拾われた少女 その1  早春の草原は、暖かいようでいてまだ肌寒い。日中暖かいからとつい薄着で過ごしていると、夕方気が つくと寒くて風邪をひいてしまいそうになる。  それを分かっていながらつい薄着で野草摘みに来てしまった事をマインは後悔した。 「ていうか、師匠の注文が多すぎなのよ」  愚痴を言っても仕方がないけど、言いたくもなる。春は美味しい山菜や野草がいっぱいあるのは 知っているけど。 「野草摘みの何が魔法の修業になるっての?」  ため息をつき、傾き始めたお日様を見た。  本当はつい、自分の好きなものや師匠の好きな野草をたくさん採って帰ろうと欲を出してしまったのだ。 だから遠出した自分が悪いのは分かってる。でも、つい誰かのせいにしたくなるのだ。 「とにかく、もう切り上げて帰らなきゃ」  あんまり遅くなったら師匠が心配しちゃうもんね。  マインは摘み取った野草を入れた籠を脇にしっかりと抱えると、急ぎ足で帰り道を辿り始めた。  その時、一陣の風が辺りを通り抜けた。その突然の強風にマインはギクリと身構えた。すばやく辺りを 見渡す。風は突然吹いてきた時と同じように、ぱったりと止んでいた。 「精霊風?」  マインはつぶやき、しばらくその場に止まった。  それまで特に風などなかったのに、突然強い風が吹いた時には気をつけなさい、と師匠に教わっていた。 それはもしかしたら、風の精霊が吹かせた精霊風かもしれないからと。  マインはまだ精霊というものを見たことがなかった。でも師匠から色々と話は聞かされている。難しい 話はチンプンカンプンでよく覚えていないけど、力の強い精霊は気まぐれで人を殺すこともあると いうことは、しっかりと覚えていた。もっともこれくらいの知識は魔法使いでなくても親から教わる ものなのだけれど。  風がやみ、しばらくたっても何事も起きなかったのでマインはほっと息をついた。 「きっと違ってたんだ」  もしくは、ただ通り過ぎて行っただけか。  だとしたらちょっと見てみたかったな。精霊って見たことないんだもん。  そんな事を考えながらマインは再び歩きだした。こんな事があったせいで日はもうすっかり傾いている。 「師匠、心配してないといいけど」  帰りを急いでいると、ふと目のはしに何かが映った。なんだろうとそちらへと足を向けると、人が 倒れている。 「大変!」  慌ててそちらに駆け寄る。 「大丈夫?」  倒れていたのはマインより少し年上に見える少女だった。そんな彼女を抱き起こし声をかけてみる。 けれど、気を失った彼女は意識を取り戻しそうになかった。 「どうしよう、わたし一人じゃ連れて帰れない。かといってここに置いたまま助けを呼びに行ってたら 完全に日が暮れちゃう」  マインはもしかしたら師匠が心配して迎えに来てくれてたりしないかと、キョロキョロと辺りを 見回してみた。しかし師匠の姿はない。  こうなるとあとはひとつしか方法を思いつかない。魔法で、助けを呼ぶのだ。 「うー、自信はないけど、やるっきゃないよね」  仮にも自分は魔法使いの弟子なんだから。  マインは深呼吸して自分を落ち着かせた。決して優秀な弟子でないことは自覚している。そもそも、 自分から希望して弟子になった訳じゃないから、修業もサボりがちだ。だけどそれでも、小さい頃から 習っているのだからある程度の魔法は使える。 「落ち着いてやれば失敗しないから」  自分で自分に言い聞かせる。  師匠も万が一何かあった時の為にと、緊急連絡用の魔法は何度も教えてくれた。 「だから、出来る!」  マインはもう一度深呼吸をすると、ゆっくりと呪文を唱え始めた。  誰かの話し声と息苦しさで少女は目を覚ました。目に入ってきたのは見覚えのない部屋。そして 男の人と、女の子。 「あ。目、覚めた?」  嬉しそうに女の子が少女を覗き込み、にこりと笑う。肩に付かないくらいの長さの濃い茶色の髪と、 同じ色をしたくりくりとした瞳。はつらつとした表情のその女の子の顔に、けれどやはり見覚えがない。 少女は不安になった。ここはいったいどこだろう? 「見たところケガとかなさそうだったけど、どっか痛いとことかない?」  問われ、自分の身体を見る。特に痛いと感じるところはなかった。少女が首を横に振って見せると、 女の子は安心したように息をついた。 「良かった。あ、わたしはマイン。それから、こっちにいるのはエルダ、星見の塔の魔法使いよ。 あなたは?」  にこにこと笑いながら自己紹介を始める女の子に対して、こっち呼ばわりされたせいかエルダと 呼ばれた男の人は渋い顔をしている。けれどマインと名乗った女の子はそんな事はちっとも気にして いないようだった。 「わた…し……?」  自分の名前はなんといったろうか? 少女は首を傾げた。名乗ったところをみると二人とは初対面 らしい。  では自分は今までどこで誰と一緒にいたのだろうか。  少女はマインの質問に答えようとして、霞のかかった頭の中を必死で探った。  けれどどんなに思い出そうとしても、何も思い浮かばない。不安だけが身体を満たしていく。 「思い…出せない……。わたし、誰?」  ガクガクと身体が震えだした。空っぽの頭を抱えてみても、なにひとつ浮かんでは来ない。ただ、 焦りと不安だけが身体を埋めていく。  怖かった。なにか大切なものを無くしてしまったようで、少女はとても怖かった。 「落ち着いて、大丈夫ですから」  声と共に優しい手が少女の頭に降りてきた。顔をあげるとエルダと呼ばれた男性が、たおやかに 笑みを浮かべている。魔法使いという彼は、少し癖のある長い長い銀色の髪を編んで膝の辺りまで 垂らしている。その優しい笑みを浮かべた瞳は深い緑色をしていた。 「思い出せる時が来たら自然と思い出せますよ」  エルダの優しい声に、少し気持ちが落ち着いた。  そうかもしれない。本当に大切な事ならいつかきっと思い出せるだろう。  そう思う反面、どこか焦りも感じていた。  思い出すのが遅すぎて、なにか手遅れになってしまわないかしら? だけどなにが手遅れになるって いうの?  不安と焦りを打ち消したくて、少女は大きく深呼吸をした。  そんな少女の手に、ふとマインが目を留めた。 「指輪、何か文字が彫ってあるみたい。……呪文?」  言われるままに少女は自分の指に目をやった。シンプルな形のその指輪には確かに何かとても小さな 文字が彫ってある。けれど何が書いてあるのかはさっぱり分からない。 「師匠、何の呪文か分かる?」  マインもまたそれが分からなかったようで、振り返り後ろにいる自分の師匠へと尋ねた。  もしかしたらなくした記憶の手がかりになるかもしれない。そう思った少女は指からするりと指輪を 外した。 「あ」  その様子にエルダが驚いたように目を開いた。 「? あの……どうぞ」  戸惑いながら少女は指輪を差し出した。  文字が小さいから少しでも見やすいようにと思って指輪を外したのだけれど、何かいけなかったのだ ろうか。  マインもまた彼が驚いた理由を知らないようで、きょとんと師匠を見ていた。  魔法使いは差し出された指輪を少しの間見た後、何か考えるように口を開いた。 「おそらくその指輪はあなたにとってお守りみたいなものなのでしょう。指にはめておきなさい。そして 決して人前で外さないように」  念を押すように厳しい口調で言われ、少女は慌ててそれを指にはめた。  言われてみれば、それはとても大切なものだったような気がする。アクセサリーとしてはたいして おしゃれとは思えないシンプルな指輪。ただの銀色の輪にぐるりと何かの呪文が施されているだけのもの。  だけどそれが何だったのか覚えていないのに、指にはめると確かになぜかほっとした。  本当にお守りなのかもしれない。それに自分の事を示す唯一とも言える手がかりでもある。無くさない 為にも指に馴染んだそれをもう外すまいと少女は思った。

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