はじめての使役  青ざめたソキの顔を見て、シガツは契約が成立した事を確信した。  出来が悪いと言われ続けた指輪だったが、力の弱い精霊ならば通用すると分かり、心が浮き立つ。  とはいえ、目の前の精霊は最弱の部類にあたるだろう。それでやっと契約が成るだけなのかも しれない。風使いと名乗るにはもっと力の強い精霊を使いこなせなければまわりの期待には 応えられないだろうし、あっと言う間につぶされてしまうだろう。  そう考えると風の塔の師匠達の判断は正しかったのだろう。  それでもシガツは、最弱とはいえ憧れていた風の精霊を使役出来るという事にわくわくせずには いられなかった。  まずは何から命令しようかと考えながら、ふとここが市のど真ん中であった事を思い出した。 先程からずっと立ち尽くしやりとりをしている二人に何をしているんだろうと注目が集まり始めている。  慌ててシガツはソキの手を引いた。 「ひとまずここを離れるぞ。そのまま歩いてオレについて来い」  命令口調で告げるとソキは素直に頷きシガツの後をついて来た。  ふと、これが最初の使役になったのかと気づき、ちょっとガッカリした。何かもっとカッコ良い 命令をしたかったのに。  だけど最初はこんなものかと思い直し、シガツは人のいない場所を目指した。  人混みを抜け、しばらく歩くとやがて広い草原へとたどり着いた。家も店も何もない場所だから だろう、人の姿は全く見えない。  ここなら大丈夫だろうと思いつつも、念の為にシガツは道を外れ、さらに人の来なさそうな場所へと 移動する。  もう一度人の姿がないか確認した上でシガツは握っていたソキの手を放した。  幾分気持ちが落ち着いたのか、ソキの顔も先程よりは青くない。  シガツは大きく息を吸い、にこりと笑顔を作った。 「改めて。オレの名前はシガツ。これからよろしくな」  手を差し出し、握手を求めた。だけどソキはきょとんとしている。  考えてみればマスターである風使いが使役する風の精霊に握手を求めるのはおかしかったのかも しれない。  自分の失敗を隠すため、なるべく自然に手を下ろす。それを見たソキは少しだけ戸惑った様子を 見せた後、少し表情を和らげた。 「わたしは……ソキだよ。よろしく。……シガツ」  手こそ差し出さなかったものの、ソキが挨拶を返してくれた事は嬉しかった。しかし少し不満も あった。使役している精霊から「マスター」と呼ばれたいという思いがあったからだ。  だけど、とシガツは思い直す。  この先ソキ以外の風の精霊を使役する事は出来ないだろうし、それでは風使いを名乗る事も 出来ない。「マスター」なんて呼ばれる程の人間ではないのだからこれで良かったんだろう。  気を取り直し、シガツはソキを見た。 「えーと、じゃあソキ。お前、何が出来る?」  シガツの質問に再びソキはきょとんとした。 「何がって、例えば何?」  質問で返され、シガツは首を捻った。  風の塔で、指輪が上手く出来た時の為にと契約する方法までは予習していた。けれど使いものになる 指輪が作れなかったと判断されたシガツは契約後にどうすれば良いのかまでは詳しく習って いなかったのだ。  とはいえ軽くは教わっている。まずはその精霊が出来る事と出来ない事を知る事だ。だから シガツは先程の質問をしたのだが。 「例えば……何だろう?」  力の弱いと分かっている彼女に出来る事が思いつかない。力の強い精霊ならばマスターを風に 乗せ宙に浮かせる事も可能だろうし、強い風で様々な物を吹き飛ばす事も出来る。  だけど力の弱い精霊の出来る事は……?  シガツは少し考え、ソキを見た。 「だいたいどのくらいの高さまで飛べるんだ?」  シガツの質問にソキはひょいと空を指さす。 「ずっと上まで行けるよ」 「ちょっと一回高く飛んでみて」  言葉で聞くよりも実際にどのくらいまで飛べるのか見た方が早いだろう。  そう思いシガツはソキに指示する。するとソキは「うん」と頷きそのままひゅうんと上を目指して 飛び始めた。  それはシガツが思っていたよりもずっと早く、ずっと高かった。  まさに風だ。風に飛ばされた帽子の様に一瞬で空高くまで舞い上がっていった。そしてふわりと 再び地上へと舞い降りる。 「す、すごい」  思わず言葉がもれる。  気配を消していたとはいえ、人混みに紛れて気づかない程の力の弱い精霊だからと過小評価を していた事を思い知る。力が弱くてもあんなに高い場所まで飛べるのか。  幼い頃に偶然見た精霊や、風の塔で使役されていた精霊はもっと力ある者達だったから空高く 飛べて当たり前と思っていたが、もしかしたら風の精霊自身が空を飛ぶのは能力にそれほど差は ないのかもしれない。  しかしそれならソキはどこまでの事が出来るのだろう?  だがそう質問したところで先程の様に「どこまでって何が?」と質問を返される事は目に見えていた。  ひとつひとつ確認していった方が確実か。  シガツは目の前にいる少女の姿をした精霊がどこまでの事が出来るのか考え始めた。  ソキは浮かれていた。ほんの少し上の方まで飛んだだけで「すごい」とシガツに誉められた事が 嬉しくて仕方がなかった。  これまで出会った人間達は、人間のふりをしている間は優しく接してくれたが、正体がバレると 悲鳴を上げ逃げ去ったり青ざめた顔で二度と来ないでくれと彼女を拒否した。  けれどシガツはソキを風の精霊と知った上でその能力を見て「すごい」と誉めてくれたのだ。  それにシガツはソキに「よろしく」と挨拶をしてくれた。ソキ自身は風使いに会った事は なかったが、子供の頃に年上の風の精霊に風使いがどんなに嫌な存在かは聞いていた。盗んだ神の 言葉で無理矢理自分達を従わせる、憎むべき存在だと。  それなのにシガツは「よろしく」と言ってくれたのだ。使役する為の道具としてではなくソキと いう存在を尊重してくれたような気がして嬉しかった。  だからにっこり笑ってシガツに告げる。 「軽い物なら、今と同じくらいの高さまで吹き飛ばせるよ」  近くに落ちていた小枝を拾い上げ、風の力で同じくらいの高さにまで舞い上げる。 「おーっ」  目をまんまるにしてシガツは再び感嘆の声をあげた。 「あのくらいの物なら、飛ばしたい場所に飛ばす事も出来るのか? 例えば、このハンカチをあの 木の上に乗せるとか、反対に木に引っかかったハンカチをこっちに飛ばすとか」  少し興奮気味に質問するシガツにソキは笑顔で頷く。 「そのくらいなら、出来るよ。あんまり遠くになると、思った場所にうまく届かない場合もあるけど」  言うなりソキは、シガツの手にあったハンカチを風に乗せ木の上へと舞い上がらせた。そして すこし間をあけて、再び風を呼びシガツの手元へとハンカチを運ぶ。  風の精霊ならば誰にでも出来る事だったが、シガツにキラキラした瞳を向けられソキは嬉しくて ならなかった。 「じゃあ、もう少し重い物は? そうだな。例えばこの鞄、これを飛ばす事は出来るか?」  肩に掛けていた鞄を差し出し、シガツが尋ねる。  ソキはちょっと考え、軽く風を吹かせてみたが、ハンカチの時の様に上手くいきそうになかった。 「それは、無理かも。けど、木の上に乗せたいだけならソキが持って飛んで行ってくる事は出来るよ」  シガツのがっかりする顔が見たくなくてソキは慌ててそう付け足した。するとシガツは「へぇ」と 感心したように呟きソキを見る。 「じゃあ、どのくらいの重さまで持って飛べるんだ? 例えば、オレを抱えて空を飛ぶ事は出来る?」  シガツの期待を込めた瞳にソキは迷いながら答えを口にした。 「分かんない。人を抱えた事はないから」  シガツはがっかりするだろうか? だけど出来ると嘘をついても実際にやれと言われて 出来なかったら、その方ががっかりさせてしまう。それどころか怒らせてしまうだろう。  シガツに目をやると、彼はがっかりしたというよりも何か考え込むように黙っていた。そして顔を 上げ、ソキを見た。 「やった事ないんなら、やってみよう」  そう言いシガツは両手をソキへと差し出した。  ソキはそんなシガツの行動にびっくりした。これまで出会った人間達は、ソキが風の精霊と知ると 怯え逃げるばかりだった。だけどシガツは自分を抱えて飛んでみろと言う。抱えるという事は シガツに触れるという事だ。風の精に触れる事を怖がらないなんて、風使いは皆そうなのだろうか?  差し出された手におずおずと手を持っていく。するとシガツは不満そうに唸った。 「手を握ったくらいじゃ、持ち上げにくいだろ。身体に腕をまわせよ」 「あ、うん」  言われるままにシガツの前へと降り立ち、彼の身体へと腕をまわそうとする。 「あ、やっぱ後ろから抱えて。その方が景色が良く見えるから」  そう言うとシガツはくるりとソキに背を向けた。 「うん。分かった」  素直にソキはシガツの胴へと手をまわした。ギュッと抱きしめ、ゆっくりと飛ぶ為の風を呼ぶ。 「いくよ」  そう言いソキは手に力を込めた。  自分が空を飛ぶことは難なく出来る。軽い手荷物程度なら意識せず同じように飛べる。  だけど人なんて重い物を抱えて飛ぶのは初めてで、自分でもどうなるのか分からない。  ソキは慎重にシガツを抱えて地面を離れた。  爪先がフワリと宙に浮くのを感じてシガツは浮かれた。 「す、すごいっ」  ゆっくりとだけど、上へ上へと浮き上がる。そこらにある景色が、昔馬に乗せてもらった時の 高さになり、それから見たことのない高さからの景色へと変わる。  わくわくせずにいられるだろうか。  風が頬に当たる。  それがソキの起こす風なのか、それとも自然の風なのかは分からなかったが、その心地よさに ますます気分が高揚する。 「もっと高くまで上がれるか?」  高い場所から見下ろす景色をもっと見たくて、ソキに問う。 「もっと……?」  声と共にソキは高度を上げた。ますます高くなり、遠くまで見渡せるその景色にシガツは喜び はしゃいだ。  だから、答えたソキの声が苦しそうだったのをシガツは聞き逃してしまっていた。 「すごいっ。いいぞソキ。あっち行けるか?」  シガツは遠くを指さし言う。 「ん……」  ソキはシガツの期待に応えようとフワリと移動を開始する。  走るよりも早く、馬車や馬に乗っているよりもなめらかに、しかも高い場所を移動する事に シガツは興奮し、感動した。  幼い頃初めて見た風使いは精霊を使役し、自ら風に乗っていた。まるで本人が風の精霊で あるかのように空を飛ぶ姿にシガツは鳥肌を立て、感動した。  自分の捕らえた精霊は力が弱く、あの時見た風使いの様に自ら風に乗る事は出来なかったが、 それでもこうやって空を飛ばせてもらっている。その事が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 「シ…ガツ……」  浮かれるシガツの頭の上からソキの苦しそうな声が聞こえてきた。 「も…ダメ……」  呟く声と同時にずるりとソキの手が滑った。 「え?」  ガクンと身体が滑り落ち、何かを考える間もなくシガツは地面に叩きつけられた。

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