シガツ君の魔法修業初日 その2  朝食を食べ終える頃、師匠がシガツにここでの生活について簡単な説明を始めた。 「魔法の修業はたいてい午後からです。昼食時にどういう修業をするか伝える場合が多いので聞き 逃さないようにして下さい。午前中は主に家の事をしてもらいます。掃除炊事洗濯、畑仕事等色々 ありますので、詳しい内容はマインから聞いて下さいね」  師匠はそう言い終えると、どういうつもりなのか本当に詳しい説明はマインに丸投げにしてそのまま どこかへと行ってしまった。  なんでわたしが?  シガツの世話を押しつけられた気がしてマインは腹が立った。だけど先輩である自分が教えるより 他にない。  憤りを押さえつつ、彼女は仕方なく午前中の仕事の説明を始めた。 「まず朝食の後片付けでしょ。それから畑の水やりに掃除洗濯……」  嫌々ではあるけど掃除道具の場所や畑仕事の仕方等を説明している内に、マインはふと良い事を 思いついてしまった。 「そうそう、昼食の準備も忘れないでね。じゃ、全部よろしく〜」  ニンマリと笑ってそう告げる。  さっきからずっとシガツが逆らう事なく頷いているのを良い事に、マインは午前中の仕事を全部 彼に押し付けてさっさとそこから逃げ去った。  いつもは師匠と二人で手分けしてやってる仕事だけど、師匠に用事がある時にはわたし一人の時も あるもん。シガツ一人でも出来るわよ。  そう心の中で言い訳をして彼を一人置き去りにすると、マインはソキと一緒に遊ぼうと彼女の姿を 捜し始めた。  朝食を食べている間はすぐ傍にいたのに、シガツに仕事の説明をしている間にソキはどこかに いなくなっていた。記憶喪失だった頃のソキは、姿が見えない時にはたいてい使っていた客間か家の すぐ側にある大きな樹の下に座っていた。  今はシガツが客間を使ってるから、きっと樹の下だよね。  そう思いマインは外へと飛び出した。そして大急ぎで目的の場所へと行ってみる。  しかしそこに彼女の姿はなかった。 「ソキ?」  どこに行っちゃったの? と思いつつ呼びかける。すると頭上から返事が返ってきた。 「なあに? マイン」  ふわりとソキがマインの目の前へと降りて来た。  ソキがいた事が嬉しくて、マインは満面の笑みを浮かべた。 「今日の午前中時間が空いたから、遊ぼう」  これまでも何かと理由をつけてサボってはソキと遊びはしたけれど、こんな風にまるまる午前中が 空いた事は無かった。だから長い時間遊べるのが嬉しくてたまらなかった。  手を差し出し、マインはソキの手を取ろうとした。だけどソキは、首をふるふると横に振った。 「ごめんね、マイン。今からシガツの荷物探しに行くの」  にこりと笑ってそう告げると、ソキは再びふわりと空に舞い上がる。 「えー、そんなぁ……」  思わずもれた情けない声は、残念な事にソキには届かなかったのか、バイバイと手を振ると彼女は そのままどこかへと飛び去って行ってしまった。  この状況が面白いはずがない。  腹立ち紛れに足音を立てて歩き回り、マインはシガツの姿を捜した。そして皿洗いを終え、畑の 水やりに精を出していたシガツを見つけると、その背中に怒鳴りつける。 「ちょっとシガツ! なんでソキに荷物探させに行かせるのよっ」  シガツは一瞬何故怒鳴られたのか分からずきょとんとしていた。それからマインの言った事を理解し、 「ああ」と頷いた。 「ソキの方が速く移動出来るし、場所も知ってますから。あれから日にちがたってるから見つかるか どうかは分からないけど、あれば着替えとか迷惑かけなくてすむでしょう?」  それでなくてもこれから先、どのくらいの間かは分からないがここで世話になるのだし、優しい おばさんにもお金を借りっぱなしだ。そう思いながらシガツは水やりの手を休める事なくマインの 質問に答えた。  けれどシガツの言い分は言い訳にしか聞こえず、マインは腹が立って仕方がなかった。  なんでコイツの荷物のせいでソキと遊ぶのがダメになんなくちゃイケナイのよ!  そう叫びたいのをなんとかマインは我慢した。  確かに荷物が見つかるのは良い事なのかもしれない。だけどだからってその為にわたしの楽しみを 奪って良い理由になんてなるはずがない!  目の前のシガツを見ているとムカムカしてくる。 「いつまで水やりしてんのよ。さっさと終わらせて次は洗濯よっ」  目をつり上げて、シガツを怒鳴る。  どうせソキと遊べなくなったし、一人で遊んでもつまんない。だったらシガツの仕事ぶりを監督して やる。  そう決めたマインは腕を組みガンとシガツを睨みつけた。  さっきまで仕事を押し付けてどこかへ行ってしまっていたマインが戻ってきたのは良いのだが、 今度は何故か怒ったようにあれこれ指示を始めてシガツはちょっと困ってしまった。 「ほら! さっさと洗濯! あ、丁寧に洗ってよね。もし破ったら弁償してもらうわよ」  プリプリ怒りながら決して手伝うことなく口だけ出してくる。風の塔でも先輩から同じ様に こき使われてたなー、なんて暢気に考えてて気が付いた。  先輩風を吹かせたいんだな……。  マインの小言を聞きながら漠然とそう思う。  それなら仕方ないか、とあきらめがついた。彼女の方が年下だけど、ここの弟子としては先輩 なのだから。  密かにため息を付き、シガツは笑顔を作った。 「それにしても今までこの仕事全部一人でやってたんですか? 大変でしたね」  修業の一環としてこういった家事をやらされるという話は聞いたことがあったが、毎日毎日これを 一人でやるのはやっぱり少し大変だろう。  だけどそれを否定するように二人の後ろから声が掛かった。 「とんでもない。普段は私も手伝っていますよ」  振り向くとそこには腕を組み不機嫌そうな顔をしたエルダが立っていた。 「師匠」  師匠はツカツカとこちらへやって来ると、おもむろにマインの頬をむにっと掴んだ。 「今日はシガツがいるからと思って空き部屋の片づけをしていたら……。なに全部彼一人に させてるんですか」  怖い顔で微笑みながら師匠は手加減する事なくむぎゅーっとマインの頬を引っ張った。 「い、いひゃいよ、ししょーっ」  パタパタと手を振り痛がるマイン。しかし師匠はそれを無視して引っ張っている。赤く跡が 残るほど引っ張った後、ようやくエルダは手を離した。  それで少しは反省したかと思いきや、マインは師匠に向かって大声で反論する。 「だってこーゆーのって下っ端の仕事でしょ? こいつが一番新入りじゃん」 「だからって全部押しつけて良いわけないでしょう。私はそういう風に教育した覚えはありませんよ?」  半分呆れ、半分苛立ちながらエルダはマインをねめつけた。  そんな二人を見てシガツは少し驚いた。師匠になんのためらいもなく刃向かうなんて。マインに してみればエルダは師匠でもあるけれど、幼い頃から一緒に暮らしていた、家族同然の人だ。例え 血は繋がっていなくても、年の離れた兄のような存在だった。だから、このくらいのやり取りは 普通だったのだ。  シガツは二人のケンカと言えそうな言い合いを止める事も、どちらの味方になる事も出来ず オロオロと見ているしかなかった。 「とにかく残りの仕事はマインがしなさい。シガツは昼食の時間まで自由にしていていいですよ」  最終的に師匠がきっぱりとそう言い切った。  師匠にそう言われてしまうとマインを手伝うわけにもいかず、迷いながらもシガツはその場を 後にした。 「まったく誰から新人に仕事を押しつけるなんて事を教わったんですか」 「そんなの師匠しかいないじゃん」  背後ではまだそんな言葉の応酬が繰り広げられているようだった。  突然する事がなくなり暇になったシガツは、どうしようと溜め息をついた。自分のせいではないとは 思うものの、師匠とマインが言い争う事になってしまってなんだか後味が悪い。  とはいえいつまでも気にしていても仕方がない。シガツは重い気持ちを振り払い、気分転換をする為に 散歩をすることにした。  のんびりと家の周りを散策する。この家は丘の上に建っているので、辺りが開けていてとても 気持ちがいい。景色を眺めながら深呼吸していると、空から声が降ってきた。 「シガツ」  呼ばれ、見上げるとソキがにこにこと笑いながらこちらへ降りてくる。 「ソキ」  シガツも笑顔を返し、彼女へと手を差し伸べた。 「荷物あったよ」  ソキは無邪気にそう告げる。  言葉の通り、その手にはシガツの無くした荷物が握られていた。 「マジ? 早かったな。やっぱあると無いじゃ大違いだもんな。サンキュー」  嬉しい知らせに気分も晴れる。  ソキから荷物を受け取ると、シガツは荷袋を紐解いた。確認するとラッキーな事に中身もすべて 無事なようだ。  これでここにも少しは迷惑をかけなくてすむし、お世話になったおばさんにお礼をしにも行ける。  シガツがそんな事を考えていたら、背後から声がした。 「ソキ! 帰ってきたんだ」  家の中で掃除をしていた筈のマインが二人の声を聞きつけ、窓の向こうから声をかけてきた。 「マイン」  マインの姿を見つけ、ソキはふわりと飛んで行く。 「荷物見つかったから、遊べるよ」  先程はシガツの頼みを優先したけれど、ソキだってマインと遊ぶのは大好きだ。だから早く荷物が 見つかってマインと遊べるのは嬉しかった。 「本当?」  ソキの言葉に喜んだのもつかの間、後ろからにゅっとエルダが顔を出してきてマインはしまったと 顔を歪めた。 「残念ながらマインは仕事があるので遊べません」  恐る恐る振り返ると師匠が額に青筋を立て、笑顔をひきつらせている。そしてエルダはマインに 逃げられないようおもむろに、肩をガシリと掴んだ。  あ、とマインは思ったが、さすがにこれから逃げ出す事は出来ない。心の中で舌打ちしながらも 素直に「はーい」と返事をして、マインは溜め息を付きつつあきらめた。  その後、真面目に掃除、昼食の準備をしたというのに、昼食を食べ始めてもまだ師匠は不機嫌な ままだった。 「言っときますけどね、マイン。確かにシガツはここの弟子になったのは今日かもしれませんが、 もしかしたら貴女よりも魔法を知っているかもしれませんよ」  眉をしかめて言う師匠の言葉にマインはなんで? と首を傾げた。ちらりとシガツを見てみるけど、 その表情からじゃ師匠の言ってる事が本当なのかどうなのかよく分からない。  訳が分からないという顔をしたマインを見て、エルダはため息をつきつつ説明する為に口を開いた。 「彼はここに来る前は、風使いになる為の修業をしていたんですよ。精霊使いも魔法使いの一種 なんですからおそらく基礎は同じでしょう」  そうなの? とマインはシガツの顔を見る。けれどシガツはそれに気づいているのかいないのか、 困ったように笑いながら昼食を口へと運ぶばかりだ。 「サボってばかりでやる気のないあなたと、はたしてどっちが実力が上でしょうね?」  冷たい師匠の言葉が胸に突き刺さった。心当たりのあるマインは反論したくても出来なかった。  別に好きで弟子になった訳じゃないし、今だって修業するよりも遊んでるほうが楽しい。それでも これまでは自分の他にここらには魔法を習ってる子がいなかったから、それが少し自慢でもあった。 この近隣では特にエルダは実力のある魔法使いと言われていたから、その唯一の弟子のマインも期待の 目を向けられていた。  そう、今まではマインがエルダの唯一の弟子だったのだ。  何度か弟子にして欲しいと訪ねて来た人達がいたけれど、師匠は決してマイン以外の弟子を取ろうとは しなかった。  なのにその師匠が、シガツには自ら弟子にならないかと誘ったのだ。シガツにはそれだけの何かが あるのだろうか。  焦りを覚え考え込むマインに満足するとエルダはにっこりと口を開いた。 「そんな訳で午後からはシガツの実力を見せてもらいましょう」 「え? えーと、実力って魔法の実技をするんですか?」  今まで一歩引いて話を聞いていたシガツが、突然話を振られ食べかけていたパンをゴクリと飲み込む。 「はい。何でもいいですから得意な魔法を披露して下さい」  そう言われ、戸惑いながらもシガツはすぐに何の魔法が良いかを考え始めたようだ。  反対にマインはというと、今まで焦りを見せていたのが嘘のようにぱあっと明るい笑顔を見せる。 きっとシガツの実力を見ている間、自分は自由時間だからソキと遊ぼうとか思っているに違いない。  だからエルダは眉をしかめ考え込んでるシガツをよそに、マインに向けてもにっこり笑う。 「ついでにマインも何か披露してみましょうか」 「えーっ。なんでわたしまで!」  不満の声をあげるマインに、シガツの存在が少しでも真面目に魔法に取り組むキッカケになって くれれば良いのだがと願わずにはいられないエルダだった。

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