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      4  アルトワースは言葉通りに約束を守った。  寝室には元々あった彼の寝台の横に新しい寝台がピタリとくっつけて置かれていた。運んだ者が新婚 だからと気を利かせたつもりでそうしたのだろう。  彼はまずその二つの寝台を離した。とは言っても、そんなに広い寝室ではないのでほんの少ししか 離れてはいなかったけれど、それでもエリティラは少し気持ちが休まった。  最初の内は彼がすぐそばで寝ていることに緊張して眠れなかったエリティラも、幾日か過ぎるとそれに 慣れ眠れるようになった。  新婚の二人が同じ部屋で寝ていながら手も握らないというのはとても不自然な気がしたけれど、約束を 守り自分を尊重してくれるということが彼女はとても嬉しかった。  それから幾日か過ぎた。エリティラは城の暮らしに少しずつ慣れようと、城の人達と話をしたり アルトワースの仕事を手伝って過ごした。  アルトワースは本当に魔法の研究が好きなようだった。大切な仕事に王の相談に乗ったり城の人たちの 相談や魔法の依頼なんかもあるのだけれど、暇があれば彼は魔法書を読み、なにか実験をしていた。 魔法に使う薬草や毒草、香草なども自分で育てていた。  そしてその日もいつものように一人の客がアルトワースを訪ねて来た。 「アルトワース殿、お忙しい所をすまない。探して欲しいものがあるのだが」  こういった探し物の依頼はアルトワースにとって煩わしい仕事だった。客達は『大切な物がどこを 探しても見つからない。どうか魔法で見つけて欲しい』と言ってくるのだが、大抵は本人の身近な所から 出てくる。単なる置忘れやしまった場所を忘れているだけなのだ。そんなことの為に魔法研究の手を 休めなければならない事に彼はイラついていた。  しかし王だけでなく、貴族や重鎮達の相談を受けるのも彼の仕事だったので無下に断ることも出来ない。  ふと、客にお茶を出しているエリティラが目に入った。 「エリティラ、物探しの魔法は使えるか?」  声をかけられると思っていなかった彼女は驚きながら答えた。 「難しい物でなければ」  それを聞いて彼は頷いた。 「ではこれからは探し物の依頼は君が受けなさい。もし見つけられない難しい物だったらその時は私に まわしなさい」  笑顔でそう言われて、エリティラは驚いて声も出なかった。その場にいた客も驚き、不安げに アルトワースと彼女を見たが、彼は気にした風もなく言った。 「妻は優秀な魔女ですからご安心ください。では詳しい事は彼女に」  そう言うと彼は席を立ち、魔法の研究へと戻って行った。  物探しの魔法を使うのは久しぶりでエリティラは少し不安だったけれど、なんとか問題なく済ます事が 出来た。  さすがアルトワース殿が選ばれた方だけの事はあると、お客がべた褒めしてくれたのでエリティラは 恥ずかしくて顔を上げられなかった。  けれど嬉しくもあった。魔法の腕を認められたという事もあるけれど、誰かの役に立てたというもの 喜びのひとつだった。  お客が帰った後、彼女はふと夫に尋ねてみた。 「どういうつもり?」 「何がだ?」  声をかけられてもアルトワースは魔法書から目を離そうとはしなかった。それでも返事はくれたので 彼女は再び質問を投げかけた。 「どうして私に物探しの魔法の依頼を?」  魔法の研究に余念がない彼が煩わしい依頼から逃れるためというのもあるのだろうが、それだけでは ないような気がしてエリティラは答えを求めた。 「ただこの部屋にいてお茶を入れたり雑用をしているだけでは退屈だろう?」  さらりと言われ、エリティラは驚いた。結婚式の当日はともかく、その後は魔法の研究に没頭していて 彼女のことなど気にもかけていなかったようなのに、退屈し始めていたことに気づいていたなんて。 「ありがとう」  アルトワースの気遣いが素直に嬉しかった。  ひと段落ついたのか、アルトワースは本を閉じやわらかな表情で彼女を見た。 「いや。私の書庫や薬草庫は自由に使っていい。ただし、自分の手に負える範囲で使いなさい」  エリティラは再び驚いた。魔法使いや魔女は自分の魔法書や薬草等を他人に触られることを嫌う者が 多い。それを自由に使っていいと言うなんて、信頼されている証ではないか。 「いいの? 嬉しい。その内私の道具もこちらに持ってきたいわ」  もちろん彼の道具には敵わないし必要な物はここでそろえられるだろう。それでも愛着のある道具を 手元に置きたいと思い彼女は言った。 「そうだな。私も君がどんな道具を使っているか興味あるよ」  アルトワースの瞳がキラリと光った。  エリティラは冷水をあびせられた気がした。  そうだった。この人は私の使う魔法を知りたかったんだった。ありもしない魔法を……。  先程まで温かかった心が冷たくなっていく気がした。彼女が退屈しないようにと気を使ってくれたのは 嘘ではないはずなのに、それさえ魔法の腕を確かめるための手段のように感じてしまう。  暗い気持ちを抱え、その場から逃げ出すように『お茶を入れてくるわ』と言おうとした時、 アルトワースがふと思いついたように話題を変えた。 「ところでその髪は染めているのか? 色が変わってきているようだが」  彼の指摘通り、エリティラの赤い髪の根元からは金色の髪が覗いていた。 「え? ええ、そうよ。そろそろ染め替えなきゃみっともないわね」  前に染めたのは城で暮らし始める前のことだから、そろそろ染めなければと彼女自身も思っていた ところだった。けれど前に使っていた染め粉は村に置いてきてしまっていたので必要な材料を分けて もらわなければならず、言い出す機会をうかがっていた。  ちょうどいいわ、今頼んでしまいましょう、とエリティラが口を開きかけた時だった。 「なぜ染める必要がある?」  アルトワースがじっと彼女を見たまま言った。見つめられエリティラはどぎまぎして視線を逸らした。 「そ、その方が魔女らしいからよ。元の色のままだと他の村娘達とたいして変わらないから……。 それじゃ、魔女として信用が得られなかったのよ」  魔女は特別な存在でなければならない。魔法や占いという神秘の力を使って生活するには普通の娘と 同じ格好をしていては信用されない。もちろんずば抜けて素晴らしい力の持ち主ならば格好など関係ない だろうけど、平凡な力しかない彼女ではただの勘の良い娘、運の良い娘としか見られない可能性もあるの だ。そうなれば商売は成り立たなくなる。  だから今までエリティラは髪を染め派手な化粧をし、黒い服を身にまとってきたのだ。 「そうか」  小さな村の魔女には小さな村の魔女なりの苦労があるのだなとアルトワースは納得した。今まで女性の 化粧というものは自らを美しく見せる為のものしか知らなかった。だからエリティラの化粧もそうだと 思い、趣味が悪い女だと思っていた。  だが、そういう理由なら少しは頷ける。そういえば他の村の魔女達も派手な化粧をして黒い服を着、 ジャラジャラと悪趣味なアクセサリーを身につけている者が多い。髪も、若い魔女には黒髪や赤毛が 多かった。 「しかしここでは必要ないだろう。とりなさい」  国一番の魔法使いが妻にと望んだ魔女なのだ。安っぽい仮装をしなくとも城にいる誰もがエリティラを 優秀な魔女だと認めることだろう。  だが彼女はアルトワースの言った意味が分からない様子でキョトンとしている。 「見たところ美しい金髪ではないか。染めるなどもったいない」  そう言うと彼は立ち上がり、彼女の意見を聞こうともせず呪文を唱え始めた。  魔法をかけられた事に気づき、エリティラは小さく悲鳴をあげた。  まるで風に吹かれているように彼女の髪が揺れる。キラキラと光がはじけ煌いて彼女を取り囲む。 そしてその光と共に髪を染めていた染料が、化粧が、サラサラと落ちて舞った。  目の端に映った髪の色を見てかけられた魔法を悟ったエリティラは紅くなった。  そして、アルトワースは驚いていた。  光を集めたような金色のやわらかな髪が滝のように波打ち、肩へ背へと流れ落ちている。そしてその 金の滝が取り囲む白い顔にはエメラルドのような瞳と、紅く染まった頬と唇がある。  これが本当のエリティラ。私の妻。  知らず彼は彼女の髪に触れていた。思った以上に柔らかく、指通りがなめらかだ。  そしてその手はそのままエリティラの頬へと滑り落ちた。  アルトワースの手に頬を包まれ、エリティラは目を伏せた。彼の手から伝わる熱のせいで彼女の頬は ますます紅くなる。  彼の瞳が近くなったのを感じ、エリティラはドキリとした。結婚のお披露目の宴を思い出し、彼女は 一瞬緊張した。  キス、される?  それは決して嫌ではなかった。あの時も人前でという緊張はあったけれど、彼とのキスが嫌とは 思わなかった。  しかしアルトワースは突然身を引き、彼女から離れた。彼女の一瞬の緊張を感じ取り思い出したのだ、 あの約束を。彼女が望まない内は決して触れないと言ったことを。  どこからともなく湧き上がる彼女に触れたいと思う気持ちを押し隠しながらアルトワースは告げた。 「その方が良い。もう赤毛に染めるのはよしなさい。派手な化粧もだ」  それだけ言うと、彼は部屋から出て行った。

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