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 エリティラはフワフワする身体を支えようと壁に寄りかかった。  キス、されるのかと思った。  彼の顔が近づいてきた事を思い出しただけでドキドキした。けれど自分の思い違いだったことに彼女は ほんの少し気持ちが沈んだ。  ばかね、わたしの本当の姿を見たからといってそれでどうしてアルトワースがキスしてくれるの?  こちらの姿の方が良いと言ってはくれたけれど、それは赤毛の魔女の姿よりもこちらの方がマシという 意味じゃないの。  初めて城へ来た時、魔女として精一杯着飾ったのにアルトワースはまるで嫌な虫でも見るような目 だったことを思い出し、エリティラの顔は曇った。  それでも彼のことを考えると頬が身体が火照り、どこかしら嬉しい気持ちが沸いてくる事に エリティラは気づいた。  そうよね、夫婦としてこれからずっと一緒に暮らしていくのだもの、仲良くしていきたいわと彼女は 思った。少なくともアルトワースは物探しの魔法の依頼を彼女に任せてくれたりと気を使ってくれている。 きっと彼も同じように思っているに違いない。  エリティラは窓を開け、空を見た。気持ちの良い風に雲が流れていく。  彼の望む魔法を教えることは出来ないけれど、他の部分で彼に歩み寄ってみよう。彼が望むなら髪を 染めずに化粧も普通の人たちのやり方を覚えよう。  少しずつでもお互いに歩み寄れたなら、とエリティラは思った。  取りあえず化粧をしてみよう。いつものような濃いものではなく薄化粧を。  エリティラは化粧道具を取り出し鏡に向かった。そしてあれこれ自分なりに試してみたものの、 どうしてもいつもの癖が抜けないのか他の女性達のような自然な感じにならない。ため息をつきつつ 何度もやり直し、なんとかマシになったかなと思った時、誰かがドアをノックした。 「エリティラ様、王妃様がお呼びです」  王妃様が?  驚きながらも立ち上がり、扉を開けるとエリティラは伝令の少年に言った。 「すぐに伺いますと伝えてください」  そしてすばやく化粧道具を片付けると、彼女は不安に思いながら部屋を後にした。  結婚式の日に『相談にのってね』と言われていたものの、今まで王妃に呼び出されたことはなかった。  いったいどんなことを相談されるのだろう? 私で役に立てるのかしら。  考えるほどに不安になったが、呼び出しに応じない訳にもいかない。  深呼吸をして自分を落ちつかせ、エリティラは王妃の部屋をノックした。 「エリティラです。お呼びでしょうか」  どうぞと声が掛かり、扉を開ける。部屋に入ると彼女を見て、王妃が驚いた顔をした。  もしかして呼ばれたのは私ではなくてアルトワースのほうだったのかしら?  戸惑いそれ以上中に入れずにいると、それに気づいた王妃が手招きをした。 「こちらへいらっしゃい。エリティラ」  頷き、王妃の元へと行く。王妃はエリティラの顔をじっと見、そしてにこりと笑った。 「見違えたわ。どうしたの、この髪。素敵な金色ね」  それで王妃様は驚いていたのね。  ほっと息をつきエリティラは顔を和らげた。 「今までが赤く染めていたんです。こちらが元々の色で……」 「まあ、そうだったの。今までの赤毛も良かったけれど、こちらはもっと似合ってるわ」  王妃は微笑むとエリティラの手を取った。 「ところで今日来てもらったのはね、知っているかしら? 今この城の女性達の間で流行っているの だけれど、ドレスに色々な香りを染み込ませておくの」  手を引かれるまま王妃の後について行くと、たくさんの布を広げてある部屋へと通された。 「はい。存じております」  この城に来てから出会う身分の高い女性達はいつもなにかしら良い香りを漂わせていた。それが ドレスに付けられた香りだということにも気が付いていた。  今も王妃が動くたび、ドレスからふわりと良い香りが漂ってくる。 「それでね、新しいドレスを作ろうと思っているのだけれど、貴女にそのドレスに合う香りを選んで もらいたいの」  それはエリティラにとって嬉しい相談だった。以前から彼女は相談に来た女性達の為に色々な香りを 調合する事があった。イメージ通りに作るのはなかなか難しかったけれど、調合は楽しかったし、相手が 気に入って喜んでくれた時の顔を見るのがとても好きだった。 「どの柄で作られるのですか?」  目の前の布を見渡す。さすが王妃と言うべきなのだろう、色とりどりの布がそこには広げられている。 もちろん色だけではない。かわいらしい柄の織り込まれた物や素晴らしい柄の描かれた物もある。 「どれにしようか迷っているのよ。エリティラはどれが良いと思う?」  何枚かの布を手に取り、王妃は自らの身体にあててみせる。その華やかさにうっとりとしながら エリティラも幾つかの布に触れてみた。  さすが王妃のドレスを仕立てるための布だけあって、肌触りもとても良い。  どんなデザインにするかはもう決めていた王妃はあれこれ迷いながら布を選び始めた。エリティラも 「こちらがよろしいのでは?」と時折口を挿みながら出来上がったドレスを着た王妃の姿を想像し、 そしてそれに合いそうな香りは何があるのか、色々と考えてみた。 「決めたわ。今回はこの布地で作りましょう」  王妃の選んだ布は澄んだ湖を思わせる青い色をしていた。  爽やかな香りが似合いそうだわ、とエリティラは思った。 「では、近い内に香りの候補を持って参ります。細かい打ち合わせはその時にいたしましょう」  そう告げるとエリティラは侍女たちと共に部屋中に広げた布をたたみ始めた。  それにしても、なんて素敵なんだろう。  エリティラはうっとりと手に取った布を見た。今まで黒や赤など、魔女らしく見える暗い色や はっきりした色ばかり着てきた彼女には縁の無いものだったけれど、本当は相談に来る娘達の華やかな 色の服がとてもうらやましかった。 「良かったら好きな布地をお持ちなさい」  ふわりと布を広げ、王妃はエリティラに布をあてた。  慌ててエリティラは断ろうとしたけれど、王妃は首を横に振った。 「ダメよ。結婚の祝いの品として貰ってちょうだい。それにその髪に似合うドレスも作らなくてはね。 ああ、これがいいわ。この布地を持ってお行きなさい」  差し出されたのは柔らかな肌触りの淡い薄紅色の布だった。村に住んでいた頃では絶対に着ることなど 出来なかった色だ。  エリティラが受け取るのを迷っていると王妃が眉をしかめた。 「この色は嫌い? 貴女に似合うと思うのだけれど。それともドレスを仕立てる暇が無いのでしたら、 私のと一緒に皆で仕立てますよ?」  王妃の言葉にエリティラは慌てて首を振った。 「皆様のお手を煩わすなんてとんでもありません。……とても素敵な布で、私に着こなせるか どうか……」  彼女の言葉に王妃は微笑み、再びエリティラに布を差し出した。 「この色のドレスを着た貴女を見たならきっと、アルトワースも惚れ直しますよ。さあ、お持ちなさい」  差し出された布地をおずおずと受け取ったエリティラは頬が紅潮してくるのが分かった。  この美しい布でどんなデザインのドレスを作ろうかしら。……そのドレスを着た私を見て、 アルトワースは少しは好きになってくれるかしら。  こみ上げてきた嬉しさが自然と笑顔となり、いつの間にかエリティラは布地を抱きしめていた。 「ありがとうございます、王妃様」  礼を告げる彼女の笑顔を見て、王妃も嬉しそうに笑った。

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