お姫様がやってくる その2  翌日から師匠は有言実行とばかりに弟子達に魔法の課題を与えた。特にマインはこれまで以上の 課題をたんまりと与えられ、もう泣きそうになった。 「もおぉっ。師匠のひとでなしーっ」  ついそんな言葉が口をついて出る。 「誰がひとでなしですか? 約束を破って勝手にソキを他の人に会わせたのにたいして叱らなかった 上、明後日にはまたみんなに会いに村まで連れて行ってあげる私の事ですか?」  腕を組み、にこやかに師匠が言う。  そうは言ってもそれはそれ、これはこれ。あまりにたくさんの課題を前に、叫ばずにはいられない。 「終わった事は水に流しましょう。で、マインも修業、がんばろう」  二人をなだめるようにシガツが言うけれど、マインは口を尖らせたままだ。 「そんな事言ったって。こんなに課題出されたって出来るわけないじゃん」  元々魔法の修業がそんなに好きではなかったマインにとっては、苦痛でしかなかった。 「とにかく今日中にそこまでの課題は済ませておくように」  そう言い残して師匠は夕食の支度をしに行ってしまった。  師匠の姿が見えなくなると。マインはパタリと机の上に突っ伏した。 「今日中にだなんて、こんなのムリだよーっ」  バタバタと足を動かしながら、泣き言をいうマイン。  そんな彼女の頭をシガツはポンポンと軽く叩いた。 「このくらいならマインならやれば出来るって。確かにいつもよりはちょっと多いけど、出来ない量を 出す程師匠は意地悪じゃないよ。ホラ、ちゃんと座って。一緒にやろう」  シガツの優しい声に、マインはのろりと顔を上げる。 「シガツって勉強好きだよね……」  恨めしそうに彼を見る。  信じられない事にシガツは、いつだって楽しそうに修業をしている。風の塔で習った事のある 魔法なのかと思って訊いてみたら、全部がそうというわけではないらしい。 「うーん。勉強が好きというよりは、魔法に興味があるってほうが正しいかな」  魔法は使えないよりは使えた方が、断然面白い。もちろんまだ完全に姿を消したわけではない 魔物に対して自衛という意味もあるけど、今はもう魔王がいた時代の様に自衛手段を持っていないと 危険度が増すというわけでもない。 「興味……?」  マインにしてみれば、魔法は幼い頃から身近で、しかもいつの間にか弟子として魔法の修業が 始まっていたので、シガツの様に興味は持てなかった。 「魔法って色んな事が出来て面白いなって思わない? そりゃあ魔法じゃなくても同じ事出来るってのも あるけどさ。もっと修業して色んな呪文覚えて色んな事出来るようになるの、楽しいと思うよ?」 「うーん。でも魔法じゃないとダメっての覚えるより、みんなと遊んでるほうが楽しいし。そもそも 覚えたい魔法なんて……」  言いかけて、マインはふと思い出した。 「そうだ。前にシガツがやってくれた、ケガを治す魔法。あれは覚えたいかも。師匠からも簡単な 治癒魔法は一応習ったけど、シガツのやつの方がなんていうか、すっごく気持ちよかったもん」  師匠に習ったのはたぶん、初心者用の魔法なんだろう。血が止まったり、軽い切り傷を塞いだりは 出来るけれど、完全に傷が治ったり痛みがなくなったりなんかはしない。  その点シガツの魔法は、ふわふわと、ポカポカと夢心地になった上、きれいに傷は治りケガなんて 最初からしていなかったかのように治っていた。  キラキラと瞳を輝かせて言うマインにシガツはちょっと照れながら「それじゃあ」と言った。 「それじゃあ今日はとにかく課題をやってしまおう。で、夕食の時に師匠に今度あの魔法を教えても 良いか訊いてみるから」  その後マインはいつになく魔法の修業を頑張った。積極的に課題に取り組み、分からない所は シガツに尋ねて「終わるわけがない」と言っていた課題が、夕食前にはきちんと片付いていた。  これには師匠も驚いた。これまでどんなに尻を叩いても、ぐずぐずと修業をしたがらなかった マインが予定よりも早く課題を終えるなんて。  やっぱり兄弟弟子のシガツが良い影響を与えているのか。  こんな事ならもっと早く他にも弟子を取っておけば良かったのか、それともシガツだから上手く いったのか。  師匠と言ってもまだまだ若いエルダにはよく分からなかった。 「でさ、最初の時にシガツが使ってた治癒魔法、教えてもらいたいの。だから明日、シガツから 習ってもいい?」  キラキラと瞳を光らせながらマインが訊いてくる。  こんな風に自分から魔法に興味を持ち習いたいと言ってくるのは師匠としてとても嬉しい。だけど そのキッカケを与えたのが自分ではなくシガツだというのが、エルダには残念で仕方がなかった。 「明日は、もう予定をたててしまっているのでまた今度にしましょう」  別にずらせない予定でもなかったのだが、ついそんな意地悪を言ってしまう。だけどマインは明日と いう事にこだわりはなかったのだろう。習えるんならそれでいいやとばかりに頷く。 「分かった。あー、楽しみー」  ご機嫌な様子でマインはその日の夕食を平らげた。  翌日、弟子達に別々の課題を与えた後、その課題の為にマインが席を外すのを待って師匠はシガツに 話しかけた。 「シガツ。昨日マインが言っていた魔法ですが、あれは貴方の家に代々伝わる特別な魔法なのでは ないですか? 本当に我々に教えてしまって、大丈夫なのですか?」  この質問に、シガツはびっくりした。あの呪文は、幼い頃繰り返し父親がケガを治してくれた おかげで丸暗記出来たもので、その頃はまだ魔法についてきちんとした勉強はしていなかった。  家出をして風の塔へと行き、そこでも簡単な治癒魔法を習ったけれど、そういえばそれとこれとは 呪文が全く違う。 「考えた事がありませんでした」  正直に言う。  本当に小さな頃からその呪文を聞いていたので、母親に言われるまで父親はみんなその魔法を 使えると思っていたくらいだ。  自分にとっては当たり前になり過ぎていて、それが特別な魔法だなんて考えた事もなかった。  だけどふと、昔の記憶が蘇る。 「あ、でも大丈夫……なような気がします。小さい頃、どこかのおじさんが父に魔法を教えて もらったって言って喜んで帰って行った事があったのを覚えています。父があの魔法以外の呪文を 唱えているのは見た事ありませんから、教えたのもあの魔法だと思います」  あの頃はただ、どこかのおじさんが……としか思っていたが、今思えばあの人はエルダの様に どこかの村に住んでいる魔法使いだったのかもしれない。帰り際に「これでみんな安心して暮らせます」 と深々と頭を下げて帰って行った。 「そうですか? それでも一応、家の方に確認を取った方が良くはないですか?」  シガツがここの弟子になった時、エルダは密かにシガツの身元の確認をしていた。ちらりと本人に 訊いた時にあまり言いたくなかったのか曖昧な答えが返ってきた為、風の塔へと確認の手紙を 出したのだ。  そして先日村長も交え本人にも確認をとったので彼の故郷は分かっている。 「そう……ですね」  あまり乗り気ではないのか、シガツの口が重い。  もしかして両親と何かあったのだろうか。  考えてみれば風の塔を出されてから家に帰りづらいからそうなったとも思える。でもそれなら尚更、 家に連絡をとるべきではとエルダは思った。 「私も御子息を預かっている事をお知らせしなければと思っていたところです。一緒に送りますから 手紙を書いて持って来なさい」  シガツが断れないよう、命令口調でエルダが言う。  さすがにそこまでされると諦めたのか、シガツは「分かりました」と小さく頷いた。  シガツは白い便箋を前にして、ため息をついた。  課題は良いから先に手紙を書けと言われて机に向かっているのだが、さっきから一向に筆が進まない。  まず宛先を父親にすべきか祖父にすべきかで悩んだ。  ここでお世話になっているという報告だけなら父親宛てで良いかなと思ったのだが、例の魔法の 件を尋ねるのなら祖父に宛てた方が良いのかもしれない。師匠の言うように代々伝わってきた 魔法だとしたら、父より祖父の方が権限を持っている気がする。  一向に進まない手紙にため息をつき、シガツはペンを握りなおした。  先程の師匠の口ぶりだと、師匠は父に宛てて手紙を書くのだろう。同封するなら自分も、父宛てに 書けばいい。祖父に許可がいるようなら父がその時に祖父に確認を取ってくれるだろう。  そう思う事にしてシガツは父宛ての手紙を書き始めた。

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