せっかくだからレース糸で魔方陣を編んでみる事にした。 その3  今はもう、普通に喋れるようになった設定になっている。だからうっかり喋っちゃわ ないように魔法をかけてもらったりわたし自身が気を付けたりとかはしなくてもよく なった。  それでも記憶喪失設定は生きているので可笑しな事を言っちゃわないようにしないと いけないので、緊張する。  と言っても、ここに来るのは大抵お姉さんだから、演技する必要ないし、たまーに ゼンダさん(あ、あのおじさんの名前はゼンダさんていうらしい)が来るけど、その時は 前もっていつ来るのか知らせてくれるから心の準備も出来る。  クロモの仕事の依頼もまずは手紙でって事になってるから、直接ここに訪ねてくる人 なんていない。  だから誰が来たんだろうと不思議に思いながらも対応はクロモに任せて部屋の中で 大人しくしていた。  やって来たのはどうも男の人らしかった。この家はそこまで広い家じゃない。だから 耳を澄ませば話の内容は分からなくても、なんとなく声は聞こえてくる。  わたしがこの世界で知ってる男の人は、クロモとお義兄さんとゼンダさんの三人だけだ。 けどどうも来客はお義兄さんでもゼンダさんでもないっぽい。  いったい誰だろう?  しばらくの間玄関先でクロモとその人は話をしているようだったけど、とうとう クロモが根負けしてしまったのか、その人を客間へと案内したようだった。  仕事の依頼かな?  普段使う事のない客間は、わたしがここに来る前まで仕事の依頼に来た人のために 使っていたって言ってた。  以前からそもそも魔法の依頼は手紙をもらってからって事になっていたらしいけど、 それでも手紙無しに直接依頼に来る人がいたり、受けた依頼がどうしてもこちらで直接 会わなければならない時に客間を使ってたって。  だからお仕事の話なら邪魔しちゃいけないかなって部屋で大人しくしてる事にした。あ、 でもお客様にお茶くらい出した方が良いのかな。仮にも王様の末姫様が嫁いできたんなら、 クロモにお嫁さんがいる事はたぶん有名だろうし。でも人に聞かせられない話とか だったら、やっぱり行かない方が良いのかも……?  そんな事考えてたら、ノックの音がした。 「ちょっといいか?」 「はい?」  返事を待ってクロモがドアを開ける。来客があったから、久しぶりにクロモはフードを 深く被り、その表情は隠れてしまっている。 「小物売りの行商が来ているんだが、見てみるか?」 「へ?」  この世界に来てから、これまで買い物関係は全部街に行ってた。こんな風に訪問販売の 人が来るなんて、初めてだ。  通りすがりの見ず知らずの人に会って、ボロが出ないかなとちょっと不安になったけど、 クロモが大丈夫と思って誘ってくれたんだから、まぁいっか。 「うん。見てみたい」  笑顔で頷くとクロモはわたしの方へと手を差し出した。  自分の家でエスコートされるなんて変な気分と思ったけど、他人の目に夫婦らしく 見せるのに必要とクロモは思ったんだろう。わたしもこの世界の事がまだそこまでよくは 分かっていないから、素直にクロモに従う。  最近クロモとは普通に仲良くやってると思う。けど、お姉さんが期待するみたいに 本当の夫婦になってるわけじゃない。だからこんな風に手をつないだりするのは人前に 出る時だけなんで、未だにちょっとドキドキする。  そんなわたしの態度が不自然に見えたのか、一瞬小物売りの男性が訝し気な顔をした。  とはいえそこはさすが商売人だ。すぐににっこりと笑顔を作ってわたし達に頭を下げる。 「はじめまして。奥様。私、小物の行商をしておりますシオハと申します」  ひと言ひと言区切りながら、丁寧に語りかけてくる。そしてわたし達が座るとすかさず テーブルの上に商品の小物を並べ始めた。 「お二人は新婚だそうで。いや、こんな美しい奥様を娶られるとは、旦那様が羨ましい」  並べている間もそんなおべっかを言ってくる。 「どうぞ。お気になる物がありましたならお手に取ってお試し下さいませ」  指輪にネックレス、イヤリング。髪飾りやブローチ。様々な物がそこにはある。そして そのどれもに、大小の違いはあるけれど宝石のような物が埋め込まれている。  あ、ちょっとマズイかもと思ってチラリとクロモを見た。 「もちろん、お値段の方は勉強させていただきます」  わたしがクロモを見たのが値段の事だと思ったのか、にっこり笑いながら商人さんは 言う。 「心配しなくても、そこの品物を一つ二つ買うくらいの金はある」  クロモも同じようにとったのか、そんな風に言う。  確かに買ってもらう身としては値段も気にはなるけど、一番の心配事はそこじゃないん だよね……。  じっと目の前の品物を見る。  たぶんキラキラ光ってる石の中には本物の宝石とガラス玉とが混ざってるんじゃ ないかな。王室御用達とかの高級店ならそんなニセモノ扱わないだろうけど、身一つで 小物を売り歩いてる行商人だもん。全部が宝石なわけがない。下手したら全部、ガラス玉 かもしれない。  本物のお姫様はたぶん、小さな頃から本物の宝石に触れる機会が多いから違いが判る だろう。だけどわたしは、どれが本物でどれがニセモノかなんてさっぱり分からない。  どうしよう。  困って動けないでいると、商人さんが「これなどどうでしょう」と言ってネックレスを 取り出す。そして手慣れた様子で胸から上が映る鏡を取り出しわたしの前に置くと わたしの横に周りネックレスをわたしの胸へと当てた。  お姫様だったらたぶん、小さな頃からこんな風に色んな人からお世話される事に 慣れてるんだろう。だからドギマギ緊張しちゃダメ、と思うんだけど、やっぱり身体が 固くなる。  助けを求めるようにクロモをちらりと見る。と、クロモがピリピリした顔をして 商人さんを見ていた。  わたしがクロモを見たからだろう、商人さんもクロモに目をやり、パッとわたしから 離れた。 「申し訳ございません、旦那様。他意はなかったのですが、新婚の花嫁様に近すぎで ごさいましたね……」  慌てて商人さんは謝罪する。本当のお嫁さんじゃないから、ヤキモチとかはないと 思うんだけど。それともそういう演技をクロモがしてたのかなぁ?  どっちにしろ商人さんにはちゃんと新婚に見えてるんだろう。良かった。  そんな事を考えていると商人さんはさっきのネックレスをクロモに見せながらなにやら 説明をしている。 「こちらのネックレスの石はどんなドレスにも合わせやすい色になっておりますし、鎖や 石の縁に使われております金は旦那様の髪の色のようで、奥様にはお似合いかと」  そのネックレスは綺麗な緑色の石のついた金鎖のネックレスだった。けど。 「クロモみたいって言うんなら、こっちじゃないかな。この青い石がクロモの瞳っぽいし、 鎖の色も同じ金でもこっちの方がクロモの髪の色に近いし……」  ついそう言って別のネックレスを手に取ってしまった。  クロモはすぐにそれに目を移したけれど、顔を上げた時に一瞬見えた、商人さんの 驚いた顔から複雑そうな顔に変わったのを見てわたしは後悔した。  マズイ。疑われた?  もちろん商人さんはすぐに笑顔を貼り付けたけれど、わたしの事きっと不自然だと 思ってるに違いない。  このキレイな青い石、もしかしてガラス玉だったのかな。それともわたしの口調が お姫様っぽくなかった? うん、そっちかっもしれない。うっかりいつもの口調で 喋っちゃったもん。お姫様だったらもうちょっとお上品な感じだよね。ああ、少しでも 本物を知ってるお姉さんにどんな口調で喋るのか聞いておくんだった。  だけど後悔してももう遅い。  クロモはどう思ってるんだろうと思ってそちらに目をやると、商人さんの表情は見て いなかったのか、嬉しそうな顔をしてわたしが手に取ったネックレスに手を伸ばしてきた。 「うんじゃあ、これを貰おう」  ネックレスを手に取ったクロモはそのまま鎖を外すとわたしの首へそれをかける。 そしてびっくりした事に、「似合ってるよ、奥さん」と言ってわたしのほっぺにキスをした。 「クククク、クロモっ?」  当然わたしは真っ赤になった。 「ああ、すまない。人前だったな」  笑顔のまま、そう呟く。  もちろんクロモは商人さんに新婚って見せる為にやったんだろうけど。でも。心の 準備もしていなかったわたしはただ、顔から火が出るばかりだ。 「……お買い上げ、ありがとうございます」  商人さんの顔はちゃんと笑顔のままだけど、心の中じゃ、呆れてるのかもしれない……。

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