうかは分からない。それでもわたしは 嬉しくて、そう呟いた。

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