なにを怒ってるの? 必要ないって、なにが? わたしが? その1  正直言ってお姉さんがいてくれて助かった。やっぱり男の人には訊きにくい事ってどうしても あるもん。  そんなわけでクロモには訊けない事を色々と教わったんだけど……。衝撃的だったのは、この 世界には下着がない! って事だった。  正確には、この世界にはこの世界の下着があるんだけど、女性用の下着はスリップみたいなのとか、 チューブトップのワンピースみたいな感じの薄手の物とかだった。それをドレスの下に着る事で汗は 下着が吸うからドレスの洗濯の頻度が減るらしい。  ブラがこの世界にないかも、というのは多少予想していた。この世界の下着やドレスは胸の部分が 少し厚めに作られているから、それがちょっとはブラの役目をしているのかもしれない。  けど下は? なんでショーツが無いの? 「そんなもの身につけないわよ?」  そうお姉さんに言われて頭がクラクラした。恥ずかしすぎる! ずっと穿いてないままなんてっ。  けど同時に朝のクロモの事を思い出し、理由が分かった。確かに穿いてないのにスカート短かったら、 エロイよね……。そんな感じでヒザ上のミニスカートも穿いてたなんて思われてたんだと思うと、 恥ずかしくて顔から火が噴き出そうだった。  他にもお姉さんには色々な事を教えてもらった。特に助かったのは、下着が無いなら生理の時は どうしてるのかとか。それをクロモに訊くなんて、すっごい抵抗あるし、そもそもそれを彼が 知っているのかさえ怪しい。  ホントにホントに、お姉さんがいてくれて、助かった。  思いつく限り一通り知りたい事を教えてもらうとお姉さんはふうっとため息をついた。 「疑ってたわけではないけれど、本当に異世界から来たんですのねぇ……」  しみじみとお姉さんが呟く。 「わたしもこんなに色んな事が違うと、ホントに違う世界に来ちゃったんだなぁって思います。 最初は信じられなかったし、本当だって分かってからもなんでって思ったけど、いつまでも クヨクヨしてても仕方がないし、クロモも帰る方法を探してくれるって言ってたし、だったら 困ってるクロモを助けてあげようって思って。お姉さんも親切だし、良かったです」  今も不安はいっぱいあるけど、それは考えないようにして良かった事を口に出す。  お姉さんはそんなわたしをキュッと優しく抱きしめた。 「本当に貴女がクロモのお嫁さんになってくれて嬉しいわ。クロモは優秀だけど抜けているところが あるから色々と迷惑をかけるでしょうけれど、どうぞ力になってやってちょうだいね」  ハグされてちょっと気恥ずかしくってワタワタしてしまう。けど、お姉さんは本当にクロモを 愛してるんだなぁと思ったり。だけど。 「あの、どっちかっていうと迷惑をかけてるのはわたしだし、もちろんクロモの力になれる事は 頑張ります。でもお姉さん、ひとつ誤解が……。わたしはあくまでフリであって、本当にお嫁さんに なったわけじゃあないんです。クロモもわたしを元の世界に戻す方法を探してくれるって約束して くれましたし、それまでの間の仮のお嫁さんなんです。だからその……期待させちゃって、 ゴメンなさいっ」  だんだん申し訳なくなってきて、ペコリと頭を下げる。せっかくお姉さんは本物のお姫様じゃない、 どこの世界から来たかも分からないわたしを受け入れてくれたのに。  頭を下げるために離れたわたしの肩をお姉さんはポンと優しく叩いてくれた。 「元々クロモが悪いのに、ここにいてくれるだけで充分よ。それにお嫁さんの件は、すぐにでなくても いいのよ。一緒にいて、クロモの事が嫌いでなかったら考えてみてちょうだい」  にこり。無理強いはしないけど、期待たっぷりという瞳でお姉さんがわたしを見つめる。 「え、えーっと、その。今はまだこの世界に慣れるのが精一杯なんで……」  そう伝えるのがやっとだった。  日が傾いてきた頃、またまた誰かがやって来た気配がした。  お姉さんに「喋れないフリをしなくちゃいけないんで、黙りますね」と告げて口を閉じる。 お姉さんも「そうね」と言いながら、色々と説明してもらう為に出したお姫様の衣装や道具を 片付け始めた。  少しして、ノックと共にクロモが声をかけてきた。 「姉さん、旦那さんが迎えに来たぞ」  お姉さん結婚してたんだ。ちょっとびっくりした。 「あら、今日はここに泊まるつもりでしたのに」  ガチャリと開いたドアの向こうの、クロモの隣に立つ男の人に向かってお姉さんは拗ねたように 言う。 「馬鹿な事を言うもんじゃない。新婚さんの邪魔をしてどうする」  お姉さんの旦那さんは朗らかに笑ながらチラリとクロモを見た。クロモは、お義兄さんの前でも フードを深く被ったままだから、照れて赤くなっているのか怒っているのかよく分からない。 「邪魔をするつもりなんて……。でもそうね。新婚さんの夜にお邪魔をするのは確かにダメよね。 ごめんなさい、気が付かなくて」  すんなり意見を取り入れるとお姉さんは笑顔で旦那さんの元へと行く。 「すまない。お祝いは改めて夫婦そろって来る」  最初ちょっとだけ、一緒に来なかったのは夫婦仲があんまり良くないのかなって思った。けど、 旦那さんと並んでいるお姉さんを見ると、そうでもなさそう。とってもニコニコしているし、 旦那さんの方も優しい瞳でお姉さんを見ている。  だけどクロモはもしかしたらお義兄さんが苦手なのかもしれない。 「いえ、大丈夫です」  固い言葉で拒絶する。 「あら、クロモったら遠慮しちゃって」 「まあ、新婚だからあまり来客に邪魔されたくないんだろう」 「そうね。蜜月ですものね」  わたしとクロモを置いてけぼりにして、姉夫婦はいちゃいちゃとそんな話をしている。夫婦仲が 悪いだなんて、とんでもない。この二人のほうが新婚なんじゃないの?  お姉さんにはもうバレてるんだし、こんなに仲良いんならお義兄さんの方にもばらしていいだろう。  そう思って「結婚したの、最近なんですか?」と訊こうと口を開きかけたけど、声を出す前に クロモに遮られてしまった。 「もう出ないと森を抜ける前に日が落ちてしまいますよ」 「おお、そればマズイな」 「そうね。日が暮れたら二人の時間ですものね」  意味深な笑みを浮かべてクロモとわたしを見る姉夫婦。お姉さん、わたしが本物のお嫁さんじゃ ないって知ってるはずなのに、なんでそんな事言うの?  恥ずかしくてわたしは、顔をそむけてしまった。  さんざんわたし達をからかって、お姉さん夫婦は帰っていった。静かになった家の中で、ふうと 一息つく。 「面白いお姉さんだね」  そんな言葉がつい口をついて出た。 「なんていうか、クロモとは全然性格似てないんだね。よく見たら顔が似てたからそっかって 思ったけど、そうじゃなかったら本当にお姉さんなのって疑っちゃうかも。お姉さんすっごくクロモの 事可愛がってるみたいだし、最初は恋人が乗り込んできたのってびっくりしちゃったもん」  別にお姉さんの事を悪く言ったつもりもクロモを責めたつもりもなかった。だけど元々無口では あるけど、クロモはむっつりと黙ったままわたしに何か言葉を返してくれる事はなかった。 「え? あれ? なんか怒ってる? あ、お姉さんが面白いってのは悪口じゃなくて褒めたつもり だったんだけど。ちょっとびっくりはしちゃったけど、ああいう性格の人、一緒にいて楽しいもん。 それともお姉さんの事恋人かと思ったのが嫌だった? けどあんな風に『愛しいクロモ』とか 言いながら入って来たら誤解しちゃうよ。わたしだけじゃなくておじさんも最初誤解してたでしょ」  誤解されたかもと一所懸命説明する。だけどクロモはそれに対して何も言葉を返さず、ただ 「夕食の支度をする」とだけ告げてその場から出て行ってしまった。  なんで?  クロモが不機嫌になってしまった理由が分からず、不安になる。それとも不機嫌そうに見えたのは 気のせいで、顔が見えないからわたしが勝手にそう思っちゃっただけだろうか?  もしかしたらそうかもしれない。昨日今日と色々な事がありすぎたから、クロモも疲れちゃったの かもしれない。  何か手伝えたら良かったんだけど、右も左も分かんないから手伝える事がない。手伝う為に あれこれ教えてもらわなきゃならないから、かえって余計に疲れさせちゃうよね。  そう思ってわたしは大人しくクロモを待つことにした。  結局その日、クロモはほとんど口をきかないままだった。元々無口な性格っぽいし、疲れてるから ますます喋りたくないのかもと思いつつ、わたしはついいつものように話しかけた。 「うるさかったら言ってね」  そう言ってみたものの、その答えさえほとんどほとんど聞こえないような声で唸っただけだった。  それでも翌日になれば疲れもとれて普通に戻るだろうと思っていたのに……。  朝になってもクロモの態度は変わらなかった。  ちゃんとご飯は作ってくれたし、食事中質問した事は答えてくれた。けど、昨日みたいにわたしの 言葉を聞くために食事の手が止まる事はなくて。いや、それは別にいいんだけど、これ以上口を ききたくないと言わんばかりにさっさと食事を済ませて、席を立ってどこかへと行ってしまった。  食後のお茶さえ、出してはくれなかった。  なんでだろう。やっぱ何か怒ってるのかな。  だけど理由が思い当たらない。  食べ終えた食器を持ってキッチンへ行く。けどそこにはもう、クロモの姿はなかった。

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