失われた記憶 2  ふと、いつの間にかフードを被った女性の姿が見えなくなっている事に少女は気がついた。 「あの……もう一人の方は……?」  キョロキョロと辺りを見回し、尋ねてみる。 「もう一人?」 「フードを被った……それこそ魔術師って感じの方がいらっしゃいましたよね?」  確かにここに居たはずなのに、音もなくこの部屋から出て行ったのだろうか。  そんな風に考えた少女の質問に答えたのは戒夜だった。 「ああ、〈救いの姫〉の召還の魔術を受け継ぐ魔術師達の事か。正確には三人いました。姫が目覚める 直前に帰ったのですが、見えていたのですね」  そっか。半分まだ頭が寝てたから出て行ったのが記憶に残らなかっただけなのか。 「あの人達が姫様に会うのはそうちょこちょこじゃないから、紹介はまた会った時でいいんじゃ ないかな。とりあえず姫様は僕達四人とあと棗ちゃんって女の子がいるから、それだけ覚えといて くれれば充分だと思うよ」  にこりと園比に言われ、少女はコクリと頷いた。 「あの……ところで」  少女はみんなの顔を見渡し、ゆっくりと質問した。 「その〈救いの姫〉って本当にわたしなんですか?」  頭の中で繰り返し呟いてみても、やっぱりピンと来ない。 「召還の儀式で現れたのが貴女なのですから、間違いない」  きっぱりと戒夜に言われ、少女はそうなのかと納得するしかないような気がしてくる。 「それで静谷さん、その……」 「戒夜だ」  すかさず訂正され、少女はちょっとびっくりした。  さっきどうでも良さそうにしてたんでつい苗字で呼んじゃったんだけど、園比くん達と一緒で下の 名前で呼んで欲しいんだ。 「戒夜…さん。えーと、その〈救いの姫〉ってどういう人なんですか?」  自分よりどう見ても年上の戒夜にくん付けするのはさすがに抵抗があって、少女はさん付けで 呼んでみた。するとさっきみたいに訂正されなかったので、たぶんオッケーなんだろう。 「だから、この島を救う救世主だよ」 「正確には救世主である〈唯一の人〉を目覚めさせる事の出来る〈鍵〉とでも言おうか」 「そうそう。姫さんが〈唯一の人〉に名前を教える事によって〈唯一の人〉の真の力が目覚めるんだ」  立て続けに言われた事をもう一度頭の中で繰り返し、理解する。  名前を教える? 「あの、でも。名前って、何の名前ですか?」  不思議に思って訊く少女の顔を、「何の冗談言ってんの」って顔してみんなが見る。 「そりゃもちろん、姫さんの名前だよ」 「だから姫様は〈唯一の人〉以外には名乗っちゃいけないんだ」  剛毅と園比に言われ、少女はパッと戒夜を見る。 「でも、記憶が無いのは想定内だって……」  すがるように見る少女に、眉間にしわを寄せていた戒夜ははっと何かに気づいたように彼女を見た。 「もしや、〈救いの姫〉であるという記憶だけでなく、他の記憶もないのか?」  問われ、頷く。  そう、彼女の記憶はさっき目が覚めてからのものしかない。  だから名前どころか年齢もこれまでどこに住んでいたのかも一切何も分からなかった。  記憶が無いのかという戒夜の質問にコクリと頷いた彼女に誰もが驚き、声を失った。  一瞬だが『本当に?』という思いが頭を過った。だが、記憶が無いと偽ったところで彼女になんの 利益があるというのだろう。  疑心暗鬼になりすぎている自分に気づき、透見は頭を振る。  何故姫君ではなくこの少女が〈救いの姫〉として現れたのか。  その解を少女自身に求めたところで果たして答えは出るのか。  少女が答えを持たないのならば、記憶がないというのも本当だろう。  不安そうな顔をしている少女が目に入り、そんな彼女を疑った事に透見は罪悪感を覚えた。  シンと静まり返った部屋に、ノックの音が響いた。 「失礼いたします」  入ってきたのは少女と同じ年くらいの女の子。 「姫様の着替えを……。みんな、どうしたの?」  様子のおかしいみんなに気づいて、その子が首を傾げた。 「姫様、記憶が無いんだって」  園比がポツリと答える。  どうしよう。みんなを困らせてる。  記憶の無い事の不安よりも、みんなを困らせちゃってるって事の方が少女の心にのし掛かった。 「記憶って……?」  その女の子、棗がちらりと少女を見る。 「自分の名前も、覚えてないらしいんだ」  剛毅の言葉に棗はちょっと首を傾げたけれど、何故かすぐににっこりと笑顔を見せた。 「大丈夫ですよ、姫様。時期がくれば思い出せます」  そう言うと棗はくるりとみんなの方に向き直る。 「ホラ、今から姫様には着替えていただくんですから、みんな出て行って! いつまでも乙女の パジャマ姿見てんじゃないのよ!」  しっしと追い払うようにみんなに向かって言う。その様子になんとなく少女はほっとした。 「いや、しかし……」 「話は後でも出来るでしょ。これから幾らでも時間はあるんだから」  何か言おうとした戒夜を有無を言わさず棗は背を押し部屋から出そうとする。みんなはそれを見て 諦めたように部屋から出て行ってしまった。 「あの……」  少女は何と声をかけたら良いのか分からずそう言うと、棗はくるりとこちらを向いてにっこりと 笑った。 「はじめまして、姫様。屋平棗(やひらなつめ)と申します。こちらに着替えをご用意しています。 気に入られる物があれば良いのですが」  そう言って棗が手に持っていたドレスをひらりと広げる。 「ド、ドレス、ですか?」  つい、少女は引いてしまった。  パステルカラーでレースやフリルの付いたロングのドレスは、まさにおとぎ話のお姫様って感じ だけれど、それをお芝居するわけでもないのに着るなんて違和感ありすぎる。 「お気に召しませんか?」  棗がちょっとがっかりしたようにドレスを下げる。 「もうちょっとシンプルなの、ないですか?」  普通にシャツとかジーンズとか。  そういうつもりで少女は言ったのに、棗は目をキラリと光らせて。 「シンプルなドレスですね!」  そう言って嬉しそうにクローゼットを開ける。 「いえあの、ドレス以外でっ」  慌てて少女は棗に告げた。でないと本当にドレスを着せられかねない。 「ドレスはお嫌いですか?」  振り返り、棗が首を傾げる。 「嫌いというか、着た事ないし……。そんなドレスが普段着の世界じゃないですよね……?」  言いながらちょっと不安になる。剛毅達の格好がTシャツとかジーンズとかだったから、そういう ラフな格好が普通の世界だと思ってたけど、棗の格好はちょっとメイドさんっぽいし、最初にちらりと 見た女性はフードの付いた、ローブっていうのかな、いかにも魔術師って感じの格好だった。  もしかして女の子はそういう、特殊な格好をするのがこの世界では普通なんだろうか?  少女の言葉に棗はにっこりと笑って口を開く。 「確かにわたしたち一般人は普段からドレスを着たりなんて事はありませんが、姫様は〈救いの 姫〉様ですもの、ドレスをお召しになってもなんら不思議はありませんわ」  にこにこと悪気のなさそうな棗。  だけど少女はふるふると首を横に振った。 「普通の人が着る服がいいです。わたしが本当にその〈救いの姫〉なのかどうかもまだ分からないし、 やっぱりドレスを着るのは抵抗があるので」 「そうですか……?」  棗はちょっと残念そうにそう呟く。だけどすぐに気を取り直したようにパッと顔を上げ、笑顔を 見せた。 「それではこちらのワンピースなどいかがですか?」  そう言って取り出したのは杢グレーを基調とした、ピンタックや裾に生成のコットンレースの 付いているフェミニンなワンピース。確かにさっきのドレスに比べればシンプルだけど……。 「あの、出来ればTシャツにジーンズとか、そういうラフな感じのが良いです」  スカートをはかないわけじゃないけど、あんまりフェミニンさを前面に押し出したものはあんまり 好きじゃない。  ちょっとの間、棗は驚いたような顔をしていたけど、すぐにほっとしたようににっこりと笑った。 「良かったですわ。記憶が無いとの事でしたけれど、ちゃんとこういった自分の好みは覚えて いるんですもの。きっと他の記憶も思い出せますわ」  言いながら幾つかのトップスやボトムスを出してきてくれる。  そんな棗の言葉に少女はすごく勇気づけられた。言われてみれば、名前とかは覚えてないけれど、 なんとなく自分がどういう人間かは分かる気がする。どこに住んでいたのかは思い出せないけれど、 ここでなかったという事は、分かる。  棗の言う通り、その内思い出せるかもしれない。〈救いの姫〉かと言われると、そんな自信はない けれど、それでもその内思い出せるだろうと思うと少女はほっとした。 「ありがとうございます、屋平さん」  服を受け取りながら、勇気づけられた事にお礼を言う。 「棗と呼んで下さい」  にこりと笑いかけられ「じゃあわたしの事は……」と言いかけて名乗る名前を思い出せない事に 気づいた。 「姫様と呼ばせて下さいね。〈救いの姫〉様なんですもの。〈唯一の人〉以外は姫様を名前で 呼べませんから」  再び落ち込みかけた少女を励ますように棗が言ってくれる。  大丈夫。その内ちゃんと思い出せる。  そう言ってくれているようで、少女は少し気持ちが軽くなった。

前のページへ 一覧へ 次のページへ


inserted by FC2 system