再来 その2  フィームの吹かせていた風が無くなると、どっと身体の力が抜けた。ひとまずは 成功したと思っていいんだろう。フィームは首飾りを持って来てくれるのだから。  あとは上手い事あのハンカチと首飾りを交換してもらえば良い。  へたりこんだシガツに、未だ震えの止まらないカティルが声を震わせながら訊く。 「ど、どういう事なんだ?」  指を開こうにも緊張しすぎて指が動かないといった様子でカティルは自分の物ではない ハンカチを握りしめている。  シガツはカティルに安心してもらうためにもと、笑顔で事情を説明しようと口を開いた。 「ウソも方便ってやつですよ。そのハンカチをあの首飾りよりも大切な物と思わせれば、 首飾りを取り戻せるかもしれない」  カティルが事情を知り納得すればフィームが戻ってきた時に上手く演技してくれる だろう。  そう思ってシガツは話したのだが、それが失敗だった。  ハラハラしながらソキはシガツとフィームのやり取りを見ていた。フィームの吹かす 風が怒りや苛立ちを乗せる度にソキはそこから逃げ出したくなったが、なんとか堪え シガツを見守った。  若干、フィームの風が弱まりフィームがボソリと呟いた。 「ただ見せる事もしたくない程に大切な物か。あの時の首飾りを持ってくれば、それを 見せてくれるか?」  言い終わると同時にフィームは首飾りを取りに飛んで行ってしまった。  フィームの風が遠くなり、ホッと息を付く。怒りを含んだ風は苦手だ。身体に傷は 付かなくても、痛い。  見るとホッとしたのはソキだけではなかったようで、シガツも力が抜けて地面に へたり込んでいた。カティルだけが未だ緊張が取れていないようで身体を硬くしている。 「ど、どういう事なんだ?」  わけが分からず説明を求めるカティルにシガツが緊張を解いてもらおうとするように 口を開いた。 「ウソも方便ってやつですよ」  そこまでシガツが言ったのを聞いた時だった。ソキの背中がザワリと粟立った。  ダメ、とシガツに伝える間もなかった。よくよく考えれば、すぐにフィームが戻って 来る事は分かっていたのに。 「そのハンカチをあの首飾りよりも大切な物と思わせれば、首飾りを取り戻せるかも しれない」  シガツの言葉は確実にフィームの耳に届いただろう。  ソキが青ざめるのと突風と共にフィームが戻って来たのはほぼ同時だった。その姿に 息が止まる。  フィームは怒りの表情をシガツに向けている。シガツも自分の失敗に気づき真っ青に なっている。 「騙したのか」  酷く恐ろしい低い声で、フィームが問いかけてくる。  ゴクリ、とシガツが息を飲んだのが聞こえた気がした。 「彼は何も知りません。……僕が勝手に考えた事です」  今にも気を失いそうな程青ざめているカティルを庇いシガツが告げる。  だけどフィームはカティルにも怒りの目を向けた。 「もっと大切な物があると言ったのは、お前だ」  そもそもその言葉を聞きつけてオレはここに来たんだとフィームはカティルに迫る。  フィームの怒りの風は身を刺す程に痛かった。そう感じるのはソキが風の精霊だから だろうか。  でも人間のシガツやカティルも同じ様に痛みを耐えるかのように、顔を歪めている。  フィームはソキよりうんと年上で、しかもとても力が強い。まだ年若く力もさほどない ソキのかなう相手ではない。  それでも、とソキは少しでもフィームの風当たりが弱まるようにとシガツとカティルの 元に風を送った。  ほんのそよ風程度だからフィームの風に打ち消されてしまうかもしれない。ただの 自己満足に終わるかもしれないかれど、ソキはそうせずにはいられなかった。  自分の失敗にシガツは息が止まりそうだった。姿が見えなくなったからと気を緩めて しまったのがいけなかった。  せめてカティルだけは助けないと。  そう思い、自分がやった事だとフィームに告げた。だけどフィームはカティルにも 怒りの目を向けた。  どうすればカティルを見逃してもらえる?  フィームの怒りの風がシガツの身体に叩きつけられる。息苦しさを感じながらも シガツは必死に考えた。  とにかく、とにかくカティルは嘘をついたわけではない事を伝えなくては。  その時、ほんの少しだが風が緩んだような気がした。息をするのも苦しかったのに、 ゆっくりとだけどしっかりと息を吸う事が出来た。 「カティルは、首飾りを取り戻そうって言ったオレに首飾りよりも命の方が大切だって 意味で言ったんです。だからもう、首飾りを取り戻さなくてもいいって」  すんなりと、そしてしっかりと言葉を紡ぐ事が出来た。呼吸が楽になったおかげ だろうか。  フィームは考えるように間を置いてからカティルへと向き直る。 「そいつの言葉は本当か?」  荒れ狂っていた怒りの風が段々と鎮まっていくのを感じたカティルは、ゆっくりと息を 吸い込みそれから大きく頷いた。 「妹の形見の首飾りは大事にしていましたが、もしそれを取り戻す為に誰かが傷付いたり 死んでしまう事があるなら首飾りなんていりません。そんな事をして取り戻したって 死んだ妹は喜びませんから」  まだフィームの事が怖いのだろう。カティルは声を震わせながら、それでもきちんと それを伝えた。  それを聞いたフィームはピタリと風を止め、考えるように顎へと手をやった。 「つまりオレを騙そうとしたのは、こいつ一人なんだな?」  ジロリと睨まれシガツは心臓が凍りつきそうだった。それでもカティルへの攻撃は なくなったと思うとホッとしている部分もあった。 「もちろん覚悟はあっての事だな?」  フィームは言葉と共に手を上げ、シガツへと振り下ろした。鋭い風がシガツを 引き裂こうとやってくる。  瞬間にシガツは呪文を唱え、防御していた。  風の塔の師が良しと言う指輪を造る事が出来なかったシガツには、これまで実践する 機会は無かったが、契約する前の精霊が抵抗した時の対処法はしっかりと予習していた。  その内のひとつの呪文を思い出し、唱えたのだった。  フィームがシガツを切り裂く為に風を起こしたのを見て、ソキは慌てた。急いで シガツを守る為の風を吹かす。  とはいえ、フィームとソキでは力に差がありすぎる。どう考えたって完全に防ぐ事は 無理だ。  それでも少しでもシガツのケガが軽くなればと祈った。  シガツは、無事だった。ソキの送った防御の風とシガツ自身が唱えた防御の魔法とが 合わさって、フィームの風を防ぎきっていた。  ホッとしたのも束の間、フィームが怒りの形相でシガツを睨みつける。 「お前、風使いか」  その声にソキはとっさにシガツの前へと飛び出した。  フィームは風使いを嫌っている。いや、風の精霊ならばそのほとんどが嫌いだろう。 だけど嫌ってはいても、積極的にどうこうしようとする者は少ない。  フィームもわざわざ捜してまで風使いを傷つけようとは思っていないだろう。だけど 偶然とはいえ目の前に現れたら。しかも年若く、まだたいして力を付けていないように 見える相手だとしたら。  フィームはシガツを殺そうとするかもしれない。  だからソキは飛び出した。シガツを庇う事によって、自分との会話を思い出してもらう ために。 「ソキ……」  命令もしていないのに自分を庇いに来た事に驚いたのか、シガツが彼女の名を呟く。  フィームも、思い出してくれたのかそれ以上何も尋ねず、風を起こす事もなくじっと 二人を見つめた。

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