夜が、明ける  決戦は翌日とみんなで話し合って決め、その日は早めに休もうと各自自分の部屋へと帰って行った。  ベッドに入り、ため息をつく。図書館でもうすぐ目覚める事を確信して、彼に逢いに行く事を決めた。 彼を倒すつもりで行かなければ彼は逢ってはくれないだろうから、みんなを連れて行く事にした。  だけどわたしは本当に彼を倒すという行動が取れるんだろうか。彼を攻撃するなんて、そんな事……。  じわりと涙が出そうになった時、扉をノックする音が聞こえてきた。 「姫君、透見です。もう眠ってしまわれましたか?」  静かな声に、涙が引っ込む。 「お、起きてるよ。ちょっと待って」  慌ててベッドから出て、自分がすでにパジャマだって事を思い出した。おばさんのパジャマ姿 見たからって透見は別に気にはしないだろうけど、わたしとしては恥ずかしい。なので慌てて クローゼットを開け、入っていたガウンを取り出し羽織った。 「どうぞ」  扉を開け、透見を招き入れる。 「失礼いたします」  パタンと扉を閉め、透見が静かに入って来る。 「えーっと、その椅子使って。……どうしたの?」  ベッドの近くにあった椅子を勧めて訪ねてきた理由を問う。透見は椅子に腰掛ける事なく、いつもの 笑顔が浮かぶ事もなくじっとわたしを見ている。 「透見?」  もう一度呼びかけると透見は一歩わたしへと近づき、口を開いた。 「魔術はもう、解けたのですか?」  透見の言葉に『ああ、そうだった』と思い出す。そもそも今日図書館に行ったのはわたしに 掛けられてる(と思い込んでる)魔術を解く方法を探しに行ったんだった。 「……昨日棗ちゃんにも言ったけど、魔術なんて掛けられてないよ」  わたしの言葉に考えるように透見は黙ってわたしを見つめる。わたしの言葉の続きを待ってるん だろうか?  考え考え、ゆっくりと言葉を発する。 「魔術なんて、掛けられてないの、最初から……。覚悟が足りなくてみんなを引っ掻き回して、 ゴメンネ。だけどもう、決めたから。迷わないから」  わたしの言葉に透見の顔が険しくなる。怒ってるんじゃなくて、考え込んでるような、ムズカシイ顔。 「つまりみおこさんは、未だ空鬼の事が好きだと思ってるんですね?」  名前を呼ばれ、ドキリとする。透見は伝承通り〈救いの姫〉の名が他の人に呼ばれないよう気を つけているらしく、人前では今まで通り「姫君」とわたしを呼ぶ。  だけど今は二人きり。他にわたし達の会話を聞く人はいない。  透見に名を呼ばれ、胸が高鳴る。わたし自身までもが夢の設定に影響されつつあるのだろうか。 だったら尚更透見はわたしが選んだ〈唯一の人〉としてわたしを好きになっているだろう。  でもだからって、夢の設定に負けたくはない。本当のわたしの気持ちを告げる。 「好き…だよ。こればっかりは変えられない。彼の事が好きなの」  透見にしてみれば腹立たしいだろう。恋人である筈の〈救いの姫〉が他の男を好きと言ってるの だから。 「しかし私が〈唯一の人〉なのでしょう?」  咎めるように、けれど決して乱暴にはならず透見が呟く。 「そうだよ。透見はわたしの本名を知ってる〈唯一の人〉だよ」  彼の事を思い出さなければきっと、夢の設定通り透見の事が一番好きになっていたに違いない。 だけど彼の事を思い出したわたしは、彼の事を思うと胸が痛くて泣けてしまうくらいに彼の事が好きだ。 「〈唯一の人〉と〈救いの姫〉は恋人同士ではないのですか?」  乙女ゲーの夢のせいか、わたしの見ている夢のせいか誰もがなんとなくそう思い込んでいた。 わたし自身も。空鬼が彼でさえなければ、わたしはそのまま透見の事を好きになっていただろう。 「前にこれまで降臨した〈救いの姫〉は全部わたしか、それとも魂を受け継いだ者かって話ししたよね」  透見の問いかけにイエスともノーとも言わず話し出したわたしに、透見は瞳で『話を逸らさないで 下さい』と抗議する。だけどわたしはそのまま言葉を続けた。 「彼に会った後色々と思い出したんだけど、過去この島に現れたのは、みんなわたしだった。たぶん、 『わたしの世界』とこちらの世界は時間の流れが違うんだと思う」  目を覚ましたら忘れてしまっていたらしいこの夢は、これまで何度も繰り返し見ていた。今見ている 夢では過去の歴史として何十年も何百年も前の事と設定され変更されてしまってはいるけれど、 たぶんたった数十日、数ヶ月の単位で見た、夢。その都度、その時にプレイしていた乙女ゲーの キャラ達でたぶん、そんな夢を見て楽しんでいたのだろう。 「これまで出会った〈唯一の人〉とは相思相愛になった事も、ならなかった事もあった。……空鬼が 彼だって事にこんなにも早く気づいたのは、たぶん今回が初めて…だと思う」  一度目覚め、忘却処理されてしまった夢は、夢の中でなら思い出す事も出来るけど、とても断片的で 曖昧だ。  それでも何度もこの夢を見ていた事は思い出せる。……思い出した。  だけど思い出せない事もある。 「…つまり、〈唯一の人〉とは貴女の名前を知る〈唯一の人〉であって〈救いの姫〉の恋人ではないと?  貴女の名前を口にする度自分の中から力が沸き上がるのを感じる、貴女への愛しさが増す。というのに 名前を教えて下さった貴女は、私よりも空鬼を選ぶと……」  怒りより悲しみを深くして透見は声を絞り出す。申し訳なくて胸が痛くなる。  だけど違うよ、透見。 「彼を選ぶ事は、出来ないよ。選ばない。言ったでしょ、覚悟を決めたって。明日はみんなで、彼を 倒しに行くんだよ」  言いながら、じわりと涙が出そうになる。彼を選ぶ事が出来たならどんなに良かっただろう。透見や みんな、島や伝承の事をかなぐり捨てて彼を取れたら。  もしくは全てが上手くいく方法を知ってたならどんなに良かったろう。  だけどわたしは上手くいく方法を思いつく頭も、考えている時間もない。彼に逢う為に、彼を倒しに 行く。  必死に涙をこらえながら、なんとか透見に笑顔を向けた。 「では空鬼の事は諦め、私を選んでくれるのですね」  わたしの言葉にほんの少しホッとしたように透見が息をついた。 「分かりました。敵の事が好き、というのは腑に落ちませんが、それでも私を選んで下さると言うの なら…。奴の事を忘れ、私を愛してもらえるよう努力します」  そう言い、透見はわたしを優しく抱きしめた。  温かな胸の中、自分の身体を預けたくなる。透見の言う通り、彼を忘れる事が出来たなら、そもそも 彼の事を思い出す事がなかったなら、透見とのハッピーエンドでこの夢は終われただろう。  だけどわたしは透見の体をぐいと押し戻した。 「みおこさん?」  優しく問いかける透見にわたしは首を振る。  彼を忘れる事は、きっとない。透見を〈唯一の人〉とし、彼を倒す覚悟はしたけれど、それでも 彼を好きという思いは変わらない。  わたしの思いに気づいたのか、透見はほんの少し笑みを浮かべ息をついた。 「そうですね。私が急ぎすぎました。まずは明日、空鬼を倒してからですね」  ゆっくりと透見が身体を離す。 「うん。彼を、空鬼を倒すという気持ちはちゃんとあるから」  辛くても、彼を倒す。それが彼の望みだから。  ごめんね、透見。彼を倒した後、わたしは目を覚ます。貴方達にとっては、わたしはわたしの世界に 還る。空鬼を倒した後のわたし達には何も生まれない。何もやってこない。あるのは別れだけ。  だけどその事を透見に伝える事はなく、「おやすみなさい」と挨拶をしてわたしは透見を見送った。  ひとりになり、部屋の灯りを消しベッドに入る。  月灯りが窓からやわらかく部屋へと差し込んでいる。  これまで色んな乙女ゲーをプレイしてきた。元々一つの事に燃えるとそればっかりに集中して他に 興味のいかなくなるわたし。幸か不幸かやる気は無いけどそれなりにマジメに仕事をこなしていたので、 多くはないけれど乙女ゲーにつぎ込むお金はあり、次々と新しいものを購入してプレイした。  好きになったり萌えたキャラもたくさんいる。最初に好きになった、わたしを救ってくれたともいえる キャラの事も、今でもやっぱり大好きだ。  だけど、恋をしたのは彼だけだ。どうしてこんなに好きなのか。現実にはいない、ただの二次元の キャラクターなのに何故こんなにも切なくなるのか。  普通の人には分かってもらえないかもしれない。別に理解してくれというつもりもない。  ただただ、彼が好きという想いがわたしの中にあった。現実でも嫌な事があっても、彼という存在の おかげでがんばって笑顔を作ろうと思えた。  そんな彼と、夜が明ければ闘わなくてはならない。  窓から差し込む月の光は、とてもやわらかい。優しさと淋しさ、そんなもので出来ているような月の 光をわたしは見つめる。  朝になれば、彼と逢える。  明日には、彼と別れなければならない。  夜明けを心待ちにしているわたしと、明日が来ないでほしいと願うわたし。どちらもが本当の 気持ちで、その矛盾した思いを抱えたまま、わたしはじっと窓からさす月灯りを見ていた。  覚悟したからだろうか。そんな矛盾を抱えていても不思議と気持ちは落ち着いていた。  逢いたい。でも闘いたくはない。それでも闘わなくてはならない。  静かに、息をひそめてそんな思いを抱きながら、わたしはやわらかな月灯りを見つめ続けた。  やがて時はたち、空が白み始める。  彼に逢うために、夜が、明ける。  翌日、決戦の日という事もあって、みんな朝早くから気合いが入っていた。  わたしはというと、この日を迎えたくなんてなかったという思いと、それでも彼に逢えるという 思いで複雑な心境になっていた。 「して姫。これから我々はどちらへと向かえば良いのですか?」  朝食を取り終え、準備万端といった面もちで戒夜が尋ねてくる。他のみんなも皆、わたしにじっと 注目している。 「神社、で良いと思う。あそこは空鬼にとても縁が深い場所だから」  言いながら今更ながらに思い出す。あの神社は彼の出て来るゲームに描かれている背景の場所だ。 透見達の出て来るゲームではなく、彼の。  どうして思い出せなかったんだろう。これもまた、この夢の設定なんだろうか。知ってる筈の事を 思い出せない、記憶の封印。  思い出せないといえば、わたしは彼の名前さえ思い出せていない。あんなにも好きで何度も何度も 繰り返しそのゲームをプレイしていたというのに。  もしかしたら彼の名前を思い出す事が出来たら彼とのハッピーエンドもあるんじゃないだろうか。  そんな淡くも甘い思いがわたしの頭を過る。  だけどその事に気づくのが遅すぎた。もうルートは確定している。もう目覚めの時刻は迫っている。 バッドエンドでも良いから最後まで、どうか最後までこの夢を見させて。 「大丈夫ですか、姫君。…怖いのですか?」  震える手を握りしめていると、透見が優しくその手を重ねてきた。温かなその手に、じわりと涙が 浮かびそうになる。 「怖くは、ないよ。ありがとう透見」  笑みを作って嘘をつく。怖くない筈がない。彼に会えば彼と闘わなくてはならない。かといって ぐずぐずしていれば逢えないまま目覚めかねない。 「なんなら姫さんは留守番してオレたちだけで行くってのはどうかな。もう〈唯一の人〉が透見だって 分かってるんだし、姫さんが無理して怖い目に遭わなくてもも良いと思うんだけど」  剛毅の提案に園比も「それがいーよ」と賛成してくれる。けどそれじゃあダメなの。折角の提案 だけど、それには乗れない。 「ありがとう。けどたぶん、わたしが行かないと空鬼は現れないから」  これはわたしの見ている夢だから、わたしが動かなければ話は動かない。それに彼は、わたしの為に この世界にいるのだ。わたしが行かないでどうするの。それになによりわたしが、彼に会いたい。 「そうですね。あの時空鬼は姫君に『覚悟が決まったらおいで』と言っていました。姫君の言う通り、 彼女が行かなければ空鬼が出て来ないという可能性はあるでしょう」  微笑み頷くと透見は重ねた手を引き、わたしを導くように歩き出す。  その手はとても優しいけれど、縋っちゃダメだ。自分の意志で決めて自分の足で歩いて行かなくちゃ。  だからわたしは、透見の優しい手から手を離し、両手でパンと自らの頬を叩いて気合いを入れる。 「姫君?」  驚いたように透見や他のみんながわたしを見る。 「うん、行こう」  精一杯の笑顔を作り、わたしは告げる。  この笑顔で、彼に会おう。折角逢えた彼に、少しでも笑顔を向けよう。  彼を倒すなんて選択は辛いものでしかないけれど、それでもやっと彼に逢えたんだから。逢えるん だから。  そう心に決めわたしは決戦の場へと歩き始めた。

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