決めなければならない覚悟 その2  司書のお姉さんに案内され、みんなで四番の部屋に入る。みんな例の本が気になってるらしく、透見が その本を手に取って机に座るとそれを取り囲む形になった。 「…今のところ、変化ありませんね」  本を開く前にそう呟く。以前わたしが手に取った時本がほのかに光ったような、そんな変化を期待して いたんだろうか。だけど透見が手に取っただけではそういった変化は見られなかった。 「……んー。やっぱオレにはさっぱり。誰か読める?」  開いた頁を見て早々に剛毅が言う。 「僕もさっぱり。ぐるぐるしてて目が回りそう」 「やはり当事者である姫や透見でないと読めないのではないか?」  園比と戒夜もそう言い、わたし達を見た。  透見は少し考えるような仕草をして、それからわたしを見た。 「姫君。姫君がこの本を開いて下さい」  パタリと本を閉じ、わたしへと差し出す。わたしは困惑しながらもその本を受け取った。  と、本がパアッと光を放った。びっくりして本を取り落とす。 「どうされましたか、姫君」  驚いたように透見がわたしを見る。わたしは顔を上げ、透見や他のみんなの顔を見た。その誰もが、 どうしてわたしが本を落としたのか分かっていないようだった。 「ううん。なんでもない。ちょっと手が滑っちゃっただけ」  誤魔化すように笑って落とした本に手を伸ばす。  やっぱり本は光を放った。けど、それを無視して本を開く。 「えーと、この辺だったよね」  光はすぐに弱まり、わたしはパラパラと魔術の掛かった頁を探した。  例の頁はすぐに見つかった。開いた頁はほのかに光りながらもしっかりと文字が安定していた。以前の 様に読んだ端から内容を忘れてしまう、なんて事はなかった。 「うわぁ、やっぱぐるぐるだぁ」  園比が本当に目を回しそうな勢いで言う。剛毅や戒夜も同じみたいだったんで、〈唯一の人〉となった 透見へと視線を向けてみる。 「透見は、見える?」  わたしの問いに透見は首を横に振る。けれどその後、ひたとわたしを見据え、言った。 「姫君は、読めるんですね?」  その問いにわたしは「はい」とも「いいえ」とも言えなかった。読めると言えばその内容を尋ねられる だろう。かといって読めないと嘘をついても、きっと透見にはバレてしまう。 「…分からない……」  そう言うのが精一杯だった。 「分からないとはどういう意味ですか?」  戒夜が詰問するように訊いてくる。わたしはもう一度、本へと目を落とした。  〈救いの姫〉の選択により透見が〈唯一の人〉となる。  古の約束通り〈唯一の人〉の出現にともない、空鬼も現れる。  夢幻と現の狭間、終焉の時は迫る。  姫の選ぶのは夢か現か。  姫の選ぶのは幸か不幸か。  彼の者の望みは姫の目覚め。  彼の者は待つ、終焉の時。  まるで詩の様なその文章をどこまで彼らに伝えて良いのか、分からない。  怪訝そうな顔をして更に口を開こうとした戒夜を制し、透見が優しい声でわたしに告げる。 「読める部分だけでも良いのです。声に出して読んでみて下さい」  そう言われ、戸惑いながらわたしは二行目と、最後の二行だけを抜き出して読んだ。選ぶとか夢とか、 そういった言葉をみんなには告げたくはかった。  もし〈唯一の人〉である透見が本当は本の内容が見えていて「何故他の行は読まないのですか」と 訊かれたら、その部分しか見えないと言い張ろうと心に決めて。  透見はわたしの読んだ言葉をどう思ったのだろう。黙ったまま真剣な顔をして考え込んでいる。 「なんか今の聞くと、〈唯一の人〉が現れたから空鬼が来たみたいに聞こえたんだけど、それって 変じゃない?」  園比が首を傾げながら呟いた言葉にわたしはギクリとした。  そう、わたしが〈唯一の人〉を選ぶ事が彼の出現条件。うっかりしてた。夢とか選ぶとか、そういう 言葉にばかり気を取られてて、二行目がそういう意味って事見落としてた。 「そうですね。小鬼は私が〈唯一の人〉と分かる前から現れていたのですから」  透見が同意し、ちらりとわたしを見る。 「あら、変じゃないわよ。〈唯一の人〉の出現っていうのはつまり透見が産まれてきた事を指してるん でしょ?」  棗ちゃんが首を傾げ、不思議そうに言う。 「しかしそうなるともっと前に小鬼の襲来があっても良いのではないか?」  戒夜の意見に剛毅が笑いながら言う。 「いやいや。この間見たボス、オレらとそう歳変わらなさそうだったじゃん? だとしたら透見と タメなのかも。透見が産まれてあいつが産まれた。それじゃないか?」  …なんか都合の良いように話が転がってるなぁ。さすが夢。 「彼の者ってのは透見の事だよね? 姫の目覚めってのは姫様が〈救いの姫〉として覚醒するって イミでしょ?」  確認するように園比が呟く。それに答えるように透見が真面目な顔をして口を開いた。 「もしかしたら空鬼の事かもしれません。昨夜会った空鬼は私達に倒されたがっているようにも見えた」  鋭い透見の意見にヒヤリとした。わたしも『彼の者』が指しているのは彼の事だと思ってたから。 「……透見の意見の方が可能性が高いだろうな。『彼の者』が〈唯一の人〉を指していた場合、魔術を 掛けてまでこの内容を隠す理由がない」  戒夜の言葉に再び背中が冷たくなる。その通りだ。わざわざ魔術を掛けてあった頁に、誰もが知ってる 情報を書いてあるわけがない。わたしが隠して分かりきった事だけを伝えても納得してもらえるわけが ない。  姫の選ぶのは夢か現か。  頁に書かれた一文が頭の中をよぎる。  わたしはいったい、どうするんだろう。この文章からすると、夢を選ぶ事も出来るのだろうか。彼との 幸せな未来が夢見られるのだろうか?  だけど頭のどこかで分かっている。  これは夢。わたしが見ている乙女ゲーの夢。いつかは覚めてしまう幻。 「空鬼は何故、終焉の時を待っているのですか?」  この質問がわたしに向けられたものだというのに気づくのに、少し時間が掛かった。透見がじっと こちらを見て答えを待っている。 「なんで透見は姫様に訊くのかな?」 「そりゃ姫さんのほうが先に覚醒した…かもしれないから、その分記憶が蘇ってて分かるかも、と 思ったんじゃないの?」  そんな園比と剛毅のやりとりがぼんやりと聞こえてくる。  けど、透見はもしかしたら気づき始めているのかもしれない。わたしが魔術を掛けられているわけじゃ なくて、本当に彼の事を好きだって事を。だから彼が何故終焉の時を望むのか、その理由を知っている かもしれないと、わたしに尋ねてきたのかもしれない。 「古からの、決まりだから、だよ」  わたしに言えるのは、それが精一杯だった。 「なのに貴女は、覚悟を決める事が出来ないのですね?」  静かに透見が問う。静かに、責めるように。 「? どういう事ですか?」  戒夜が眼鏡を光らせながら透見に問いかける。だけど透見はその問いに答えようとはしなかった。  わたしも、答えられない。覚悟を決めなければ彼とは会えない。だけど彼と会う時は、彼を倒す時、 だ。彼を倒すなんて出来るわけない。だけど彼には会いたい。 「古からの決まりだから、空鬼は終焉の時を待っている…? 空鬼の待ってる終焉の時って、なんだ ろう?」  園比が首を傾げ、呟く。 「倒されるってイミじゃないんすか?」  園比の疑問を不思議そうに剛毅が答える。 「いやいや。自分が倒されるの待ってるって、自殺願望者じゃあるまいし」  園比はそう否定するけど、わたしとたぶん透見は知っている。彼は本当に倒されるのを待っている。 もちろん自殺願望があるとかじゃない。彼はわたしの為に倒されるのを待っている。わたしを現実に 戻す為に。 「そうね。そもそも空鬼は何を望んでいるのかしら」  棗ちゃんも考えるように呟く。 「え? だから終焉の時でしょ?」  堂々巡りの様なやり取りに園比が首を傾げる。 「そうではなく、棗が言いたいのは倒される事によって空鬼は何を得るのかという事だろう」  戒夜の言葉に息が止まりそうになる。ここにいるみんなが、真実を知りたがっている。探り当てようと している。  この世界が、わたしの夢だという事実を。彼とわたししか知らない真実を。  こんな展開になっているって事は、わたしの深層心理はみんなに真実を告げたがっているんだろうか。 これ以上みんなを騙していたくないんだろうか。  告げるべきか否か。  それ以前に、こんな展開になってるって事は、朝が近いと脳が察知しているのかもしれない。早く 覚悟を決めなければ、決着のつかないまま目覚めを迎えてしまうのかもしれない。  大いなる矛盾。  わたしは目覚めたくないし、彼と一緒にいたい。だけど彼に会えば彼を倒し、目覚めなければ ならない。だからといって彼と会わないまま時間を引き延ばしても、やがて朝がやって来てわたしは 目覚めてしまう。  どのみち目覚めなければならないの?  分かりきった事だ。これは夢なんだから。現実のわたしはただ眠って夢を見ているだけなんだから。  ずっと眠り続け夢を見続ける事なんて、出来っこないんだから。  ゴクリと息を呑む。 「透見、わたし……」  言いたくない言葉を、絞り出す。 「決めるよ、覚悟を」  覚悟を決めて、彼に会いに行こう。どのみち目覚めなければならないのなら、もう一度彼に会いたい。  どうしてこんな設定の夢になってしまったのかは分からないけれど、目覚める前にもう一度、彼に 逢いたかった。

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