すっごく綺麗な女性が突然訪ねて来たんですけど? その2  ベッドに入り、これからどうしようと考え始めたところで、家の外がなにやら騒がしくなった。 大きな声とバタバタと音を立ててやって来る足音。きっと昨日のおじさんだ。 「今はダメだと言っているでしょう」 「姫、入りますぞ」  バタンと音を立てて、扉が開けられる。  『あ、まずい』と思った。下着類はクロモに見られるのも恥ずかしいからしっかり絞って目の つかない場所に隠してるけど、濡れたままのドレスはクロモのローブと一緒に衝立に掛けたままだ。 冷めたお湯の入った桶もそのまま置いてある。  きっとおじさんが不審がる。  だけどおじさんは、開けたのと同じくらいの勢いでドアをバタンと閉じると向こう側から謝ってきた。 「し、失礼いたしました。沐浴中とは露知らずっ」 「だから今はダメだと言ったでしょう」  クロモが怒ったようにおじさんに言っている。クロモが怒ってくれているせいか、わたしは 怒る気にはなれなかった。考えてみればタイミング悪ければ裸見られちゃってたんだろうけど、 今は一応服を着てベッドの中に入っている。  けどおじさんはたぶん、一番最初にお湯が入った桶を見てそれだけで慌てて扉を閉めちゃったん だろう。ドアの向こうでおじさんは頻りにクロモに謝っている。  なんでクロモに謝るの? とも思ったけど、結婚してるフリをしてるんだった。奥さんの裸 見ちゃって(実際は見てないけど)すぐ傍に旦那さんがいたら、そりゃ謝るよね。  あんまりおじさんが平謝りしている声が聞こえてきたから「大丈夫、気にしないで」と言って あげたかったんだけど、口を開きかけて今喋れない設定だったと思い出した。  しばらくおじさんとクロモのやり取りがあった後、ノックの後声をかけてクロモが部屋に入って来た。  喋るなよというゼスチャーの後、念の為か例の声が出なくなる魔法を掛けられる。  そんな事しなくても喋ったりしないよと言いたかったけど、昨日今日でわたしのお喋り具合を 知ったクロモからしてみれば心配だったんだろう。仕方がない。  それからクロモは衝立に掛けてあった自分のローブとわたしのドレスをどこかに隠し、お湯の 入っていた桶を片付けた後、何か小さな容器を持ってきた。なんだろう。 「手、出して」  言われるままに手を出すと、クロモはその小さな容器を開け指ですくい取る。そしてそれを わたしの腕にあるすり傷に塗り始めた。 「!」  薬だっていうのは分かったけど、しみる。痛い。つい避けようと引きかけた手をクロモに取られた。 「しみるだろうが、我慢してくれ」  今更言う。塗る前に言ってほしかった。  手にあるすり傷に全部塗り終えるとクロモは薬の容器をわたしに渡した。 「他にも傷があるようなら、後で自分で塗ってくれ。取り合えず客人を入れる」  客人……おじさんの事だろう。  わたしはコクリと頷きお姫様らしく見えるよう姿勢を正した。 「どうぞ、お入り下さい」  クロモに促され、おじさんが「失礼します」と入ってくる。 「姫。わたくしの事が分かりますか?」  おじさんの問いに首を振ってみせる。 「おかわいそうに。こんなに傷だらけになられて……」  わたしの腕のすり傷に気づき、おじさんは『昨日崖から滑り落ちた時に付いた傷』と思ってくれた らしい。 「彼女を襲った者について、何か分かりましたか?」  そんな人いるわけないって分かってるはずのなのに、白々しい。クロモがフードで表情を隠したまま、 おじさんに尋ねている。  おじさんはクロモの方に向き直ると、神妙な顔で首を振った。 「残念ながら、これといった情報は得られておりません。そもそも姫が狙われる理由すら、 分からないのです」  そりゃそうでしょ。実際にはお姫様が自分で逃げ出して起こしちゃった事故なんだから。  だけどそれを隠したいクロモは「そうですか」ともっともらしく頷いている。 「もしかしたら、私の考えすぎだったのかもしれません。姫自身ではなく、姫の持参金を狙って やって来た物盗りに追われ、足を滑らせたのかもしれません」  いつの間に考えたんだろう、新しい説をクロモが唱える。 「持参金? クロモ殿はほとんど断られ、姫は最低限の物しか嫁入り道具として持って来なかったと 聞いておりますが」 「現実を知る者がどれだけいるでしょう。末姫とはいえ国の姫が嫁ぐのなら莫大な財産が付いてくると 思い込んでいる輩は少なくないでしょう」  なんとなく、クロモの声に軽蔑する声が含まれているような気がした。 「ふむ」  そんなクロモに気づいているのかいないのか、おじさんは顎に手をやり考えている。  そこへ、家のドアをノックする音が聞こえてきた。 「誰か来たようだ。失礼」  ひと言断ってクロモは突然訪問者の確認に向かう。当然おじさんと二人きりになってしまう わけで……気まずい。  クロモが完全に出て行ったのを確認しておじさんがわたしのいるベッドへと近づいて来た。クロモに 魔法を掛けてもらっているからうっかり喋っちゃう心配はないけど、なにか不安で思わず逃げるように ベッドの中で尻込みした。 「姫。本当に記憶がないのでございますか?」  ついおじさんが怖くて「いやいや」と首を振ってしまった。それをおじさんは否定と受け取ったのか、 ますます近くへと寄って来る。 「何か覚えていらっしゃるのですか?」  ずい、と寄られてわたしはますます怖くなって激しく首を振った。  そこへパタパタと足音を立てながらクロモともう一人、とても美しい波打つ金の髪をなびかせた 女性が入って来た。 「勝手に入るなっ」 「あら、どうしてダメなの? 愛しいわたしのクロモが結婚したんですもの、ひと言くらい花嫁様に 挨拶しないと」  おじさんもわたしもびっくりして固まる。  この女性は、誰?  そういえばお姫様と恋仲ではなかったという話は聞いていたけど、クロモに恋人がいたのかは 聞いた覚えがない。  てことは、この人クロモの恋人? もしかしてお姫様にクロモを横取りされた形になって、怒ってる?  サァッと顔から血の気が引いた。  実際にはお姫様の方も別に好きな人がいてクロモと結婚したかったわけじゃないんだけど、その事を この人が知るわけがない。そんで今はわたしがお姫様って事になってる。つまりこの人の敵意は わたしに向けられるって事だ。  同じように思ったのか、すかさずおじさんが立ちふさがるようにわたしを背にして立った。だけど クロモは口では「入るな」とか言ってたのに、その女性がこちらに近づいて来るのを止めようとする そぶりはなかった。  やっぱりあっちは本当の恋人でわたしはニセモノの花嫁だから? 「とまれ。姫に害をなすつもりか」  おじさんが女性に向かって制止する。女性は一応立ち止まりはしたものの、腕を組みおじさんを ねめつけた。 「どうしてわたしのかわいいクロモのお嫁さんを傷つけなきゃならないのよ。だいたい貴方、誰?」  バチバチと二人の間に火花が散るのが見えた気がした。  そんな二人に割って入るように、クロモの深い深いため息が聞こえてきた。 「誤解を生むような言い方をする方が悪い。失礼。これは我が姉のミシメです」  クロモの言葉に、その女性の顔をじっくりと見た。そういえばキラキラ光る綺麗な金髪も、 透き通った空みたいな青い瞳も、よく似てる気がする。滅多にフードの奥の顔を見せてはくれない けれど、顔だちも似てる気がする。 「それは、失礼を。私は王の……」 「貴女がニシナちゃんね? わたしはクロモの姉のミシメよ。これから仲良くしましょうね」  にっこりと、ミシメさんはおじさんを無視してわたしに話しかけてくる。もちろんおじさんとしては 面白いはずがない。 「わたしのかわいいクロモはどちらかというと奥手だからお嫁さんなんてまだ先の話と思っていたから、 嬉しいわ」  わたしに話しかけてくるミシメさんの後ろで、クロモがおじさんをなだめてるっぽいのが見えた。  ニコニコと笑いながら話しかけてくるミシメさんにほんのちょっと身体を引いてわたしは曖昧な 笑顔を作った。  それに気づいたミシメさんがほんの少し顔を曇らす。 「なあに? 緊張してるの? それとも……」 「姉さん、彼女は記憶を失ってるんだ。あまり脅さないでくれ」  気づいてくれたクロモが、かばってくれる。 「失礼ね。誰が脅したっていうのよ」  怒ってミシメさんはクロモに反論するけど。  正直に言うと怖かった。クロモの声を冷たいと思う事はあっても、その瞳を怖いと思った事は無い。 だけどクロモとよく似た瞳のはずなのに、ミシメさんの瞳は怖かった。  だけど今、クロモと言い合いをしているミシメさんの瞳は恐ろしくはない。きっと「かわいい」とか 「愛しい」とか付けてクロモを呼ぶのは冗談ではなく本気なんだろう。  そんなかわいい弟の元へ嫁いできたお姫様だから、もしかしたら本当は気に入らないのかもしれない。 「それに姫は崖から落ちてしまわれたショックで、言葉を失っておられるそうだ」  わたしをかばうように言ってくれたのは、おじさんだった。 「記憶喪失で、口が利けない……?」  吟味するようにミシメさんは呟いた。かと思うと突然パッと表情を変え、心配そうにわたしに 語りかけてくる。 「まあ、可愛そうに。崖から落ちただなんて! そういえばあちこちすり傷だらけじゃない。 女の子なのに!」  がばっと突然抱きしめられ、戸惑った。これ、いったいどういう状況なのかしら。 「姉さん!」  止めるようにクロモが言ってくれるけど、ミシメさんはやめようとはしてくれない。  目を白黒させパニクってると、ようやくミシメさんはわたしを放してくれた。 「とにかく、彼女はまだ安静にしてもらわなければいけませんから。部屋を移動しましょう。 お二人とも彼女の顔は見たんですから、もう良いでしょう」  咳払いをしてそう言うと、クロモは二人を追い出そうとしてくれる。けど二人共、それに従おうとは しれくれなかった。 「いや、姫にも用があるのです。姫、こちらに来られる際最低限の世話で良いとお一人しか侍女を 連れて来られませんでしたが、その侍女の代わりはどういたしますか? とりあえず三名程手配させて おりますが」  え? 侍女? いやいやいや。困る。そんな人が来たらずーっと魔法掛けてもらって黙ってなきゃ いけなくなっちゃうし、四六時中誰かがいたら、絶対ボロが出ちゃうよ。  ぷるぷると首を振り、助けを求めるようにクロモを見る。 「彼女の世話はこちらでやります。侍女は必要ありません」  キッパリとクロモが断ってくれてホッとする。だけどおじさんも折れてくれない。 「王族でなくなったとはいえ、仮にも末姫様ですぞ。一人の侍女も付けないのは……」 「ここに嫁いで来た以上、もうお姫様ではなくクロモのお嫁さんだわ。ここの暮らしに慣れて もらわなくちゃ」  おじさんに反論してくれたのは、ミシメさんだった。 「とはいえ、しばらくは彼女の世話をする人が必要よね」  えー。ミシメさん味方じゃないの?  思わずぷるぷると首を振ってしまう。  おじさんは味方がいたと喜ぶように笑顔で口を開く。 「そうでしょう。ですから侍女を何人か……」 「侍女はいらないわ。わたしが世話をするから」  にっこり。ミシメさんはわたしに笑顔を向ける。  その迫力のある笑顔に押されて、ついわたしはコクリと頷いてしまった。 「し、しかし!」 「姉さんには姉さんの家庭があるでしょう」  反論したのはおじさんと、それからクロモだった。 「あら、愛しい弟とその可愛いお嫁さんが困ってるんですもの。それを手助けして怒るような 主人じゃありませんわ」  にっこり。言葉はクロモに向けているようだったけど、その笑顔はおじさんに向けられていた。  おじさんもわたしと同じ様に、蹴落とされたように困惑しながらミシメさんの言葉に頷く。 「とういわけで、お引き取り願えますかしら? それと、しばらくはこの家に近づかないで いただきたいの。貴方の大声はこの子を怯えさせているようだから」  笑顔のまま、ミシメさんが言う。 「何か御用のある時は手紙でクロモを呼び出して下さいな。ミムクノ村で落ち合ってお話下されば 良いと思いますの。わたくしの可愛い義妹の心配をありがとうございます。わたくしが責任をもって お世話しますから。では」  ミシメさんはあの笑顔のままズイズイとおじさんに近づき、その迫力に押されたおじさんは じりじりと後退し、やがておじさんが部屋の外まで出たところで、ミシメさんはパタンとドアを 閉めてしまった。  ミシメさんの圧勝だ。  それでもおじさんは鍵の掛からないドアのすぐ外にいるわけだから、もしかしたら戻って来るかもと 思ったけど、そのまま家を出て行く気配がした。  ホッと息をついた。ひとまず一人は帰ってくれた。  だけどもう一人、いる。強敵のクロモのお姉さん、ミシメさんが。  ちらりとそちらを見ると、にっこりと笑顔を返された。

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