シガツ君の魔法修業初日 その1  星見の塔は村から少し離れた小高い丘の上に建っている。だから朝日が昇るのもほんの少しだけれども、 村より早い。  普段だったらぐずぐずと、「朝起きるのが嫌だなぁ」「もう少し寝てたいなぁ」「村だったらあと 一分でも眠れてたのかなぁ」なんて言いながらなかなか起きようとしないマインだったけれど、今日に 限ってはパッと目覚め、シャキシャキ起きあがるとさっさと着替えを済ませた。  そして意気揚々とシガツの寝ている部屋へと赴くと、ノックもせずに客間の扉をバンッと開けた。 「シガツっ。今日からここの弟子なんだから朝食作りなさいっ」  昨日までは客人扱いだったけど、今日からシガツはここの弟子。しかも自分よりも新人だ。だったら シガツが朝食を作るのが当たり前でしょ?  そう思ってマインは彼を叩き起こすつもりだったのだ。  ところがシガツが寝ているはずのベッドは空で、布団もきちんと畳まれている。 「あれ?」  その様子にマインはぽかんと固まってしまった。  部屋、間違ったっけ?  そんな筈はないとマインは首を振る。昨日あれだけソキを追い出しシガツをこの部屋に寝かせる事を 抗議したのだ。間違ってる筈がない。それに客間以外の部屋はまだ掃除をしていない筈だ。  じゃあどこに行ったの? と首を傾げていると後ろから、捜していた人物の声がかかった。 「おはようございます」  にこやかに朝の挨拶をするシガツ。 「もうすぐ朝食出来ますんで……」  そう言い残すとシガツはぽかんとするマインをその場に残してパタパタと台所の方へと行ってしまった。  やっぱ早起きして朝食を作って正解だったな。  食卓に朝食を並べながらシガツは小さく安堵の息をついた。以前修業していた風の塔でも先輩たちは あれこれと厳しかった。  昨日エルダにここで魔法修業をしないかと誘われて頷いた時、先輩弟子のマインが隠す事なく嫌な顔を し、それどころか不満を口にした事をシガツはしっかりと気がついていた。自分だから嫌なのかそれとも 誰であろうと新入りが入ることに反対なのかそこまでは分からない。だけどマインに歓迎されていない 事は明らかだった。  そうなると何かと雑用を押しつけられるだろう事は予想が出来た。だからひとまず言われる前に朝食を 作ってみたのだ。 「おはよう。おや、良い香りですね」  食堂に入って来た師匠のエルダがテーブルの上に並んだ食事を一瞥した。そこには明らかにマインが 作ったものとは違う食事が並んでいると思ったのか、感心したように呟く。 「シガツが作ったんですか?」 「はい。お口に合えば良いのですが」  シガツは曖昧な笑みを浮かべながら師匠に答えた。  風の塔にいた頃習ったおかげで食事を作る事は出来るのだが、決して料理が得意というわけではない。 食べられない程不味い物を作る事はないが、誰もが美味しいと言える料理を作れる腕は持ってない。 それはシガツも自覚していた。  朝食として無難なメニューを選んで作りはしたが、それでも受け入れてもらえるかどうか不安だった。  出鼻をくじかれ呆然としていたマインは、はたと我に返って食堂へと急いだ。中へ入るとテーブルの 上にはすでに食事が並び、師匠も椅子に座っている。  朝食を作らせるつもりではあったけれど、すでに作ってあるとなるとなんだか釈然としない。 ぐずぐずと席に着けずにいると、師匠の声が飛んできた。 「どうしたんですか、マイン。早く席に着いていただきましょう」  そう言われしぶしぶ座ろうとしたマインは、テーブルの上の料理に気づき、愕然とした。 「ちょっと待って! なんで三人分しかないのっ?」  テーブルに並べられた朝食は、三人分しかなかったのだ。パンもスープもサラダも、何もかもが 三皿ずつしか用意されていない。  しかしシガツはそれでどうしてマインが怒っているのか分からないようで、きょとんと首を傾げて いる。 「師匠とマインさんとオレとで、三人分でしょ?」  それが当たり前と言わんばかりに指折り数えるシガツの顔に腹が立つ。 「ソキの分がないじゃん!」  なんで彼女の名前が抜けるのよ、とマインはシガツをにらんだ。最初は単に数を間違えたんだろうと 思ってただけなのに、これじゃあわざとソキの分を用意していないみたいだ。シガツの方がソキと 付き合い長いんだから、彼女の存在をうっかり忘れてたなんてあるわけない。  なのにシガツはそう指摘されてもきょとんとしたままで、マインはますます腹が立った。  本当にソキに食べさせないつもりなの?  ところが憤るマインの背後から、ふわりとソキの声が聞こえてきた。 「いらないよ?」  びっくりして振り向くと窓の外でソキがにこにこと笑っている。 「え、でも……」  気づいたシガツが窓を開けるとソキはするりと中へ入ってきた。  本人にいらないと言われると強くは言えないけど、その理由が分からずマインはモヤモヤした。 「そういう事ですから。さあ、いただきましょう」  師匠とシガツが席に着き、マインにも着席を促す。仕方なく座るといただきますの挨拶と共に朝食が 始まった。  なんでソキだけのけ者にするの? しかもソキまでそれで良いって言うなんて……。  ちらりと見るとソキはシガツの隣りにふわりと浮いている。そして不満そうな顔のマインに気づいて にこりと笑いかけてきた。 「どーしたの? マイン」  訊かれてマインは口を尖らせながら言う。 「なんでソキは一緒に食べないの?」  マインの質問にソキはふわりと笑った。 「ソキたち精霊は人間とは違うものから生きる力をもらってるから、食べなくてもへーきなんだよ」  ソキの言葉にマインは首を傾げた。 「でも昨日までは食べてたよね?」  ソキが嘘をつくとは思わない。でも、少食だったとはいえ記憶を失っていた間はちゃんと食事を していたのだ。なのに今更、食べなくても平気だなんて。  そんな二人のやりとりを見ていたシガツが、マインの疑問に答えるようにひょいとひと匙、自分の スープをソキの前に差し出した。 「食べなくても平気だけど、食べても問題ないんだよな」 「うん、味見するの好き」  そう言いソキはパクリとスプーンをくわえる。その目の前の光景に、マインはガツンと殴られたような ショックを受けた。 「な、な、なにしてんのよーっ!」  思わず叫んでしまった。叫ばずにはいられなかった。  だってその行為はまるで、飼い主がペットにおやつを与えているようにも、恋人同士が「あーん」を しているようにも見えたのだ。 「お行儀悪いですよ、シガツ。食べさせるならソキの分も用意して構いませんから」  エルダも今の行動を良いとは思わなかったんだろう、静かな声ではあったけど顔を少ししかめながら きっちりシガツに注意する。  思わぬ味方に『ざまあみろ』とほくそ笑んだのも束の間、師匠は表情を変えないまま、くるりと マインの方へと向く。 「それからマインも、食事中に大きな声を出さない」  師匠である自分がシガツを注意した事によってマインが調子に乗らないように、エルダは彼女への 注意も忘れなかったのだ。  その事にムッとむくれるマインの傍でシガツは申し訳なさそうに頭を下げた。 「すみません、ついクセで……。一口食べればソキは満足するんで、いつもこうやってあげてた もんだから」  わざわざソキの分を用意しても結局余ってしまってもったいないからと、謝りつつ説明する。 「なら今度からわたしの分からソキにあげるから」  シガツの言葉を聞いたマインはすかさずきっぱりとそう言い放った。  家族でも恋人でもない男女があんな事するなんて、いやらしい。いくら友達同士と言っても、普通 男の子と女の子があんな風に食べさせあったりなんて、するわけないじゃん。  プリプリ怒りながらシガツを睨みつける。だけどシガツは、どうしてマインが怒っているのか さっぱり分かっていないらしく、誤魔化すように曖昧な笑顔を作って「はい」と返事をしている ようだった。

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