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 逃げ出すように部屋を出たアルトワースだったが、いつまでも部屋を留守にする訳にはいかない事は 分かっていた。  外の新鮮な空気を吸って気持ちを落ち着けようと彼の管理する薬草園へと足を向けた。  真実のエリティラの姿には驚かされた。毎夜、眠る前には化粧を落としていたので彼女の素顔を 見るのは初めてではないはずだが、今まであの派手な赤い髪に騙されてその美しさに気がつかなかった。  もちろん、身近にも美しい女性はたくさんいる。王妃も美しい女性だし、貴族や城で働く女性の中にも 美しい者は何人もいた。だが、エリティラのように知らぬうちに手を伸ばしてしまうことなど今まで 一度もなかった。  アルトワースは頭を振り、彼女の残像を払おうとした。薬草の間に生えている雑草を抜き、幾つかの 薬草や香草を摘み取った。  そろそろ部屋に戻らなくては。  城に仕える魔法使いの役目としていつでも王や他の者たちの相談に乗らなければならない。その為には いつでも所在を明らかにしておかなければならない。  アルトワースは立ち上がり、手に持っていた香草の香りを嗅いだ。摘み取った内の幾つかには 鎮静効果をもたらす香りがある。少しは落ち着きを取り戻せるだろう。  しかし、彼女のいる部屋に戻ると思うとどんな顔をすればよいのか分からなかった。  部屋に戻ると彼女の姿はなかった。少なからずほっとし、アルトワースは読みかけの魔法書を手に 取り机に向かった。  最初はなかなか内容が頭に入って来なかったが、読み進めていく内に彼は次第に没頭していった。  突然、ノック無しに扉が開いた。彼女だ。集中力が途切れそうになったが、そのまま本に目を 向けたままでいた。 「王妃様に呼ばれていたの」  彼女が小さな声で言う。 「そうか」  短く答え、再び本に集中しようとした。だが彼女はそのまま立ち去ろうとも座ろうともせず、 立ち尽くしている。 「あの……。王妃様から頼まれたことがあって……。それで、香草とか色々分けてもらっても いいかしら?」  様子を伺うようにエリティラが尋ねてくる。好きに使っていいと言ったはずなのだが、やはり他人の 物を勝手に使うのは気がひけるのだろうか。 「いちいち断らなくても、自由に使うといい」  私たちは夫婦なのだから、と言いかけてやめた。形だけの夫婦でしかないことは二人が誰よりも 知っているのだから。彼女がまだ他人行儀なのも仕方のないことだった。  彼女が部屋に帰ってきてそのままそこに立ったままだったのはこの事を言いたかったからだろうと 思っていたのだが、アルトワースが返事をした後もエリティラはそのまま動こうとしない。  まだなにか話があるのかと仕方なくアルトワースが顔を上げると、彼女の手には薄紅色の布が 握られていた。 「王妃様にいただいたの。これで服を作りなさいって。でも、魔女の服としては明るい色すぎて……」  迷っている口ぶりではあるが、その布地を見る彼女の瞳は喜びに輝いていた。  王妃の見る目は確かなようで、今着ている黒い服よりもその色のほうが彼女を華やかに見せるようだ。 「城の誰もが君が魔女だということを知っているんだ。今更見かけを気にする必要はないだろう、 好きにしなさい」  アルトワースの言葉に彼女は安心したように微笑むと、小さく「ありがとう」と言い布を胸に抱いて その場を立ち去った。  服のことは気がつかなかったな、とアルトワースは思った。黒く胸の開いた服ばかり着ているのは、 彼女がそういう服を好んでいるのだろうと気にもとめていなかったが、先程の布を見る彼女の瞳を 見るとそうではなかったことに気づく。赤く髪を染めたり派手な化粧をしていたのと同じで、魔女らしく 見せるための演出なのだろう。彼女本人はおそらく華やかな服を着てみたいのだ。  彼は集中できなくなった魔法書を閉じ、エリティラの入っていった寝室へと目を向けた。  王妃にもらったという薄紅色の布も彼女に似合うだろうが、彼女の瞳と同じ明るい若草色もきっと 似合うだろう。  次に市が立つ日に彼女を連れて布やなんかを買いに行こう。  ふと金や宝石なんていらないと以前彼女が言った事を思い出した。だが、あの時とは状況が違う。 今回は彼女の着る服の布地なのだし、交換条件などではなく贈り物なのだから。  思いがけずアルトワースから市へ行こうと誘われた時、エリティラはとても驚いたけれど嬉しかった。 「王妃様から頂いた布だけでは足りないだろう。どれでも好きな布を選びなさい」  そう言われ、少し戸惑った。もしかしてアルトワースは今まで着ていた服が気に入らなかったのかしら?  そうかもしれない。今まで魔女らしく、と染めていた髪や派手な化粧も落としなさいと言ったのだから。  だけど、そうは言われてもエリティラはどれを買うかなかなか決められなかった。目の前には素敵な 布が色々とある。もちろん見るだけなら、こんな布で服を作ってみたいなぁとかこの布ならあんな デザインの服が作りたいわとか思うのだけれど、実際に買うとなると今まで質素に暮らしてきたせいか どうしても高い物には手が出ない。  さんざん迷った挙句、エリティラは安価な物から一点を選びアルトワースに差し出した。  それを受け取るとアルトワースは、彼女が迷ってやめてしまった数点の布と、彼女が遠目にしか 見なかった高級な布の中から自分が選んだ数点を買い取った。 「そんなにどうするの?」  あっけにとられるエリティラにアルトワースは真面目な顔をして言った。 「もちろん全部君の服に仕立ててもらう」  城に帰ると彼の言葉通り、エリティラの元に数人の女性がやって来てどんなデザインにするのかを 聞き、採寸をして行った。そして数日後には彼女の元にたくさんの服が届けられた。  今までエリティラは胸の大きく開いた服ばかり着ていたけれど、新しい服はどれもそれとは反対の 清楚なデザインだった。もちろん選んだのは彼女自身だ。本当はずっとこういう普通の娘達が着る服に 憧れていた。 「あの、服をたくさんありがとう」  届いた服の中から一番気に入った物を選んで身に着けると、エリティラはアルトワースにお礼を言った。  アルトワースは彼女を見ると笑みを浮かべた。 「よく似合ってる」  たった一言の褒め言葉ではあったけれど、エリティラは地に足が着かないくらい嬉しかった。  着てみたかった普通の娘の服が着られたから? それが似合っていると言われたから?  そうかもしれない。けれど似合っていると褒めてくれたのが、他でもないアルトワースだったから こんなに嬉しいんだわ。  頬を染めながらエリティラも万遍の笑みを浮かべた。  新しい服の出来ばえにアルトワースも満足していた。これならば一緒にいても恥ずかしくない。 それどころか彼女に恋をする輩も出てくるだろう。  もちろん、既婚者である彼女を口説くような不道徳は許されないが。  それに胸の開いていない服を着てくれることは彼にとってありがたくもあった。エリティラの本当の 姿を見て以来、時折約束を忘れ彼女に触れそうになってしまう。そんなばかげた欲望を少しでも 減らしてくれるなら、それはありがたい事だった。  そして何よりも満足したのは彼女が喜んでくれたことだった。どの服も明るい色合いやデザインが 彼女をひきたて華やかに見せてくれている。  嬉しそうに頬を染め笑っている彼女を見るとアルトワースも自然と笑みがこぼれた。

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