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      5  しばらくは平穏な日々が続いた。  エリティラの所に物探しの依頼に来る者たちは日に日に増えるようだった。アルトワースが依頼を 受けていた時には命に係わることでないと相談に来なかった身分の低い者たちもエリティラには気軽に 頼めるのだろう、「あれを探して」「これが見つからない」とちょくちょく来ているようだった。  おかげで彼女はたくさんの城の者たちと仲良くなった。時には王妃に呼び出され、侍女たちも交えて 女同士のお喋りをする事もある。 「だいぶん城の暮らしに慣れたようだな」  エリティラは入れていたお茶を差し出しながらアルトワースの問いに笑顔で答えた。 「ええ、おかげさまで」  その時、彼女からふわりと花の香りが漂ってきた。甘く優しいその香りが、アルトワースの心を ざわつかせた。 「なにか、香りをつけているのか?」  アルトワースが気づいてくれたことを嬉しく思いながらエリティラは、王妃様を筆頭に今城の女性達の 間で服に様々な香りをつけて楽しむことが流行っていることを説明した。  彼もその事は知っていた。以前彼女が王妃に頼まれ香りを調合して以来、他の女性からも頼まれたと 度々調合していたからだ。しかし彼女自身が香りをつけるとは思っていなかった。考えてみれば彼女も 女性なのだからそういうことをしても不思議ではないのだが。 「この香りは嫌い? もしかして魔法の研究の邪魔になるかしら?」  強い香りを好む女性もいるけれど、もともとエリティラはほんのり香るくらいが好きだったし アルトワースの研究の邪魔にならないようにと更に控えめにしていた。けれどそれでも彼は邪魔に思う かもしれない。  少し不安に思いながら彼の顔色を伺った。けれどアルトワースは短く「いや」と答えただけだった。  ある日、謁見の儀を終えた王がふとアルトワースを見てにやりと笑った。 「最近そなたの妻はすっかり美しくなったな。新婚生活が上手くいっているからかな?」  ひやかす様な王の口ぶりに彼は複雑な思いだった。  確かに彼女は美しくなった。そして新婚生活は、喧嘩をするわけでなく穏やかに過ごしているから 上手くいっているといえばいっている。  しかし二人は未だ別々の寝台で眠っていた。 「女は愛されて美しくなりますもの」  にこりと笑って王妃が王を見つめる。王も王妃を見つめ、そして二人は唇を重ねた。  政略結婚であったにも係わらず愛し合っている二人を見てアルトワースは、いつか自分達もこんな風に なれるのだろうかと思った。しかしそれはまだ当分先の話になりそうだ。 「しかしアルトワース、気をつけねばならんぞ。美しい人妻は不届き者に狙われるぞ?」  アルトワースの物思いを破るように王が突然真剣な顔をして言った。 「あなた!」  なんて事を言い出すの、と咎めるように王妃は王を見た。王も王妃に視線を移し、真面目な顔をして 言う。 「そなたに色目を使う輩を追い払うのに、私がどれだけ苦労していることか」  それを聞いて王妃は頬を染めて困ったように笑った。 「まあ、それを言うなら私も貴方の愛妾の座を狙う女達には手を焼いていますのよ?」  二人は微笑み、再び唇を重ねた。 「ご心配なさらなくても、お二人がお互いのことしか目に入っていないことは城中の者が存じて おりますよ」  王と王妃もまだまだ新婚、蜜月を過ぎてはいないのだ。時折こうして他の者の前で熱々ぶりを披露して いる。 「そうだな。そなた達も新婚、心配はいらぬのかも知れないな」  笑顔で言う王の言葉がちくりとアルトワースの心に刺さった。  エリティラは毎日を忙しく過ごしていた。探し物の相談に来る人達は増え、彼女はどんなに小さな 探し物でも見つけてあげようとがんばっていた。もし見つけることが出来なかったらアルトワースの 名前に傷をつけてしまう。エリティラはそうならないように必死に物探しの魔法を使った。  ある日ふと、来客の中に毎日通ってくる青年がいることに気がついた。エンビスという名のその青年は 城の剣士の一人だった。  陽気な性格のエンビスは依頼以外の話、世間話や笑い話なども持ってきて彼女に話しかけた。時には 花や菓子などを持ってくることもあった。  彼の瞳に浮かぶ色は良く知っていた。エリティラのところに相談に来ていた娘達と同じ、あれは恋を している瞳だ。  その事に気づいたエリティラは最初、エンビスは恋の相談をしたいのに言い出せないのかしらと思った。 けれどすぐにそうではないと気づいた。その瞳はいつでも自分へと向けられていたのだから。  困ったことになったわ、とエリティラはため息をついた。エンビスのことは愉快な人だとは思うけれど、 友人以上には思えない。ましてやエリティラは既婚者、まだ本当の夫婦にはなっていないけれど夫を 裏切るような事をするつもりなど微塵も無かった。  エンビスもそのことをちゃんと分かってくれていれば良いのだけれど。  エリティラは再びため息をついた。アルトワースに相談するべきかしら、と思ったけれど一瞬でその 考えは取り消した。愛を囁かれたりせまられて困っているならともかく、ただ想われているというだけで 相談してもきっと相手にはしてくれないだろう。それどころかくだらないことで研究の邪魔をするなと 言われかねない。  アルトワースは決して彼女に手を上げたり怒鳴ったりはしないけれど、彼に嫌な思いをさせたり 怒らせたりはしたくなかった。出来ればいつでも笑っていて欲しい、そんな風にエリティラは思っていた。  ふと、そういえば結婚してからアルトワースは例の魔法を教えろと言わなくなった事に気づいた。 きっといつまでもひとつの魔法にこだわって時間を無駄にできないというのもあるのだろう。真の夫婦と なり心を許しあえばエリティラの方から教えてくると思っているのかもしれない。  その事を思うと彼女は気が重くなった。いつかお互いに信頼しあえるようになって、本当にそんな 魔法などないと知った時、彼はどう思うだろう。

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