2  しばらく川の中を歩いていると、すっかり身体が冷えてしまった。  もうだいぶ距離を稼いだし、そろそろ陸を歩いても大丈夫かもしれない。  森の中を流れていた川は、いつの間にか少し開けた場所を流れていたようで、陸に 上がったわたしは隠れる木が少なくなっていた事に不安を覚えた。  追手に見つかってしまったら、どうしよう。  だけどいつまでも川の中にいるわけにもいかないし、服もどうしかしないといけない。 食べるものだって手に入れなければならないし、それに歩き疲れた足を休める場所が 欲しい……。  これからどうすべきか考えながら、フラフラと歩く。  するとやがて、遠くに一軒の民家が見えた。  あそこに行けば助かる。なんとか言い訳を考えて……そう、例えば旅の途中着ていた 服を洗っていたらうっかり服が流されてしまって、それを追いかけていたら道に迷って 連れともはぐれてしまって困っているとか。  上手くいけば着るものと食べるものを分けてもらえるかもしれない。  そう思いながらわたしは、民家を目指して歩き出した。  だけど何歩も行かない内に、わたしの足は止まった。  民家から、人が出て来た。どこにでもいる農家のおばさん。  なのにわたしは恐怖を感じ、身を隠した。見つかっちゃいけないと思った。  息を殺して隠れながら、おばさんがどこかへ行くのを待った。おばさんの姿が完全に 見えなくなったのを確認してから、わたしは慌てて人のいなさそうな方へと走り出した。  どうして怖かったのかは分からない。あんなおばさんが魔物とつながっているとは 思えない。  なのにわたしの本能は、ダメだと警告している。  隠れる場所を探している途中、別の民家も見かけた。  どうしよう。  自分に何が起きたのか、分からないまま身を隠す場所を探す。  誰にも見つかっちゃいけない。それが魔物でも、人間でも。  だけどお姫様のわたしであれ、日本の女子高生のわたしであれ、こんな森の中たった 独りで生きていけるとは思えない。どこかで誰かに助けを求めなければ、死んでしまう だけだ。  そう思うのに怖くて誰かに助けを求めに行く気になれない。  結局森の中を彷徨い疲れ果てもう動けないと思い始めた頃、小さな洞窟のようなものを 見つけた。そんなに奥深くはない、けれどほんの少しだけ雨風を防げる、穴。  わたしはその穴に入り込み、膝を抱えてうずくまった。虫や動物がいるかもという 事までは考えられなかった。  やがて日が沈み、あたりは暗闇にとらわれた。  分かっていた事だけれど、夜は冷え込んだ。下着だけな上、濡れたままだったから、 わたしはガタガタと震えた。  わたしの身体を震えさせたのは、寒さだけではなかった。月明りしかないこんな闇の中、 何が起こるか分からない恐ろしさもまた、身体を震わせるには充分な理由だ。  こんな所にこんな格好でたった独りでいる自分に涙が出て来た。泣いても何の解決にも ならない事は分かっていたけれど、声を押し殺して泣いた。  でもそれでも、どんなに怖くても、誰かに助けを求める気にはなれなかった。ちらりと 見かけた人達の方が恐ろしく感じられた。  ガタガタと震え、声を押し殺して泣いていると、突然温かな何かが肩に触れた。 「ひっ」  暗闇の中、気配も感じさせずすぐ傍まで来ていたそれに恐怖し飛びのく。 「お嬢様。わたしでございます」  知らない、でも聞き覚えのある声。 「よくお一人で頑張られましたね。ああ、お可哀そうに。こんなに震えて。どうぞ、 これを」  優しくその女性は自分の着ていた外套をわたしに差し出した。  落ち着いてみると不思議とその女性に恐怖を感じなかった。あんなに他の人は遠目で 見ただけで怖かったのに。  最初に怖かったのがウソみたいに、今は怖くない。 「ありがとう」  素直に受け取り、外套を羽織る。そして暗くてよくは見えないけれど、目の前にいる その女性をよく見てみた。  城で抜け穴に導いてくれた侍女だろうか?  だけどそれはすぐに違うと気付いた。わたしを助けてくれた侍女ではあるけれど、 彼女はこんな安心する手は持っていなかった。  思い切って、尋ねてみる。 「あなたは、誰?」  すると彼女は驚きも憤りも見せず、ただ頷いた。 「わたしでございます。ミルファでございます」  聞いた途端、分かった。彼女は『わたし』だ。わたしの分身。わたしの創り出した、 幻影。  わたしの淋しさと心細さが生み出した、そんな存在。  とはいえ、わたしと彼女は別々の存在。わたしであってわたしではない。  そんな存在が出来るのは、そんな事が分かるのは、やっぱり『ここ』が夢の中だから だろうか。  黙り込むわたしに彼女はもう一度、「ミルファでございます」と名乗った。 「ええ。ええ、ミルファ。会いたかったわ」  誰よりも安心出来る存在。そんな彼女にわたしは手を伸ばす。わたしが望む事が 分かっているのだろう。彼女は、凍えるわたしの身体をふわりと包み込んでくれた。 「ひとまず、夜が明けるまではここにいましょう。その後で、わたくしがお嬢様の 着られる服や食糧を調達してまいります」  ミルファのおかげで、安心とまではいかなくともそれほどの恐怖を感じずに夜を過ごす 事が出来た。  空が白み始めるとミルファは立ち上がり、わたしを安心させるように笑って言った。 「少し遠くまで行って来ますのでお嬢様をお待たせしてしまいますが、どうかこちらで このままお待ち下さい」  独りになるのは不安だったけれど、このまま下着のまま何日も過ごすわけにもいかない。 それにミルファが少しでも他の人にわたしの居場所がバレないようにする為に遠くまで 行って服や食糧の調達をするのだと分かっていたから、わたしも黙ってそれに頷いた。

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