終わりの始まり その2  てくてくと二人で歩く。なんとなく会話する事なく、ただ並んで歩く。  あと少しで屋敷に着くという辺りで透見がふと立ち止まった。 「どうしたの? 透見」  わたしも立ち止まり、透見を見上げる。透見は真剣な眼差しでわたしを見ていた。 「姫君、先程の話なのですが、私の気持ちが分かれば姫君の迷いは無くなるのですか?」  ドキリとした。園比の出現でなんとなく流れてしまっていた話をまた言い出すなんて。 「透見が嫌でなければ、聞かせてほしい。最初に透見が〈唯一の人〉かもって言った時はまだわたしの事 〈救いの姫〉としか見てなかったでしょ? あれから透見の気持ちは変わった?」  ドキドキしながら透見に尋ねる。考えてみれば昨日の今日だ。心境の変化があるには早すぎる気もする。  だけどこれは夢だから。わたしの思う通りに話が進んだって可笑しくはないよね?  透見は一度目を伏せ、それからわたしを見た。 「私が〈唯一の人〉と言われても、正直まだピンときません。けれど姫君の事をどう思っているのかと 問われれば……」  そこで透見は覚悟を決めるようにひと呼吸置いた。まっすぐな瞳で見つめられ、わたしの鼓動も どうしようもなく高鳴る。 「姫君を他の誰にも渡したくはありません。姫君を私だけのものにしたい……」  一気に頭に血が昇った。どっかーんと頭から噴火しちゃいそうだ。 「このような思いを抱くとは、自分でも驚いています。姫君はずっと憧れであり、敬愛の対象では ありましたが、このような独占欲を抱くとは思ってもみませんでした。けれど……」  透見の手がわたしの頬へと伸びてくる。 「姫君が、他の男に触れられるのを見ているのが嫌なのです。他の男の言動に惑わされている貴女を 見るのも嫌です」  その手がわたしを捉え、熱くなった頬を撫でる。 「透見……」  これ以上にない程ドキドキしながら、わたしは深呼吸した。  うん、これはもうオッケーだ。大丈夫。ちゃんと好感度達成してる。あとはわたしが名乗れば、確定だ。  そう思って、気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返していたその時。 「決めたの?」  背後から、少年の声が聞こえた。  驚いて振り向く。透見の方も気づいていなかったようで、慌ててそちらを向き、身構える。そこには いつかの赤毛の少年がこちらを向いて立っていた。 「決めたの?」  繰り返す言葉。その口元は笑みを浮かべているのに、今にも泣きそうな瞳をしている。  決して近づいては来ない、手の届かない距離で少年は、それでもまっすぐにわたしを見て問いかけて いた。  決めたって、わたしが透見を〈唯一の人〉に選んだって事? どうしてこの少年がそんな事を 知ってるの?  不安に胸が苦しくなる。そういえばこの少年がどういう存在なのかみんなに相談しようと思ってたのに 忘れていた。  小鬼と同じ赤い髪を持つ少年。やはりこの子も小鬼と同じ空鬼の仲間なんだろうか?  透見も同じように思ったのか、わたしを背にかばうように立ち何かの呪文を唱え始める。 「決めたんだね?」  確認するように、呟く少年。と、同時に突然空に影が現れた。 「ダメ」 「ダメ」 「ダメ」 「ダメ」  ボロボロと、雨が降るように小鬼が落ちてくる。 「ひっ」  その数の多さに思わず悲鳴をあげてしまった。途端に小鬼たちがこちらを向く。姿を見えなくなる 魔術をかけてあったけれど、今の声で小鬼達に見つかってしまったのだ。 「イタ」 「ダメ」 「来ル」  小鬼達がいっせいにこちらへと向かって来る。いつもは何故か、わたしに嬉しそうな顔を向ける 小鬼達。だけど今日は違った。泣きそうな、ううん、泣いてる子もいる。みんな悲しそうな必死な顔を してわたしに追いすがって来る。  そんな小鬼達を透見が魔術で一斉に弾き飛ばす。すぐに近くにいた園比達も駆けつけ、小鬼に攻撃を 始めた。  だけどいつもなら剛毅達に応戦し始める小鬼達は彼らを無視してわたしの方へとやって来る。 殴られても切られても弾き飛ばされても、ひたすらわたしの方へとやって来ようとする。 「姫君、こちらへ」  透見がわたし達の周りに障壁を張り小鬼達が近づけないようにはしてくれたけれど、それでも小鬼達は どうにかわたしの所へ来ようとその障壁に群がる。  そんな中、あの少年はそんな小鬼達を必死に止めようとしていた。 「ダメだよ。彼女が決めたんなら、それを受け入れなきゃ」  小鬼達を説得するように、少年は小鬼達に語りかける。だけどその顔はとても辛そうに見える。 「イヤ」 「ダメ」  小鬼は拒否しながら少年を振り解き、わたしの方へとやって来ようとする。 「お願いだから……」  泣きそうな顔は小鬼とよく似ているのに、どういう事だろう。 「透見、あの子……」  何か知っているかもしれない。そう言いかけたわたしの意を汲むように透見は頷き、剛毅に呼びかける。 「その子を捕まえて下さいっ。倒すのではなく、捕らえて!」  透見の言葉に剛毅もすぐさま反応し、その少年の方へと行く。その間にも小鬼達はわたしに向かって 来ようと、透見の張った障壁をなんとか越えようとしている。 「…くっ。このままでは保たない……」  苦しそうに透見が言う。小鬼一体一体では破れない透見の障壁も、数の力で軋み、今にも砕け散って しまいそうだ。  戒夜と園比、それに棗ちゃんも懸命に小鬼を倒しているけど、なにせ数が多い。どこにこんなに 隠れていたのか、不思議なくらいだ。  そして剛毅は小鬼達を掻き分け、例の少年の腕を掴んだ。 「お前、空鬼の仲間なのか?」  そう剛毅が詰問する。けれど、少年はそれに答えない。  そうこうしている内にも、今にも小鬼は壁を壊してしまいそうだ。  たぶん、言うなら今だ。  そう思ったら更に胸がドキドキして頭がクラクラしてきた。  落ち着かなきゃ。  深呼吸。吸って吐いて吸って吐いて吸って……。  ああ、また間違った。吐いて吸って吐いて吸って……。 「大丈夫ですか、姫君」  自分も魔術を保つのに懸命で苦しいだろうに、わたしの事を気にかけてくれる透見。やっぱり優しい。 「わたしは大丈夫。落ち着こうと思って深呼吸してただけだから」  笑ってそう言うと、透見も笑顔を見せてくれる。 「以前も思ったのですが、姫君は少し変わった深呼吸をされますよね」  小鬼達はどんどん迫って来ててそんな話してる場合じゃないだろうに、透見はそんな事を言う。 たぶんわたしが不安にならないように気を使ってくれてるんだろう。  だからわたしも、自分を落ち着かせる為にも普通を装って返事をする。 「深呼吸ってね、吸うより吐く方が大事なんだよ。知ってた? だからそれを意識する為に、先に 吐いてから吸うの」  とか言いながら、しょっちゅう忘れて先に吸っちゃうんだけど。 「吐く方が、ですか? 新鮮な空気を吸うのではなく?」 「あー、うん。理由にもよるだろうけどね。今みたいに落ち着きたい時は吐くのが大切なの。息をね、 吸う時には交感神経、吐く時には副交感神経が働くんだって。気持ちを落ち着かせるのは副交感神経 だから」  って、テレビの受け売りなんだけど。でも効果はあると思う。  わたしの言葉に透見は感心したような顔をした。  と、その時ピシリと音がした。透見の張った障壁にヒビが入ったんだ。もう時間がない。 「透見」  彼の名を呼び、もう一度わたしは息を吐いた。そして透見の耳に唇を寄せる。 「みおこ、だよ」  囁くように、名を告げる。透見は一瞬、驚いたように目を見開き、それから小さく呟いた。 「みおこ…さん」  その途端だった。障壁を取り囲んでいた小鬼達が次々と光を放った。そしてそれから粒子となって サラサラと風にさらわれていく。  その光景にわたしは目を奪われ、息を呑んでいた。  すごい。これが〈唯一の人〉の力?  驚いたのはわたしだけじゃなかったみたいで、透見本人も呆然とその様子を見ていた。他のみんなも、 何が起こったんだろうと言わんばかりにキョロキョロしている。  その内の一人、剛毅に目が行き、その手に掴んでいる少年が目に入った。小鬼の姿はもう全て消えて しまっているのに、その少年はまだそこにいる。  やっぱりあの子は小鬼とは違うの?  そう思ったのが通じたようにその少年が振り向いた。そしてわたしに笑顔を、悲しそうな笑顔を向けた。  その顔になんだか見覚えがあるような気がして、無意識に傍にいた透見の服を握りしめた。  それが合図だったように少年の身体が淡く光り始めた。 「え……?」  小鬼と同じように少年は光り、やがてキラキラと粒子になって風にさらわれていく。  何か知っていそうだった少年は、やっぱり空鬼の仲間だったんだろう。遅れて消えたのはたぶん、 小鬼よりも少し力が強かったからだろう。  そしてあれだけ辺りを埋めるようにいた小鬼はもう一人もいなくて、いるのはわたし達六人だけに なった。 「姫様、大丈夫だった?」 「今のは〈唯一の人〉の力ですか?」 「すげーじゃん。やっぱ透見が〈唯一の人〉だったんだな」 「おめでとうございます、姫様」  パタパタとみんなが駆け寄って来る。放心していた透見もはっと気がついたように張っていた障壁を 解き、みんなを迎え入れた。 「さすが〈唯一の人〉の力は凄いよな」  剛毅が笑顔で透見の背をバンと叩く。それに少しむせながら、まだ自分で信じられないという顔を した透見が呟いた。 「彼女の名を口にした途端、力が溢れ出てきました。そして何をしたという訳でもないのに、小鬼が 消えた……」 「だからそれが〈唯一の人〉の力なんでしょ? あーあ。結局透見なのかぁ。……けどまあ、こう なったら認めるしかないよね。おめでとう、透見」  意外にもすんなりと園比の祝福が得られ、ちょっと拍子抜けする。けどまあ園比は軽い気持ちで あれこれ言ってたみたいだから、それもありえるのかな。 「あとはいよいよ、ボスである空鬼を倒すだけですね。ともあれ、〈唯一の人〉が見つかり安心しました。 おめでとうございます」  戒夜が普段見せない優しい笑みを浮かべ、わたし達を祝福してくれる。 「今夜は腕によりをかけてご馳走を作りますね」  棗ちゃんが嬉しそうにそう言った。その直後だった。空から影と共に声が落ちてきた。 「決めたんだね。おめでとう」  聞き覚えのあるその声に、空を仰ぎ見る。そこに浮かんでわたしを見下ろしていたのは……。  なんで?!  心臓を鷲掴みにされたような苦しみに息が止まった。空の上、鮮やかな赤い髪を揺らして宙に 浮いている彼。  なんで……。  涙があふれ出る。叫びたいのに、声が出ない。どうしてという思いと共に思い出す。記憶があふれ出る。  美しい赤い髪。スラリと伸びた手足。透見達とそう変わらない歳のその青年はほんの少し悲しそうな 笑みを浮かべ、わたしを見ている。  ああ、なんで……。  涙が止めどなくあふれ、彼の姿が滲む。  そこに浮かんでいたのは、わたしの大好きな、あの人だった。

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