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 シラグを家の外まで見送り、その姿が見えなくなるとエリティラはふう、と息をついた。 「さて、今日はもう相談者はいないかしら」  辺りに人影は無い。少なくとも一息つけそうだ。  そう思い、家の中に入ろうとしたその時だった。 「魔女エリティラ。良ければ話をしたいのだが」  声と同時に家から少し離れた場所の、空間が歪んだ。  魔法!  エリティラは息を飲んだ。空間移動の魔法が使えるのは腕の立つ魔法使いだ。そんな魔法使いが 小さな村の魔女になんの話があるというのだろう?  同じ魔法を扱うとはいえ、そんな高位の魔法使いに縁の無いエリティラは警戒して身構えた。 空間からフワリと出てきたのは、エリティラより少しばかり年上だろう、魔法使いだった。 「どちら様? まさか魔法使いのあなたが、私に相談したいことがあるだなんて言わないわよね?」  眉をひそめ警戒するエリティラを吟味するように眺めながら彼は笑みを作る。 「どうかな? まあ、相談と言うよりは頼みがあるのだが」  魔法使いが魔女に頼みですって? たいていの魔法使いは魔女を見下しているのに?  信じられるはずが無かった。いったい何の罠だろうと思いながら、エリティラは少なくとも敵意は 無いのだろうと判断した。魔法使いに恨まれるような事をした覚えはないし、空間移動できるほどの 魔法使いなら害を与えるつもりなら姿を現さなくともとっくに害を与えているだろう。 「わたしの叶えうる頼みなら良いのだけれど。ひとまず中へどうぞ」  少し躊躇はしたが、彼女は彼を家へと招き入れた。  とりあえず話を聞くだけは聞いてみよう。いい返事が出来るとは思わないけれど。  小さなため息をつきながらいつもの客用の椅子を魔法使いに勧めて、お茶を入れに台所へと向かった。  普段来る客はほとんどが女性ばかりなので、女性の好むお茶しかなかった。 「どうぞ」  お茶を出しながらエリティラは、魔法使いを窺った。  こんなお茶で良かったかしら。  一応お茶請けにクッキーなども添えてみたが、とても魔法使いが食べるとは思えなかった。  魔法使いは一礼して受け取り、少量口に含んだ。そして味を確かめてからもういちど口をつけた。  少なくとも飲めないほど嫌いなお茶ではないようね。  しかし魔法使いは味を確かめていたのではなかった。舌の上で転がし、お茶に含まれている物を 分析していたのだ。別に彼女に敵意を抱いている訳ではないのだが、初対面のしかも魔法を扱う者に 出された物は警戒するに越したことは無い。 「それで? どういったご用件でしょうか?」  彼女自身もテーブルに着き、同じお茶を一口飲む。  尋ねるエリティラをじっと見つめ、魔法使いは静かに口を開いた。 「私の名はアルトワース。魔法の研究をしている」  その名前にエリティラは驚いた。  アルトワースですって? この国一番の魔法使いと言われている人じゃない!  若くして王の相談役に抜擢され、色んな魔法の研究もしているという魔法使いだ。魔法を扱う者で その名を知らない者はいないだろう。  そんな人がわたしになんの頼みがあるというの?  エリティラは戸惑った。この国一番の魔法の使い手が、こんな魔女のはしくれに頼まなければならない 事があるだなんてとても思えなかった。 「研究途中に君の家系の魔女たちの記述を見かけて興味を持ってね、ここにきたんだ」  静かに言うと、アルトワースは再びお茶を一口飲んだ。 「? 私はどこにでもいるごく普通の魔女ですけど? もちろん今は亡き母や祖母も」  彼の言いたいことがつかめず、エリティラは眉をひそめた。何か他所の魔女と間違えているのでは ないのかしら?  しかしアルトワースはそうは思っていないようだ。 「そうかな?」  誤魔化しても無駄だとでも言いたげに笑みを浮かべ、エリティラを見つめている。  その事に気づいた彼女は頬が紅くなるのを感じた。嘘をついているわけでもないのに、心の中までも 見透かすようなその視線に耐えられず、目をそむける。  国一番の魔法使いというだけでも気後れするのに、容姿まで良いなんてずるいわ。  そんな思いが頭をよぎる。  つややかな黒い髪に深い湖の底を思わせる青い瞳。黒い長衣の下は農民や剣士のように筋肉隆々では なくすらりとしているのだろう。それでも、エリティラを抱きしめるには充分に広い胸をしている。  何を考えているの、わたしったら。  焦るエリティラに気づいているのかいないのか、アルトワースは笑みを浮かべたまま彼女に告げた。 「私は貴女の家に代々伝わるという魔法を知りたくてここへきたのだ」 「え?」  代々伝わる魔法?  彼の知りたいことがいまいち理解できなかった。確かに魔女はたいていの場合、自分の母親や祖母から 魔法を教わる。だが一般的な魔法使いに言わせれば、魔法使いなら最初に習う低級の魔法ばかりのはずだ。 魔法の第一人者とも言える彼が知らない魔法を魔女が知っているはずなどない。  だがアルトワースは真面目な面持ちでエリティラに言う。 「その魔法をぜひ、教えてもらえないだろうか?」  ぽかんと口を開けずにはいられない。  いったい何が起こっているの?  エリティラはただただ驚き、アルトワースを見つめた。

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