奪われた首飾り  シガツが意識を取り戻すと、そこには見知らぬ男性がいた。 「お、気が付いたかい、ボウズ」  人なつこい笑みを浮かべながらその男性はシガツに話しかけてきた。 「原っぱの真ん中で気絶してるからびっくりしたよ。大丈夫かい? 見たところ大きなケガはない ようだったけど、どうしたんだい?」  差し出された手を掴み、身を起こしながらシガツは身体の確認をした。結構な高さから落ちて しまったにしては、それほどの痛みはない。 「大丈夫みたいです。ありがとうございます」  お礼を言い、ふとソキの姿が見えない事に気がついた。  どこに行ったんだ? まさか逃げたとか?  そんな考えがシガツの頭によぎった。だけどすぐにそんな筈はない、と思い直す。なぜなら契約を 交わした精霊は契約を解除しない限り逃げる事など出来ない筈だから。  きっと人が来たから姿を隠したんだろう。  そう思いながらシガツはキョロキョロと辺りを見回した。 「にしても、どうしてこんな所に? 何があったんだい?」  男性に訊かれてシガツは答えに詰まった。風の精霊に空中から落っことされたなんて、カッコ悪い。 しかも自分が使役している精霊に。  それにしても、主人である筈の自分を落っことすだなんて、ソキのやつ……。  そう腹を立てたのと同時に、キュルキュルとシガツのお腹が音を立てた。それを聞いた男性が 楽しそうに笑い出す。 「なんだボウズ。腹が減って行き倒れてたのか?」  ケラケラと笑われて、違うと否定しかけたけどシガツはそれを止めた。考えてみれば確かにお腹は 空いている。船では落ち込んでいたせいであまり食欲は無かったし、船を下りた後も何も口にして いなかった。 「大した物は持ってないけど、ほら」  そう言いながら男性はシガツにパンと果物を差し出した。 「……ありがとうございます」  素直に受け取り頭を下げる。果物の甘い香りに口の中が唾液でいっぱいになり、ようやくシガツは 自分がそんなにもお腹を空かせていたのだと自覚した。  ありがたく食事をいただきながら、シガツは自己紹介を始めた。 「僕の名前はシガツと言います。その、遠くから故郷へ帰る途中なんですが……」  正式には風使いになれなかったのに風の精霊を捕らえた事を見ず知らずの人に言うのは可笑しい気が して、シガツは言葉を濁した。  男性はそれに気づかず、感心したように「へえ」と唸る。 「まだ若いのに一人旅かい。あ、オレの名はカティル。そこの港町に買い出しに来て、近くの村に帰る 途中だ」  にこにこと笑いながら指さす先にはたくさんの荷物とそれを運ぶためのロバがいた。 「にしても倒れる程腹が減るなんざ、路銀がつきたのかい?」  カティルの質問にシガツは曖昧な笑みを返した。  一般人にとって風の精霊は脅威の存在だ。力ある風使いならともかく、運良く力の弱い精霊を 捕まえられただけのシガツがその事をカティルに伝えたとしても、何か悪い方向へ行くような気が したのだ。  ソキが姿を隠してくれていて良かった。  ほんの少しまだ『もしかしたら逃げてしまったんじゃ』という思いもあったが、そんな筈はないと もう一度心の中で打ち消した。  そんなシガツの態度をどう受け取ったのか、カティルは少し考えた後シガツに提案する。 「もし金に困ってるなら、オレの荷運びでも手伝うかい? たいした額にはならないが、次の街へ行く 路銀くらいは渡せるぞ」  本当に金に困っていたならとてもありがたい申し出だった。だけどシガツはお金に困っている わけではない。  どう断ろうかと悩んでいると、突然空から声が聞こえた。 「シガツっ。隠れて。強い精霊がこっちに来るっ」  それがソキの声だと理解すると同時に、突然の精霊風に煽られた。  ひどい嵐の時の様な息も出来ない突風に、シガツは慌てて身を低くする。カティルも慌てて身を 伏せながらも必死に荷物をかばいに行く。  唐突に吹き始めた風は唐突に止んだ。  精霊は通り過ぎてしまったのか?  ほっと息をついたのもつかの間、空から大きな男性の声が聞こえてくる。 「人間。こんな所で何をしている」  見上げ、そこにいるのが力の強い風の精霊だと理解するのにそう時間はかからなかった。  シガツ達がいた場所は、確かに道からは外れている。だけどそこにいて不自然という程辺鄙な 場所でもない。なのに何故この精霊は目に留めたのだろう?  きまぐれと言われている風の精霊だから、例え普通に道を歩いていたとしても同じように目を 留められたかもしれない。  シガツは息を飲みながら、ゆっくりと答えた。 「食事をしていました」  言いながら先程カティルからもらい食べ途中だったパンや果物を差し出した。  早く興味がそれてどこかへ行ってくれれば良いが。  そう思いつつ、ちらりとカティルに目をやった。やっぱりカティルは精霊が怖いのだろう、がっちり 固まったまま、精霊を凝視している。  こんな力の強い精霊を捕まえる事が出来るくらいの技量があったなら、どんなに良かっただろう。  そんな気持ちがシガツの中にわずかにあったが、それは叶わないと分かっているので今はやり過ごす しかなかった。 「ふん。ちびはなんで、人間と一緒にいる?」  そう言いその精霊は少し離れた場所にいたソキへと目をやった。その台詞にシガツはギクリとした。  精霊によっては精霊使いをひどく憎んでいる。力の弱い仲間を解放する為に精霊使いを殺す精霊も いるという。  目の前の精霊はその類いの者なのだろうか?  もしソキが自分に捕らわれた事をこの精霊に伝えたら、殺されてしまうかもしれない。そう 考えながらシガツは風の塔で教わった自分の能力以上の精霊に出会った時の対処方法をあれこれ必死に 思い出した。 「…さっき会ったばっかりだよ。面白そうだなと思って……」  迷うように、相手の精霊を恐れるように、たどたどしくソキが答えた。その内容にシガツは 少なからず驚いた。捕らえられた事は口にせず、考えようによっては自分をかばっているようにも 取れる。  ソキの言葉に精霊は眉をひそめ、疑うような眼差しを向ける。 「何が面白そうなんだ?」  ちらりとシガツとカティルに視線を向け、再びソキを見る。ソキは困ったように首を振り、 カティルを指さした。 「そっちの少年が……キレイなハンカチ見せてくれたりしたの。ソキが人間や人間の作る物に興味が あるのは、フィームも知ってるでしょ?」  ソキの言葉にシガツは少なからず驚いた。もしシガツが力の強い精霊をも捕まえる事が出来たなら、 それを利用して目の前の精霊をも捕まえようとしただろう。  それを知っている精霊は、精霊使いの前で仲間の名を呼ぶ事はないと聞いていた。なのにソキは 相手の名を呼んだ。  年若いソキはそれを知らなかったのだろうか? そんな筈はない。捕まえる時、自分の名を 名乗るのを抵抗しいていたのだから。  ならば何故?  考えられるのは、自分の指にはめられた指輪の出来の悪さに気づき、名前を教えても彼を 捕らえられないと気づいた事。それとも目の前で名を呼ぶ事によってシガツとカティルは風使いでは ないから危険はないと、二人を庇いたかったのか。  そしてもうひとつ驚いたのが、名前を知っているという事はソキはこの精霊と知り合いだという 事だった。  基本、風の精霊は群れないと聞いていた。だから風の精霊同士が知り合いというのは稀な事だと 思っていた。  だけどシガツは驚いた事を顔に出さないように気をつけながらソキ達の会話に耳を傾けた。 「ん……? ああ、あの時のちびか。そういえばお前も人間の物が好きだったんだよな」  言われるまでフィームは気がついてなかったらしく、ソキの姿をじっと見た後、大きく頷きそう 言った。 「うん。ハンカチ、キレイだったよ。フィームも見せてもらう?」  ソキの言葉に慌ててシガツはハンカチを出そうとした。だけどフィームは首を横に振る。 「お前と違って、ただ人間が持ってるだけの物や作られた物には興味ない。知ってるだろうう? ちび」  そう言いフィームはシガツやカティルを観察するように上から下まで眺め、再び口を開く。 「例えば、そいつがしている首飾り、ちょっと面白そうだよな?」  シガツの首に目がとまり、ギクリとした。ニヤリと口を歪め首飾りを見るとフィームは今すぐにでも シガツからその首飾りを奪い去ってしまいそうだった。  下手な事を言えばこの首飾りを奪う為に殺されてしまうかもしれない。  シガツはゴクリと息を呑んだ。  ただ作られただけのものに興味はなくて、この首飾りは気になるという事は……? 「私は自分でこれを外す事が出来ません。もし私を傷つける事なく無事なままこの首飾りを外す事が 出来るのでしたら、喜んで差し上げますよ」  精霊と取り引きをするのはとても危険な行為だ。下手な事を言わずそのまま黙ってやり過ごす方が 良い場合もある。  だけどシガツは言葉を選びながらもそう申し出た。普通の物には興味がなくてこの首飾りは気に なるという事は、恐らくフィームは持ち主が特別に思っている物が欲しいのではないか?  シガツの首飾りには魔法の呪文が施されている。それに気づいたフィームはそれがシガツにとって、 大切な物と思ったのではないのだろうか。  その予想が当たっていたのか、シガツの申し出にフィームは途端に首飾りから興味を失ったように ふんと鼻を鳴らした。  ほっとしたのもつかの間、フィームが今度はカティルへと目をやった。 「お前も、首飾りをしているな?」  フィームの声に震え上がるようにカティルは自分の首飾りへと手をやった。 「これは……。貴方様が興味を持つような素晴らしい物ではございません」  怯えながらカティルは首飾りを隠すように握りしめる。  まずい、とシガツは思った。そんな事をすればかえってフィームの興味を引いてしまう。だけど それを声に出して言う事も出来ない。  案の定フィームはカティルの方へと身を乗り出し、ニヤリと笑う。 「興味を持つかどうかはオレが決める。見せてみろ」  カティルはぶるぶると震えながら、自分の首からそれを外した。逆らえば何をされるか分からない。 そう思いながら震える手で首飾りをフィームへと差し出す。  震える手の中にあったのは、簡素な作りの木彫りの飾りに皮の紐を通しただけの、本当にシンプルな 首飾りだった。露店に並べてもおそらくたいした値は付かないだろう。  だけどフィームは興味深げにそれを見、手を伸ばした。  カティルは小さく悲鳴をあげながら、それでも無意識に首飾りを握りしめようとした。しかし フィームはいち早く風を吹かせ、その首飾りをカティルの手から奪ってしまった。 「か、返して下さいっ」  カティルが必死に訴える。それを聞いたフィームはますます笑みを深め、手の中の首飾りを眺める。 「なかなか良い首飾りじゃないか。これ、くれよ」  フィームの言葉に青ざめながらもカティルは必死に訴える。 「それは……幼い頃に亡くなった妹のたったひとつの形見なんです。どうか勘弁して下さい」  ああ、とシガツは心の中で叫んだ。  そんな事を言ったら、ますますこの精霊は首飾りを欲しがる。この風の精霊はおそらくそういった 人間の思い入れのある品物を集めているのだから。だからシガツが手放しても良いと言った首飾りは 興味を失い、カティルの首飾りは興味を持ってしまった。  シガツの思った通り、フィームは首飾りを握りしめカティルに告げる。 「オレはこれが欲しい。お前が一言譲ると言ってくれれば何事もなく手に入るんだがなぁ?」  風の精霊は時に残忍だ。人を殺す事さえ厭わない。だが、だからといって人を殺す事に愉悦を覚える 性質でもない。  フィームは本気でこの首飾りを欲しがっているのだろうか。  答えはYESに違いなかった。先程の会話から、ソキは昔そのコレクションを見せてもらって いたのだろうから。  ならばフィームは無理矢理にでも首飾りを奪って行くだろう。最悪、カティルを殺してでもそれを 手に入れる。  死ぬよりは、とシガツはカティルに首飾りを差し出すよう言おうと口を開きかけた。だけどそれより 早くカティルがフィームに問いかけた。 「どうしても、ですか……?」  ガタガタと震えながら、なんとか声を出す。きっとカティルも断れば殺されるかもしれないと 分かっているのだろう。 「ああ、どうしても欲しい」  カティルが怯え、この首飾りを手放そうとしているのか分かったのだろう。フィームは満足そうな 笑みを浮かべている。 「で、では、最後にもう一度だけ、持たせて下さい。そうしたらそれは差し上げますから……」  カティルの懇願にフィームは「いいだろう」と首飾りを投げて寄越した。それを受け取り、 カティルは胸に抱きしめる。 「ごめんな、ダメな兄ちゃんで。けど、これが無くなってもいつもお前の事は思っているから……」  涙を流し、カティルが呟く。そして程なくして彼は首飾りをフィームへと差し出した。

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