透見と静かに図書館デート その2  ひんやりとした室内は薄暗く、ほんの少しカビ臭いような古い本の匂いがした。  懐かしく落ち着くその場所は、同時に少し怖くもあった。 「この部屋の本は全て持ち出し禁止です。貴重な本ばかりですから丁重に扱って下さいね」  わたしたちを疑ってるというより、単に決まり文句なのだろう。司書のお姉さんはさらりとそう言うと にこりと笑って部屋から出て行ってしまった。 「司書のお姉さん、この場に残らないんだね?」  何度も来ている透見にいつもそうなのか訊いてみる。 「この階の担当の司書は彼女だけなんですよ。ですからこの部屋だけに留まってるわけにはいかないので しょう」  答えると透見は迷うことなく目的の本が置いてある本棚へと向かった。 「さて、どの辺りから始めましょうか」  透見が本棚から数冊の本を抜き出し机の上へと置く。どれもがすごく古そうで、中身をパラパラと めくると古文書の写しっぽい。  て、え? 古文書? 「ご、ごめん。読めないかも……」  文体も達筆な草書体も、どれ一つ取ってみても読めそうにない。  だけど透見はがっかりする事も呆れる事もなくにこりと笑って本棚から別の分厚い一冊を取り出した。 「ではこちらを」  差し出されたのは古そうではあるけれど、ちゃんと活字の現代語の本だった。たぶん、昭和三十年代 とか四十年代とか、そのくらいの本。 「ありがとう」  ちょっとほっとはしたものの、昔の本って活字小さいし文章も硬いから、ちょっと読んでて居眠り しない自信がないかも……。  それでもせっかく来たんだし、本とにらめっこを始めてみる。  案の定理解しづらい文章に遅々として頁が進まない。それでもなんとかがんばって読もうと努力して みる。  それにしても透見すごいな。あんな古文書が読めるんだ。と思ってちらりと視線を上げるとバッチリ 透見と目が合った。 「え? あ、なに?」  やましい気持ちは無いはずなのに、つい慌ててしまう。  わたしがちょっと赤くなってしまった事に気づいたのか、透見も少し慌てたようにぱっと姿勢を正した。 「その、見とれていました。本を読む貴女の眼差しに……」 「は?」  いつもと少し違う、少しはにかんだように笑う透見にわたしの顔はますます赤くなる。 「か、からかっちゃいけないよ。おばさんを」  園比なら年齢関係なしに女の人好きっぽいからこういう事言われても「またまたー」って思えるん だけど、まさか透見にこういう発言されるとは思ってもみなかった。 「救いの姫君をからかうなんて、とんでもない」  本当に驚いたように透見が言う。 「〈唯一の人〉を捜すために真剣に本を読む姫君に目を奪われる事は、迷惑ですか?」  真面目にそんな風に言われて困ってしまった。 「迷惑……なんかじゃないけど、えーと。……恥ずかしい、かな」  真っ赤な顔のまま、口ごもりながら言う。  透見、こんなキャラだっけ? 「嫌な思いをさせてしまったのならすみません。けれど本当に目を奪われてしまったのです」  いつもの笑顔に戻り、透見が囁く。わたしはというと、狼狽えたまま「や、えーと。うん。大丈夫。 嫌じゃない…よ?」なんて訳の分からない事を口走った。  いやもうなんか、どっちが年上なんだかって思う。  とにかく気持ちを落ち着けようと本に視線を戻すけど、もしかしてまだ透見が見てるんじゃないかとか 気になって、集中なんて出来るはずもない。  恐る恐る視線を上げると、さすがに透見ももうこちらを見てはいなかった。さっきわたしが放棄した 古文書を開き目を通している。  若いのにあんなのが読めるなんてやっぱりすごいなぁと思うと同時に、今度はわたしがその仕草に 見入ってしまった。  少し伏せた目とそれにかかる前髪。実はわたし、その角度に弱い。  普通男の人を見下ろす事なんて無いせいだろうか、そういう角度の表情を見ることなんてレアだし、 しかもその時の表情が無表情に近かったり真剣な感じとかだと、ドキリとしてしまう事がある。  今がまさにその状態で、ついつい見とれてしまった。  するとさすがに視線に気づいたのか透見が顔を上げる。 「何か分からない事でもありましたか?」  質問があるからわたしが見てたと思ったんだろう、透見が微笑みそう尋ねてくる。  まさかさすがに「わたしも貴方に見とれてましたー」なんて言えなくて、頭フル回転させて質問事項を 探してみた。 「えーと……。本の事とは違うんだけど、透見達ってどうやって選ばれたのかなってふと思って……」  これは実はちょっと前から気になっていた。〈救いの姫〉を守る為に集まっている彼らって、どうして そういう立場になったのか。  代々その役柄を引き継いでる家柄なのか、それとも神託とかで選ばれたのか。 「私達が選ばれた……というのは、今姫君をお守りしている仲間達の事ですか?」  不思議そうに透見は小首を傾げる。 「うん。剛毅や戒夜、園比と透見。それに棗ちゃんもかな」  なんで透見が不思議そうな顔をしているのか分からず、わたしも首を傾げる。 「私達は選ばれてなどいません。皆、自ら望んで姫君をお守りしているのですよ」 「は?」  つい、素っ頓狂な声を出してしまった。 「えーとごめん。ちょっと意味が分からない」  ちょっと頭が混乱した。  別に〈救いの姫〉を守る為に自ら進んで守護者になるってのは分からなくもない気もするけど。でも。 「もし透見達が立候補しなかったら、誰も守ってくれる人がいなかったかもしれないって事?」  若くてかわいい魅力的なヒロインなら、ストーリーが進むにつれ守護者になってくれる人が出て くるってのもありだろうけど、どう考えたってわたしじゃ離れていく方が多そうだ。  てういうか、もしかしてこれからどんどん見捨てられちゃう?  そんなわたしの考えに気づいたのか、透見がくすくすと笑っている。 「姫君。もし誰も立候補していなければ、そもそも姫君はこの地に召還されていません」 「あ、そっか」  呼び出す人がいなければわたしはここに来なかったわけだもんね。 「て、いやいやいや。それはおかしいでしょ」  ついノリツッコミみたいになっちゃった。それを見て透見はくすくす笑ってる。 「空鬼が来そうだからわたし呼び出されたんだよね? もし誰も立候補しないで召還もしなかったら、 どするのよ?」  この辺りの人たちの反応からして、空鬼の存在を全然知らないわけじゃないらしい。だから、本当に 空鬼を驚異と感じているなら上にたつ誰かが指示してるんじゃないかって思ってしまう。 「そうですね。ですから私達が姫君を守ると決めたのですよ」  にっこりと透見が笑う。  いやだから……。このままじゃタマゴが先かニワトリが先かになっちゃいそう。 「まあ実際のところ、伝説という名で皆空鬼や〈唯一の人〉の事は知ってはいますが具体的に現れる 時期などは誰もよくは知らなかったのです」  そう言い透見は先程わたしが読んでいた本を手に取り、パラパラと頁をめくった。  そして目的の頁を見つけた透見は開いた本をわたしに差し出した。  開かれた頁に目をやり、そこに書いてある文章へと目をやる。けど、現代文だってのに内容がちっとも 頭に入って来ない。 「初めてこの本のこのページを見つけたのは、中学生の時でした。夏休みの自由研究にこの地に伝わる 説話を調べていて、見つけたのです」 「えーと、ごめん。なんでだろ、何回読んでもどうしてもそこに書いてあるのが何なのか、分かんない」  正直に透見に告げる。いやほんと、不思議な程、読む端から知ってるはずの単語でさえ頭から消えて いく。まるで半分眠りながら活字を目で追ってるみたいに。 「ええ。このページにはそういう魔術がかけられていますから」  さすが魔術師ってだけはある。透見にはこれが読めるんだろう。 「なんて書いてあるの?」  そう思いながら尋ねると、透見はにこりと笑ってその頁をひと撫でした。すると驚いた事にその頁は キレイな白紙になってしまった。 「残念ながら、私もまだこのページは読めないのです。〈救いの姫君〉ならばあるいは……と思ったので すが……」  ほんの少しがっかりしたような、それでも笑みを崩さずに透見が言った。  うーん……。なんかすごく申し訳なく思ってしまう。わたし、結局なんだかんだと役立たずだよね……。  もしこれがわたしの見てる夢じゃなかったら「人違いです。わたし絶対にそんな大層な者じゃありま せん」って拒否するレベル。  そう思いながら透見の真似して真っ白な頁に手を滑らせてみた。すると一瞬、本が淡い光を帯び、 反応した。 「え?」  慌てて頁に目を凝らす。  ふわりと文字が浮かんできたと思ったら、それはそのまま最初の読んでも記憶に残らない訳の分から ない頁へと戻ってしまった。  一瞬、わたしが触れたことで魔術が解けたんじゃないかと期待しっちゃった分、がっかりだ。  透見も同じような期待をしていたのか、残念という笑みを浮かべてわたしを見た。 「このページの解読についてはまだ時期ではないのでしょう。しかし一瞬ではありますが貴女の手に 反応したのですからきっとそう遠いことではない筈です」  慰めるように透見が言う。  これ以上この頁の事を考えてたら深く落ち込んじゃいそうだったので、わたしは話題を戻すことにした。 「それで、中学の時にこの頁を見つけてどうしたの?」  わたしの質問に透見は静かに答える。 「その時はまだ魔術師ではありませんでしたから、ひとまずそのページは置いて自由研究に取り組み ました。そして伝承を調べていく内に、近い未来に再び空鬼の来襲があり、〈救いの姫〉と〈唯一の人〉 が降臨されると知ったのです」  そう語る透見の笑顔は少し誇らしげだった。 「この島の人々は皆、伝説として〈唯一の人〉や空鬼の事は知っていましたが、長い年月がたつ内に いつその時期がやって来るのかを忘れてしまっていました。それを私が見つけたのです」  嬉しそうに、うっすらと頬を染めてわたしを見つめる透見。  えーとこれは、どう返したらいいんだろう。すごいね? ありがとう? なんか違う気がする。 「そこで私は夏休みの自由研究の発表と共にその事実を大人達に告げ、姫君を迎え入れるため魔術師に なりたいと希望したのです」  いつもはどっちかというと寡黙な透見が熱い瞳で饒舌に語る。 「その後、私が姫君の召還士及び守護者になったと知って剛毅さんや園比さん、戒夜さんも仲間に 加わって下さったんですよ」  にこりと笑って透見が言う。 「島の人達は本当の所、空鬼が現れる時期が近いのか半信半疑だったのでは、と思います。最初は 用心に越したことはないという程度だったのではないのでしょうか」 「もし透見が自由研究に『伝承』を選ばなくて、来襲の時期にも誰も気がつかないまま空鬼が来ちゃって たら、どうなってたんだろ」  素朴な疑問をぶつけてみる。 「召還の魔術についてはいつの時代も数人が身につけています。ですから今回姫君を召還した際にも その皆さんに立ち会って頂いたんですよ」 「ふうん。そうなんだ?」  つまりいきなり空鬼が来てもすぐに召還出来たわけか。でも、ちょっとびっくりした。だって目覚めた 時は透見たち以外誰もいなかったよね? だからその人達とは全然会ってないから実感わかない。 「けれど空鬼が出た後に召還したのでは後手後手になってしまっていたでしょう」  そう透見は言うけど。 「そうかな? わたしが来てすぐに小鬼に見つかっちゃったから、そんなに変わんない気がするけど……」  つい、そう口に出して言ってしまった。  別に透見に反論するつもりとかは無かったんだけど、つい思った事が口に出てしまったのだ。  気の強い人ならわたしの言い方に反発するだろうに、透見はむっとする事なく、余裕の笑顔で答えて くれる。 「いいえ、違うんですよ。召還の魔術はいつの時代も数人に受け継がれていましたが、守り手の育成は 行われていなかったのです。ですから姫君を召還する事は出来ても守る者がいませんから今よりも もっと〈唯一の人〉を捜すことは困難でしょう」  えーとつまり? 「今よりもっと行動が制限される事になってたって事?」  今いるみんなは小鬼数匹程度なら一人でもなんとかわたしを守れる……かもしれない。  でももし守り手としての修業を積んでなかったら、〈救いの姫〉を小鬼に奪われない為にもこの島の 人達はどうしただろう。  監禁まがいの事が頭に浮かんでゾッとした。  それが顔に出てしまったのだろうか、透見が慌てて言う。 「安心して下さい姫君。今は私がいます。……私達がいます。姫君が望む所へは出来るだけ案内を したいと思っています。ですから……」  いつもの優しい微笑みで透見がわたしを見つめてくる。 「うん、ありがとう」  とりあえずお礼を言ったものの、わたしはその先の言葉を見失った。 「……」 「……」  急に沈黙が訪れる。気まずい。 「えーと、じゃあとりあえず読める所から読んでいくね?」 「そうですね。私ももう一度他の本に目を通してみます。以前は気づかなかった事に今なら気づける かもしれませんから」  そう言ってわたしたちは再び読書を開始した。

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