たぶん最終章、レースの魔法の女神様の再来と呼ばれるのは                          また別のおはなし。 その18  息が止まる。汗が噴き出る。 「ニシナ様……」  そこに立っていたのは、もう来ないでと伝えたはずのシオハさんだった。  今すぐ扉を閉めて、クロモを呼ばなくちゃと思うのに、身体が動かない。喉も カラカラで声も出ない。 「どうかもう一度、お話しさせて下さい」  シオハさんが切実な思いを伝えるように懇願する。  わたしは、声も出せずにふるふると首を振った。 「……記憶を失くされて、分からないかもしれませんが、私は」 「ここへはもう来ないでくれと言った筈だが」  後ろで、安心する声が聞こえてきた。 「クロモ」  ほっとしたからか、さっきまで出なかった声が出た。 「……ご主人ともいつかちゃんとお話をしなければと思っていました」  シオハさんが、真面目な顔をしてクロモを見る。いつもの営業スマイルは、そこには ない。 「こちらは話はない。帰ってくれ」  下手に話をすれば、わたしがお姫様じゃないことがバレてしまうから、クロモは キッパリ突っぱねる。  だけどシオハさんも引き下がらなかった。 「ニシナ様はっ。ニシナ様は記憶を失う前、こちらに嫁ぐのを嫌がっておいででした」  睨むようにクロモを見てシオハさんが叫ぶ。  ああ、やっぱりシオハさんがお姫様の好きな人なんだ。  可哀想にも思うけど、まだバレる訳にはいかない。クロモも同じように思ったん だろう。 「突然知らない男の元へ嫁ぐことになったのだ。最初はそうだったかもしれない。だが今は 円満に過ごしている」  シオハさんの前だからクロモはフードを目深に被っているけれど、それでも睨む シオハさんに負けじと視線は逸らさずにいる。  わたしは、本当に記憶喪失だったとしたらどう反応するだろう。変なことを言ったら 嘘だってバレちゃうかもしれないし。  ついクロモの服の端を掴んで後ろに隠れてしまった。  それを見たシオハさんが、傷付いたような怒ったような顔をする。  ううう、ごめんねシオハさん。だけどクロモの為にもバレるわけにはいかない。 「……今は、そうかもしれません。しかし記憶が戻った時、ニシナ様は……」  悔しそうにシオハさんが呟く。 「記憶が戻ろうと戻るまいと、彼女は大切にするつもりだ」  クロモの言葉に、ちょっとズキッとした。  本当ならここにいるのはお姫様で、クロモはきっとどんな経緯で嫁いで来たにしても、 きっとお姫様を大切にするつもりだったに違いない。  お姫様が逃げ出したりしなければ……。  自分とそっくりの、だけどわたしじゃない女の人がクロモに寄り添っている姿を 想像して、モヤモヤというかムカムカする。もちろんそれが嫉妬だっていう自覚もある。 「それは、しかし……」 「何事ですか?」  更に言いつのろうとしたシオハさんの裏から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「ゼンダ殿。よく来て下さいました」  元々来る予定だったゼンダさんの登場に、少しほっとする。 「とにかく君は帰ってくれ。さあ、ゼンダ殿はこちらへ」  クロモがゼンダさんを家の中に案内しようとする。だけどシオハさんはあきらめな かった。 「ニシナ様っ。貴女は本当にニシナ様なのですか?」  ギクっとした。  そうだ。シオハさんがお姫様の恋人なら、本物のお姫様を誰より知ってるはず。最初は 記憶喪失のせいかもと思っても、段々そうじゃないかもって気づくよね? 「どういう意味ですかな?」  耳ざとく反応したのはゼンダさんだった。 「最初は記憶喪失だから雰囲気が違うのかと思いました。しかし、それでも以前の ニシナ様とは違い過ぎる」  シオハさんの言葉にゼンダさんが興味を引かれたように彼を見た。  どうしよう。このままじゃきっとバレちゃう。 「……君は以前の彼女を知っているのか? それにしては初対面のような態度をとっていた が」  威圧的に聞こえる声でクロモがシオハさんに訊く。わたしを庇って話を逸らしてくれて るんだ。 「んん? そういえば見覚えのある顔だな」  ゼンダさんがシオハさんをじろじろと見る。 「私は……以前、ニシナ様の御実家に出入りを許されておりました」  俯き、シオハさんは呟いた。 「では何故……」 「……シオハ?」  突然、どこか聞き覚えのある、だけど知らない声がシオハさんの遥か後ろ、森の方から 聞こえてきた。  シオハさんが、弾かれたように振り向く。  当然わたし達も、そちらを見る。 「シオハ。ああ、シオハ……」  ヨロヨロと、おぼつかない足でこちらを目指す女性と、それを支える老夫婦らしき 二人。  涙を流す女性を見て、震えるシオハさん。  見慣れた顔の知らない女性が、躓きよろける。それを見て我に返ったように、 シオハさんは駆け出し彼女の元へ行く。 「ニシナ様っ。大丈夫ですか、ニシナ様」  そう、そこにいたのは紛れもなくわたしと同じ顔の女性だった。

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