ひまわりのうえをとんで  じーわじーわと蝉の鳴く、太陽さえもジリジリと音を立てて肌を焼く、そんな真夏の昼下がり。 わたしは白いワンピースにサンダル、麦わら帽子という出で立ちで田舎の田んぼのあぜ道を歩いていた。 「おや、元気な子だねぇ」  ふいに声をかけられて振り向くと、にこにことからかうように笑っている男の人がひとり。 「元気、ですか?」  別に具合が悪いわけではないので、元気と言われれば否定は出来ないけれど。だからってただ道を 歩いているだけで見知らぬ人から元気だねと言われると、なんだかおかしな気がする。 「うん、元気。こんな真夏の日差しの下で、こんなにハッキリいるなんて」  ? 「まあ、そう言うボクもこうやっているから、元気なのかなぁ?」  言ってる意味が分からない。知らない人だし、無視しちゃおう。  そう決めたわたしは、ふたたびあぜ道を歩き出す。 「おや、どこに行くの?」  スタスタと歩くわたしの後ろを、その人は楽しそうについて来だした。 「貴方に言う必要はないと思うんですけど」  無視しようと思ってたのも忘れて、つい答えてしまう。 「うん、そうだね。ボクに言う必要はないよね。でも、隠す必要もないんじゃないかなぁ?」  からかうようににこにこと笑いながら、いつまでもわたしの後をついてくる。 「ついてこないでください」  わたしの言葉に驚いたようにその人はきょとんとした。 「どうして? キミはボクに会いに来たんでしょ?」  今度はこっちが驚いた。どうして知らない人に会いに来なくちゃならないの? 「違います」 「あれ? 違うの? つれないなぁ。もかして、忘れちゃった?」  その言葉にわたしは眉をしかめる。  もしかしてこの人、わたしと誰かを勘違いしてる?  そんなわたしの考えが顔に出ていたのか、彼はにこりと笑って言う。 「違うよ?」 「あの、どこかでお会いしたことありましたっけ?」  立ち止まり、聞いてみる。 「あらら、本当に忘れちゃってるんだ。じゃあ、キミはどこに行こうとしてたの?」  ちょっと悲しそうな笑みを浮かべて彼が言う。 「どこにって……」  決まってるじゃないですか、と言おうとして自分がどこに行こうとしていたか分からない事に気が ついた。 「わたし?」  じーわじーわと蝉の鳴く声がする。頭の中が蝉の声でいっぱいになる。  にこりと笑った彼が、手を差し出す。 「うん、じゃあ行こう」  促されるままにわたしは手を取り、彼について歩きだした。  ジリジリと太陽が照りつける田舎道。わたしの手を取り歩く彼は楽しそうに笑っている。 「ずっとキミに見せたかったんだ」  見せたいって何を?  麻痺したように、頭が考えることを拒否している。  ふわふわした世界の中で、つないだ彼の手だけが本当に存在しているもののような気がして。 「もうすぐだよ。ほら、あの向こう」  登りつめた坂道のその先に、突然現れたのはまぶしい黄色。 「ひまわり畑……」  大輪のひまわりの花がたくさん、太陽の光を浴びて輝いている。 「こんなかたちではあるけど、約束を守れて良かった」  約束?  ひまわり、ひまわり。  頭の中で蝉の声とひまわりの花がぐるぐるとまわる。  今までしっかりと握っていた手を彼がゆるめる。 「待って」  突然あふれ出た涙に自分でも驚きながらわたしはその手にしがみつこうとした。だけどさっきまで 存在していたその手は突然幻のように実体を失い、わたしの手からすりぬけていく。  それと同時に世界中が輪郭を失い、彼の存在も消えそうになる。 「だめ。こんなの嫌だよ。わたしも一緒に連れてって」  突然蘇った記憶に溺れそうになりながら、わたしは必死で彼に手を伸ばす。 「駄目だよ。キミはちゃんとあるべき場所に戻らなきゃ。ボクはこうやって約束を守れただけで、 満足なんだから」  寂しそうな笑みを浮かべる彼に、わたしは首を振る。 「守れてないよ。わたしたち、まだ本当のひまわりを一緒に見てない。だから、待って。もう少しだけ、 待って」  ぼやけていく世界に溶けるように彼の姿もぼやけていく。 「会いに行くから。ひまわり畑で待ってて」  世界が消えてしまう前に、必死にわたしは叫んだ。その訴えに彼はにこりと笑って頷いたような気が した。  目覚めた場所は、病院のベッド。両親が泣きながらわたしの顔を覗き込んでいる。身体のあちこちが 痛かったけれど、かすれる声でわたしは問う。 「……は?」  声にならなかったその質問に、両親も声が出ず、代わりに暗い瞳で答えた。  鬱陶しい梅雨のさなか届いた、一通の手紙。  記憶のないその差出人に封を切るのを迷っていたら、母がその名を見て懐かしそうに笑った。 「覚えてない? むかし近所に住んでたのよ。お兄ちゃんお兄ちゃんって後をついてまわってたじゃない」  言われて思い出す。小学校低学年の頃だったろうか、近所のお兄ちゃんが好きでついてまわってた。 「こんな名前だったんだ……」  ずっとお兄ちゃんって呼んでたから、名前をちゃんと覚えていなかった。  懐かしい思いで手紙を開ける。読み進めると同時に懐かしい思い出がどんどん蘇ってくる。  お兄ちゃんが引っ越すことになった時、わたし達はひとつの約束をした。  大きくなったら、一緒にひまわりを見に行こう。  いつだったかお兄ちゃんが友達と見つけたというひまわり畑。連れていってとせがんだけれど、 当時まだ小さかったわたしには遠くて連れていってもらえなかった。  来年は絶対、と約束していたのに、お兄ちゃんは夏が来る前に引っ越してしまうことになった。  だから、大きくなったらとした約束。  その約束を果たそうと、手紙には書いてあった。  お互いに小さい頃の顔しか知らないけれど、約束を覚えているならきっと一目でキミと分かるから。  そんな手紙の言葉に赤面する。  幼かったわたしは、お兄ちゃんに約束した。白いワンピースにサンダル、麦藁帽子をかぶって行くよと。 だから絶対にひまわりを見につれていってねと。  どうしてそんな事を言ったのかは覚えていない。アニメかマンガでそういうシーンを見て思いついた のか。  お兄ちゃんは楽しみにしてると言った。  白いワンピースを着るの? と思いつつ、慌ててわたしは買いに行った。お兄ちゃんがどんな男の人に なっているのかは分からない。だけど懐かしさとあの約束は守りたいという思いとで、わたしは その通りにして約束の場所へと出かけた。  待ち合わせの駅が見えてくる。駅前の横断歩道で信号待ちしていると、ひとりの男の人が駅から 出てきた。見知らぬ顔だけど、彼はわたしを見つけ懐かしそうに顔を緩めた。  信号が青に変わる。懐かしさのあまり幼い頃に戻ったように一心に彼の元へと駆け出す。突然彼の 顔色が変わり、彼もこちらに駆け出す。 「危ないっ」  聞こえてきたのは彼の声だったのか別の人の声だったのか。  分からないまま、わたしは意識を失った。  事故に遭ってから一年後の夏、わたしは再び白いワンピースに袖を通した。あの時着ていたものとは 違うけれど、よく似た形のものを探した。  本当はすぐに来たかったのだけれど、退院した時にはひまわりの季節は終わっていた。だけどそれで 良かったのかもしれない。与えられた約一年という時間はわたしを落ち着かせてもくれた。  夢の中で歩いた田舎のあぜ道を歩く。あの時と同じようにじーわじーわと蝉が鳴き、ジリジリと太陽が 肌を焦がす。違うのはあの時手を引いてくれたあの人がいないだけ。  流れる汗を拭きながら、記憶にある坂道を登りつめる。その向こうには夢と同じように、黄色い ひまわり畑。そして。 「待ってて、くれたんだ」  そこに立つ彼の姿に涙が出そうになる。 「キミとの約束を違えるワケがないでしょ?」  ニコリと笑う、夢と同じ笑顔。 「うん。ひまわり、きれいだね」  何を言ったらいいのか分からず、花を見渡す。  それから近くの木陰に入り、ゆっくりと色んな話をした。引っ越しをしてからどんなことがあったとか、 今好きな歌やテレビとか。  他愛のない話ばかりだったけれど、会えなかった時間を埋めていくようで楽しい時間だった。  けれど、そんな時も終わりを告げる。 「さあ、そろそろ行かなくちゃ」  立ち上がり、彼が言う。まだ日は高いのに。 「待って」  引き留めようと手を伸ばすと、彼は身を引き悲しそうに微笑んだ。 「駄目だよ」  その顔を見て思い出す。彼はもう、この世の者ではないという事を。手を伸ばし触ろうとすれば、 触れない事実をつきつけられ、彼もわたしも悲しい思いをする。 「ごめんなさい」  瞳を伏せるとひょいと彼はかがんでわたしを覗き込んできた。 「ごめんなさいは、反則。ボクはキミに会えて、約束を守ることが出来て嬉しいんだから、笑顔で 見送って?」  小さな頃に泣いてたわたしをなぐさめてくれた笑顔で彼が言う。  そうだった、ここに来る前に、笑顔で見送ろうと決めていたんだった。  がんばって笑顔を作る。 「うん、そうだね。わたしも嬉しかった。一緒にひまわりを見れて。ありがとう、待っててくれて」  上手く笑顔、作れてるかな?  事故にあったあの時、あの夢の中でわたしは彼と一緒に逝きたいと思った。小さな頃に仲が良かった だけで、大きくなってからの事はなにも知らないのに。それでもわたしは彼と一緒に逝きたいと思った。  けれど季節が変わり、時間がたつにつれ、あの時駄目だよと言った彼の言葉が理解できるようになって きた。だから、今日ここで会えたなら、笑顔で見送ろうと。 「お花畑ってね、向こう側につながってるんだよ。だからボクは、このひまわりを越えていくね」  彼の笑顔も、少し寂しげで唇が震えていた。 「うん。じゃあ、ここで見送るね?」  彼はわたしの言葉にコクリと頷き、それからバイバイと手を振った。わたしも手を振り、涙をこらえて 笑顔を作りつづけた。  彼にとってわたしは、どういう存在だったのだろう。  もし事故に遭わなかったら、彼はどういう存在になっていただろう。  わたしは笑顔で手を振り続ける。  彼も、もう一度バイバイと手を振ってくるりとわたしに背を向けた。そして。  真っ白な入道雲の浮かぶ青い空の下、黄色いひまわりの花の上を、ひょこんと彼は飛び越えた。

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