最後の戦い その2  いよいよ最後の戦いが始まるんだ。彼の望む、目覚めの為の戦い。わたしは望みたくない、彼との 別れの戦い。  そこでふと気づいた。今更だけどこの戦い、わたし達にはかなり不利なんじゃないの? だって彼は 「空飛ぶ赤鬼」の名の通り、空を飛ぶことが出来るんだもの。  気になってこっそりと透見に耳打ちする。 「ねぇ、空飛ぶ彼と、どうやって闘うの?」  小さな声で尋ねたつもりだったのに、驚いた事に空から呆れた声が降ってきた。 「今ここでそれを相談するんだ? 随分暢気だねぇ」  カァッと羞恥で頬が熱くなる。でも確かにそうだ。闘うって覚悟を決めたんなら、闇雲にやって 来るだけじゃダメじゃない。  今更そんな事に気づいても遅いけれど、それでも彼は今後のためにとわたしに指摘してくれる。 「姫君、ご心配なさらず。貴女はそこにいるだけで良いのですから」  わたしを庇うように透見が優しくそう言ってくれる。 「ああ、〈唯一の人〉はちゃんと計画立ててたんだね。まさかボクが両手を広げて『さあどうぞ』って 目の前に行かなきゃならないのかと思って焦ったよ」  冗談めかして両手を広げ、彼がそんな風に言う。わたしの気持ちがまだ彼にあるという事を 知っているせいなのか、透見は冷たい目で彼を見た。 「本当に我々に倒される気があるのなら、そうして下さっても何の問題もないのですが?」  それを聞いて彼は困ったように笑いながら肩をすくめた。 「まさか。本当にそんな事をしたところで困るのはキミ達でしょ。幾ら倒さなくちゃならない 相手とはいえ、無抵抗な相手に刃を向けられないでしょ?」  キミ達は『救世主』で『正義の味方』なんだから。まるでそう言っているようだった。そして それはたぶん正しい。この島では皆、〈唯一の人〉の事をそんな風に思ってるだろう。  そんな事を考えてたら、ヒュッと音を立てて彼の方へと何かが飛んだ。 「ゴチャゴチャ言ってないで、始めようぜ」  不適な笑みを浮かべ剛毅が言う。さっき飛んで行ったのは剛毅のナイフだったらしい。  不意打ちだったそれを彼はヒョイと難なく避けてみせた。剛毅の方も特に期待していなかったのか、 避けられても気にしていないようだ。  だけど剛毅のその言葉を合図に、みんなが戦闘態勢に入る。足手まといのわたしを除いてもこちらは 五人。一人を相手に一見有利な様にも感じる。だけどさっきも思った様に彼は空を飛べる。空の上に いる彼に、園比や戒夜は攻撃出来ない。剛毅や棗ちゃんはある程度の高さなら投擲する事が出来るけど、 あんまり高くまではたぶん届かない。 「ご心配なさらないで下さい、みおこさん。貴女の事は私が守りますから」  不安な顔をしてしまっていたのだろうか。透見が密かに耳元で囁く。半分はわたしを安心させる為に。 半分は他の人に聞かれないようわたしの名前を呼ぶ事で、〈唯一の人〉としての力を増す為に。  わたしの考えが正しかったのか、透見の力がブワリと音を立てて増したような気がした。それを 待って、透見は魔術の呪文を唱え始める。  そして闘いは始まった。  透見の放った魔術が彼へと向かう。もちろん彼はそれを避けようと移動したけれど、大きく広がった その魔術の端っこに引っかかってしまった。 「おお?」  ふらりと彼が空中でバランスを崩す。たぶん空を飛ぶ事を妨げる類いの魔術だったのだろう。 それでも彼は慌てる事なく神社の社務所の屋根の上へとトン、と舞い降りた。  すかさず棗ちゃんが武器を飛ばす。彼はそれをヒョイとかわすとスッと右手を挙げた。 「つぶて」  抑揚のない声と共に、氷のつぶてが空から落ちて来る。ソフトボール大のそれが自然発生の 雹でないと分かるのは、わたし達の所だけに同時にドンッと落ちてきたからだ。 「姫君!」  透見がわたしを庇い、魔術の障壁を張る。けど、わたしは気づいていた。動きさえしなければ わたしにはギリギリ当たらない位置にそれは降っていた。  だけどその事を言ったところで透見達が信じるかどうか分からないし、そもそもそれを告げる暇も なかった。  剛毅と棗ちゃんが右と左に別れ、同時に武器を投げる。その攻撃を避ける為、彼は屋根から飛び 降りた。そこに待っていたのは園比と戒夜だ。すかさず園比が大剣で切りかかり、下がったところで 戒夜が拳を突き出す。空へと逃げないのは透見の魔術で飛べなくなっているからだろうか。  それでも彼は致命傷を負うことなく、みんなの攻撃を避けている。  彼の傷つくところなんて見たくない。だけど彼を倒すのだから、ちゃんと見届けなくては。  歯を食い縛り、わたしは彼を見た。小さな傷は少しずつ増えていく。 「風切り」  彼が手をスイと薙いだ。と同時に風の刃が近くにいた戒夜の身体を切り裂く。 「戒夜!」 「問題ない」  戒夜はそう言うけれど、ざっくりと切り裂かれた傷口からは血がどくどくと流れ出ている。それに 気づいた透見が呪文を唱える。たぶん傷口を塞ぐ魔術だろう。 「透見、俺の事よりも空鬼を押さえる方に魔術を使え」  そう告げる戒夜に透見は笑みを浮かべる。 「大丈夫です。姫君のおかげでまだまだ余力はありますから」  魔術が効いたのだろう、戒夜の出血が止まる。  そんな二人の会話が耳に入ってきたのだろう、園比が彼と闘いながら拗ねるように言う。 「余力があるなら空鬼どうにかしてよ」 「あはは、言えてる。空鬼さえ倒せばこれ以上怪我もしないしね」  園比を援護しながら剛毅も笑いながら同意する。 「そうですか? では、畳み掛けましょうか」  言い終わると同時に透見は呪文を唱え、彼に向かって魔術を放った。 「おっと」  ヒョイと彼は魔術を避けた。代わりにすぐ傍にいた園比に魔術の光が当たる。 「ええっ?」  驚き園比が彼から距離をとり、透見を振り返る。 「心配ありません。それは空鬼にしか効果のない魔術ですから」  透見の言葉に安心し、再び園比は彼と向き合った。 「便利な魔術があるもんだねェ」  暢気な声で彼が呟く。強がりなんかじゃなく、本当に感心したように透見を見ている。 「伊達に過去の歴史をひもといていた訳ではありませんから」  そう言うと透見は再び呪文を唱え始める。他のみんなも透見の言葉に安心したのか彼を追いつめる為、 彼へと向かう。 「姫様」  いつの間にか傍に来ていた棗ちゃんが小さな声でわたしを呼んだ。見るとなんだか複雑そうな顔を している。 「どうしたの、棗ちゃん」  だけどわたしは棗ちゃんに尋ねながら、すぐに彼へと目を戻した。彼女には悪いけれど、今は 少しでも彼の事を見ていたい。あと少しの間しかここにはいられないのだから、彼の事を見ていたい。 「本当に空鬼を倒してしまって良いのですか?」  棗ちゃんの言葉にギクリとした。ギュウと胸が痛む。  なんで今更、そんな事言うの?  そんなわたしの思いに答えるように棗ちゃんが言葉を続ける。 「姫様はその……空鬼の事が好きなのでしょう?」  振り向き、棗ちゃんを見る。棗ちゃんは『友達の恋を応援したい』そんな顔をしている。  女の子だもんね。使命だとかなんかより、恋を取る。きっと棗ちゃんはそういう思いがあるんだろう。  もしもわたしがもっと前向きだったなら。もしくはもっと無謀に突き進める性格だったら。そして 若かったら。きっともっと彼とのハッピーエンドを探してもがく事が出来ただろう。だけど わたしは……。 「わたしは〈救いの姫〉だから。空鬼を倒す為にこの世界に来たのだから……」  そして何より彼が、それを望んでいる。 「でも!」  棗ちゃんは若くて真っ直ぐだから、きっとまだ諦めるという事を知らない。だけどわたしは、 諦める事に慣れすぎていた。  わたしは棗ちゃんから目を逸らし、彼を見た。そんなわたしの態度をどう思ったのか。棗ちゃんは それ以上何も言わなかった。  透見の魔術の効果が切れたのか、彼は再び宙へと浮いていた。手の届かない、けれどそう遠くはない 位置で彼は不意にゆっくりと手を空へと向ける。 「雨の弓」  声と共に彼の周りにパラパラと雨が降り始める。夕陽が雨に反射して、キラキラと彼の前に小さな 虹を作る。彼はその虹をスイと左手で掴み、右手で雨の矢を掴んだ。  ゆっくりと矢をつがえ、構える。その美しさについうっとりと見とれてしまう。  けど、そんな暢気にしている場合じゃなかった。矢が放たれてから気づいた。放たれた矢は 真っ直ぐにこちらへと向かって来たのだ。 「ひっ」  硬直し、一瞬ぎゅっと目を閉じる。雨の矢が頬を掠めたのを感じた。 「姫君!」  心配する透見の声が聞こえる。だけど再び目を開けたわたしは透見を振り向く事なく、悲しそうに 笑っている彼を見ていた。  そんな顔をしないで。貴方がわたしを傷つける事はないのは分かってる。  そう、口に出して叫びたかった。  さっきのはびっくりしただけ。目の前にガラスがあって絶対に濡れないって分かってても、突然 ホースで水をかけられればびっくりしてしまう。それと同じ反応。決して貴方を怖がったわけじゃ ないの。  だけどその事を伝える事なく、わたしはただ彼を見つめた。  やがて彼はわたしから視線を外し、わたし以外へと弓を向ける。 「畳みかけるんじゃなかったの?」  笑みを浮かべ挑発する言葉を発する。まるで早く終わらせようって言ってるみたいだった。 「言われなくても」  怒りを顰めた透見の言葉と同時に、剛毅のナイフが彼へと飛ぶ。それを彼が避けている間に再び 透見が呪文を唱え、園比と戒夜に何かの魔術を掛けた。 「よっし。じゃあ、行くよ」  言葉と共に園比が大剣を振るう。いくら剣の分のリーチがあるとはいえ、宙に浮いている彼には 届かない筈だった。  どんな魔術なのかはよく分からない。けれど、剣先は当たっていないのに、園比が剣を振るうと 同時に彼の身体に傷がつき、血が流れた。すかさず振るった戒夜の拳もまた、届いてなどいないのに 彼にダメージを与える。  痛い。  思わず目を瞑りそうになる。  わたし自身はかすり傷ひとつ負っていないのに、彼が血を流し、痣を作る度、痛くて痛くて たまらない。「やめて」と叫びそうになるのを必死にこらえる。  これはわたしが選んだ事。わたしが彼を傷つけてるんだから。  涙が出そうになるのをぐっとこらえる。痛いのはわたしじゃない、彼だ。わたしに泣く権利なんて ない。  彼はどんどん傷ついていく。ボロボロになりながらも、それでもなんとか空に留まっている。  もうやめて。もういいじゃない。  そんなわたしの思いが通じたように、ふと彼への攻撃が止んだ。 「これで最期にしましょう」  〈唯一の人〉である透見が静かに言い、呪文を唱え始める。みんなもトドメを刺すのは透見だと 考えたのか、攻撃する事なく透見を見守っている。  そして彼も、もう限界まできているのだろうか。少し悲しそうな笑みを浮かべ、わたしを見た。  そして、静かに告げる。 「それじゃあね、しゆちゃん」

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