青い月  夜中の街をひとり歩く。  気がつけばお局と呼ばれる歳になっていた。  二十代の若い子なら「あんまり遅くなると危ないから」なんて残業も程々に上司が家に帰してくれる。 けれどこの歳にもなれば、『女の子』扱いなんてされない。ほぼ男性と同等に扱われる。  そのクセ『女だから』お茶を入れたりコピーをとったり。そんな雑用が舞い込んでくる分、むしろ わたしの方が仕事が多いんじゃないかとさえ思う事もある。  それでも仕事が嫌いじゃないからここまでやってこれた。  同期で入った女の子の仕事のいい加減さに苛ついた時もあった。けれどその子が早々に寿退社を はたした時、その子にとって仕事はそう重要ではなかったんだと納得した。  暗い道を歩く、仕事帰り。  都会とは言えないこの街は、少し歩けば街灯以外の明かりは無くなる。終電も終バスも早い時間に 終わり、タクシーもほとんど通らない。  だけど平和な街だからその気さえあれば歩いて帰っても危険はない。  とはいえ、暗い夜道。自然と足は速くなる。ただただ機械のように足を動かす。  同年代の女の子のほとんどが寿退社をした。それでもわたしは懸命に働いていた。そんなわたしに、 少しずつだけど重要な仕事を任せてもらえるようになった。そして当然のように新人教育も任された。  最初は女の子。女のわたしの下につくんだから、女の子で当然だろう。だけどその子はすぐに違う 仕事が良いと言って、辞めてしまった。  次に任されたのは男の子だった。驚いた。女の先輩なんてと舐められるんじゃないかと思った。  けれど幸運な事に後輩クンはいい子だった。明るくて誰にでも気さくで。女だからとわたしの事を 侮ることもなくて。  仕事も熱心で、教えた事をぐんぐん吸収して成長していった。  彼と一緒に仕事をするのは楽しかった。  暗い暗い夜道。それでも国道沿いのせいか、真夜中でも車が走っている。車のライトに照らされ、 追い抜かれながら、ただひたすらに足を動かす。  後輩クンは本当にいい子だった。  最初の内は仕事だけの付き合い。けれどその内プライベートでも飲みに行くようになった。  仕事熱心な彼と仕事が嫌いではないわたし。プライベートでも半分くらいは仕事の話をしていた けれど、もう半分は映画や美味しい店の話や旅行するならどこが良いとか、そんな話をとめどなくした。  かわいい後輩。  いつかわたしの元を離れ一人前になるのだろうけど、それでも彼となら一緒に楽しく仕事が出来る だろう。そう思っていたから、教育期間が終わった時も寂しいとは感じなかった。新人クンではなく、 同僚として働ける事が嬉しかった。  実際同等の立場になってからも、ぶつかる事があっても楽しく働けた。教育係という名目が なくなっても先輩後輩として楽しく仕事をし、楽しく飲みに出かけた。  そんな彼に大切な報告があるからと飲みに誘われたのは先月。  大切な報告。まさか昇進?  そんな事を考えながら仕事終わりに待ち合わせ場所へと向かう。  少し早すぎる気はするし追い越されるのは癪だけど、それでも彼が一所懸命に働いていた事は 知っているから、そうならとても嬉しい。  だけどそれは勘違いだった。  待ち合わせの場所には彼ともう一人、見知らぬ女性。そう、彼の恋人だ。  高校時代からの付き合いで、この度めでたくゴールインが決まったと、その報告だった。  わたしのおかげだ、と彼は言った。わたしのおかげで仕事に自信を持てるようになって、彼女にも プロポーズ出来たのだと。  もちろんわたしは違うよと言った。後輩クンが努力していたのは誰よりも知っているから、それは 後輩クンの成果だよと。  おめでとうと二人を祝福し、そのまま三人で楽しく飲んだ。後輩クンは弟みたいなものだから、 彼女ちゃんは妹だねと抱きしめた。帰り際には今度からは三人で飲もうねと約束した。  翌日会社で彼が上司に結婚の報告しているところを見かけた。後輩クンは上司よりも先に、一番に わたしに報告してくれてたらしい。  ちょっと嬉しかった。それだけ彼はわたしに親しみを覚えてくれているのだと。  式はもう少し先になるけれど、籍は近日中に入れるらしい。  じゃあその時にはお祝いをしなくちゃね、と言った途端、仕事が大量に舞い込んだ。  連日の残業の日々。もちろん今日も。  身体と心の疲労を感じながらもただただ歩く、深夜。  歩く。歩く。歩く。  暗い夜道をひたすら歩く。  ふいに何かを感じ、振り向いた。見上げた先には青く輝く丸い月。  突然、涙がボロリと流れ落ちた。  なんで、と思うけれど涙はボロボロと流れ落ちる。  淋しい、という言葉が不意に浮かんだ。だけど、何が淋しいの?  後輩クンの顔が浮かび上がる。恋人がいるなんて、聞いてなかった。わたしもイチイチ聞きは しなかったけど。  教えてくれなかった彼の水くさい態度が淋しいの? それともわたしを置いて寿退社してしまった 同期の子や後輩の女の子達のようにわたしより先に後輩クンが結婚してしまう事?  涙は止めどなく流れる。  後輩クンは照れくさくて言えなかっただけじゃない。それにちゃんと、結婚の報告は一番最初に してくれた。結婚したって今まで通り一緒に働くんだし、何を淋しがる必要があるの?  それでも涙はボロボロと、止まらない。  空にはきっと先程見た青い青い月がわたしの事を見下ろしているだろう。無様に泣く、わたしの姿を。  まるで他人事の様にそんな事を考えているわたしがいる。  真夜中の道を泣きながら歩く女。  ばかみたい。  ばかみたいだ、わたし。  涙で歪む目でもう一度月を見上げた。  青い月。凍えるような、それとも身を焦がす炎のような、青い青い月。  そこでようやく気づいた。わたしのばかみたいに青い想いに。  十代のコムスメじゃあるまいに、自分の気持ちにも気づいてなかっただなんて。  なんて青い。  青い、わたしの恋。

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