せっかくだからレース糸で魔方陣を編んでみる事にした。 その1  この世界に来て、クロモと一緒に森で生活するのにもだいぶ慣れてきた。簡単な 家事なら出来るようになったし、家の周りの地形もだいぶ覚えた。  たまにだけど買い物も、クロモに付いて行くようになった。  とはいえ出来る事は少ないし、その少ない仕事に慣れて手早く出来るようになると 時間も出来てくる。新しい事を覚えたいとは思っても、クロモも仕事があるからあんまり 邪魔も出来ない。  そんな時、ふと思い出した。 「お仕事中ごめん。クロモ、ちょっといいかな?」  ノックして声をかけると中から「どうぞ」と声が聞こえた。中に入るとなにやら クロモは手紙の仕分けをしているみたいだった。 「あ、依頼の手紙? わあ、いっぱいあるんだね。やっぱクロモは腕がいい人気の 魔法使いなんだ。異世界からわたしを召喚出来るくらいだもんね。それで、どんな魔法の 依頼があるの?」  つい興味本位で訊いてしまう。 「大したものは無い。紛失した物を探してほしいとかそんなものがだいたいだ」  謙遜なのか本当なのか、手紙を仕分けしながらそう言った後フードを取ってこちらを 見た。 「それで、何の用だ?」  ぶっきらぼうに、だけどちゃんとわたしの目を見て尋ねてくれる。色々あってから クロモは出来るだけわたしには顔を見せて話してくれるようになった。それがとても 嬉しい。 「うん。あのね、ひとりでいる時にする事がないから、召喚された時に一緒にこっちの 世界に持って来た物を使いたいなって思って。ちょっとした手芸なんだけど、退屈 しのぎにね。だけど、急にお客さんとかが来て道具とか本とか見られたらマズイかもと 思って。だから何か良い案ないかな。魔法で何か対策とれたらいいなって思うんだけど」  わたしの説明にクロモは首を傾げる。 「この世界にはない物なのか?」 「え? うーん。うん。言葉は通じるけど、文字は違うって話はしたよね。だから本は 見られたらまずいと思うし。他の物もこの世界にあるかどうかは分かんないけど、でも やっぱり駄目な気がする。素材とか作りとか、やっぱこっちの世界とは色々……。実際に 見てもらった方が早いか」  口で説明するよりもその方が分かるよね。  そう思ってわたしは、クロモを部屋に招く事にした。  クロモがわたしの部屋に入る事は滅多にない。反対にわたしもクロモの部屋には そうそう入らない。  だからクロモがわたしの部屋にいる事にちょっぴり緊張しつつわたしは隠しておいた カバンを取り出した。そしてカバンの中からそれらを取り出しクロモの前へと出す。 「これは……」  クロモが目を見張る。  取り出したのはレース編みの本とレース糸、それからレース針だ。高校で手芸部に 入ったわたしは、あの日秋の文化祭に向けて手芸屋さんでそれらを購入していた。 「これは魔法書か?」  本を手に取り、クロモが中を確認している。 「違うよ。けどホント、この世界の魔方陣とよく似てるよね。でもわたしの世界には 魔法は存在しないし、これはただの手芸の本なの。レース編みの本。この糸とこの針を 使って編んでいくんだよ。たまたまこの本は文化祭用にコースターとかドイリーとか 作ろうと思って魔方陣みたいに丸いのがたくさん載ってる本を買ったんだけど、レース 編みで服とかストールとかも作れるんだよ」  この世界に来てまだそんなに日数はたっていないはずなのに、もう何年も前のような 気がしてくる。この世界の文字が読めないせいで、カレンダーがあるのかさえも分かって ないんだけど、夏休み、終わっちゃったかなぁ? 文化祭までには、帰れるのかな。  ……それとも、数年単位で帰れない事を覚悟しといた方がいいのかな……。  クロモはわたしの言葉を聞きながら、考え込むようにじっと本を見つめていた。 「コースターやドイリーとは?」  ポツリ、クロモが尋ねてくる。 「えーっと。コースターって言うのは、コップとかの下に敷く敷物で、ドイリーは……。 わたしも正確には知らないんだけど、テーブルとかの上に敷いて楽しむ飾り……かな?」  言いながら、クロモの開いている本を捲り、指さす。 「こっちがコースター。このちょっと大きめのがドイリーだよ」  基本、丸に近い物が多く載っている本だけど、中には四角いコースターやお花みたいな 形のドイリーも載っている。  クロモは丹念にそれらを見ていき、それからふと手を止めた。 「これは?」 「ああ、そこから先は編み図だよ。その図を見ながら糸を編んでいくの。これは……コレ。 コレを編むための設計図がこれね。よく見ると似てるでしょ?」  ページを捲って編み上がりの写真と編み図を交互に見せる。クロモが「なるほど」と 納得しているのを見てふと気になった。 「魔法にはこういう編み図って言うか、見本みたいなのはないの?」  これだけ編み物に似ている魔方陣なんだから、編み図みたいなものが載ってる魔法書が あってもおかしくない。 「そう……だな」  クロモは考えるように顎に手を当てた。 「昔、初心者向けの手引書にこんな形の魔方陣が出来ると図が載っていたものを見た事は ある。が、こんなに正確な絵ではなかったし、魔方陣を描く為に解説した図ではなかった」  再びクロモは前の方に戻って編み上がりの写真を見ている。 「そっか。この世界って写真とかまだなさそうだもんね。けど編み図みたいなのが無いっ て事は魔法どうやって覚えるの? もしかして丸暗記? わぁ、大変そう……。けどそう だよね。レース編みみたいにいちいち編み図見ながら魔方陣作ってたら時間かかって 仕方がないよね」  クロモはわたしの言葉を聞き流しながら、今度は後ろの方までページを進めている。 「これは?」  訊かれて覗き込むと、編み方の基本のページだった。 「こうやって編むんだよって基礎が書いてるんだよ。えーと、ホラ、これ。このレース 針を使うの」  糸を取り出し、ちょこっと実演してみせる。 「確かに、魔法の仕組みに似ているな」  レース針が小さいせいか、手元をよく見ようとクロモが顔を近づけてきて、ちょっと 緊張する。 「えーと。わたしはまだ始めたばっかりだから編むの遅いけど、慣れた人はもっと早く 編めるんだよ。……とは言ってもクロモの魔法みたいに素早く編める人はさすがに いないんだけどさ」  恥ずかしくて誤魔化すように笑いながら告げると、クロモもほんの少し笑みを浮かべた。 「魔法も初心者は君と同じくらいのスピードで魔法を編む。だから最初は複雑な魔法は 使えない」 「え? そうなの?」  夏休み前、手芸部の先輩に編み方を習った時、太めのレース糸で簡単なコースターを 一枚編んだ。本当に初めてで、教わりながらってのもあったけど、確かあの時二時間 くらいかかっちゃった覚えがあるんだけど……。 「初心者の為の魔法にどんなのがあるのかは知らないけど、そんなに時間がかかるなら 早く出来るようになるまで魔法は実用向きじゃないんだね。自分で出来る事なら ちゃちゃっとやっちゃった方が早そうだもん」 「そうだな」  実演用に編んでいたのは本当に適当に編んだもので、一応魔方陣ぽく円形のものを 目指して編んだんだけど、ブヨブヨで変な形になっちゃった。 「やっぱわたしみたいな初心者が編み図も見ないで編んだら変になっちゃうか。失敗。 けどまあ、こーやって編むんだよってのをクロモに見せる為だったし、まーいっか。糸は もったいないから解いて再利用しようかな」  レース針を抜いて糸を引っ張る。スルスルと糸は解けていく。 「解け方も同じだな」

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