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 いつものように未読の魔法書を開き目を落としていたアルトワースだったが、内容は少しも頭に 入っていなかった。王と王妃の言葉が頭の中を駆け巡っていたのだ。  確かに最近エリティラは美しくなった。髪を染めるのをやめ、派手な化粧をやめたせいだけではない。 物探しの魔法の依頼を任せてから活き活きとしている。仕事を任せたからだと思っていたが、 それだけではないような気がしてアルトワースは眉を寄せた。  服装が変わったのは彼自身が贈ったものだから気にする必要はないだろう。だが、髪型は?  以前は結うことなくただ後ろに流して黒いベールをつけていた。だが服装が変わってからベールを つけることはやめ、色々な髪型を試し時にはかわいらしいアクセサリーや花をつけていることもあった。 それに先日から香りを身にまとってもいる。  自分がイライラとしていることに気がついたアルトワースは落ち着こうとお茶を入れにたった。  その時、エリティラのところに物探しの依頼人が来ているのが目に入った。  見たことのある青年だった。城に仕える剣士の一人だ。そして最近やたらにこの近辺で見かける。  不安がアルトワースの胸をよぎった。まさかという気持ちを打ち消したが不安は消えてくれない。 二人の楽しそうな話し声が聞こえてくる。 「また剣をどこかに置き忘れてきたの? あきれた。まさかわざとやっているんじゃないでしょうね?」  彼女のたしなめる声さえどこか嬉しそうに聞こえ、アルトワースは胸がムカムカとしてきた。 「まさか。いくら今が平和だとはいえ、自分の命を守る大切な剣をわざと置き忘れるはずがないじゃない ですか」  全く困っている様子のない剣士の軽い声は、エリティラと話がしたいが為にここに来ている事を 物語っていた。 「そうだな。そんな大切な物をどこかに置き忘れるような者には重大な任務は任せられないな。この事は 王に報告しておこう」  気が付くとアルトワースは若者を睨みつけながら二人の前へと進み出ていた。 「アルトワース」  エリティラは驚いて声をあげた。今まで依頼の件でこんな風に彼が出てきたことは一度も無い。しかも 明らかに怒っている。 「剣は厩だ。行け」 「は、はい」  逃げ出すように退室するエンビスを見送り、アルトワースはエリティラに向き直った。 「エリティラ。君に探し物の依頼を任せたのは失敗だったようだ」  突然そう言われ、エリティラは途惑った。自分なりに一所懸命依頼をこなしてきたつもりだったのに、 わたしなにか大きな失敗をしてしまっていたの? 「あの、どうして?」  理由を聞かずにはいられない。  アルトワースは怒りを抑えるように表情を殺しながら告げた。 「あんなくだらない探し物に魔法を使うなど……。今度から依頼は私を通してから受けるように」  アルトワースが部屋を出て行くと同時にエリティラの瞳から涙がこぼれ落ちた。  せっかく彼が信頼して任せてくれた仕事だったのに。良かれと思って小さな依頼でも受けてきたの だけれど、アルトワースは国一番の魔法使いなのですもの、その妻であるわたしが受ける依頼も くだらないものであってはいけなかったんだわ。  エリティラは彼のプライドの高さに気がつかなかった自分が悲しかった。たとえ名ばかりの妻で あろうと、今は小さな村の魔女ではなく国一番の魔法使いの妻だということを自覚しておくべきだった のだ。  自分の考えの足りなさに、エリティラはしばらくの間その場で泣き続けた。  それからというもの、エリティラは出来るだけアルトワースの仕事を手伝うことに重点を置くように した。物探しの依頼もアルトワースを通すようになってからは気軽に頼みづらくなったようで、 アルトワースが依頼を受けていた時のように貴族や実力者達が時々訪ねて来るだけになった。  時折王妃に呼ばれることがあり、その時は彼に一言告げて呼び出しに応じた。王妃の用事ならば彼も 嫌な顔をすることはなかった。  くだらない客が来なくなったことに安堵したアルトワースだったが、時折エリティラが見せる沈んだ 顔になぜかほんの少し胸が痛んだ。  アルトワースとしては集中して魔法の研究をする為にくだらない来客の相手は避けたかったが、 エリティラはどんな客でも喜んで相手をしていた。おそらくそういうことが好きなのだろう。今も王妃に 呼ばれた時は楽しそうにしている。王妃やその侍女たちとの会話が楽しくて、と彼女は言っていた。  彼が退屈しないようにと与えた物探しの依頼だったが、あまりにくだらない客が増えた為そういう者が 来ないようにした。それはアルトワースにとって正しい事のはずだった。だが来客が減ると彼女の笑顔も 減った。その事にアルトワースは不安と苛立ちを覚えた。  退屈などしないようにと彼女に頼める仕事は頼むようにした。薬草園の世話や研究室での本や道具類の 整理、簡単な魔法の仕事を頼むこともあったし彼女自身が王妃からの依頼で仕事をすることもあった。  決して退屈などしていないはずだ。  だが、以前のように活き活きとした笑顔を見せることは少なかった。  そんな事を考え、先程から魔法書を開いてはいるものの一行も読み進んでいない事に気づき、 アルトワースはイラついた。気分を落ち着けようと部屋を出て、ふと思い立った。  一日仕事を休んで、彼女をどこかへ連れて行こう。  考えてみれば田舎の村はずれに一人で住んでいた彼女が急に城の中で大勢の人間と一緒に暮らし始めた のだ。きっと彼女は疲れているに違いない。ならば人気の無い景色の良い場所にでも行って身体を 休めれば少しは元気が出るだろう。  アルトワースは自分の考えに満足し、部屋に戻ると再び魔法書を開いた。  その日もいつものようにエリティラが魔法書の整理をしていると、アルトワースが突然こう言った。 「明日は朝から出かけるから、飲み物と何か食べ物を適当にカゴに詰めておいて貰えるよう厨に頼んで おいてくれ」  エリティラが城に来てからアルトワースが出かけると言ったのは、彼女の服の布地を買いに行って 以来だった。しかもあの時は城下の市だったので半日と掛からず帰ってきた。食べ物や飲み物を持って いくような遠出ではなかった。  ここの薬草園には無いものを摘みにでも行くのかしら。  さすが城の薬草園は国一番の魔法使いが管理しているだけのことはあって、ここにはかなりの種類の 植物が植えてある。けれどそれでも、そろわないものもある。きっとそういったものを摘みにでも いくのね、とエリティラは思い頷いた。 「分かりましたわ。留守の間、なにかやっておくことはあります?」 「なに?」  驚いたような顔をして彼女を見るアルトワースにエリティラも驚き目を見開いた。  わたし、何かおかしな事を言った? 「ですから明日、貴方がお留守の間に何かやっておいた方が良い事がありましたらしておきます けど……。特に無いのでしたら自分の事、仕立て途中の服の続きを縫っていますわ」  エリティラは言いながら眉を曇らせた。部屋にあるものは好きに使っていいと以前言われたから最近は 特に気にしていなかったのだけれど、もしかしてアルトワースは自分のいない間に魔法書や道具類に 触れられるのが本当は嫌なのかもしれない。  けれどだからといってアルトワースがいる時にしか道具や薬品類に触れなくなると、王妃や貴族の 娘達に香りの調合を頼まれた時に不便になってしまうわ。  そんな風にエリティラが考えていると彼から意外な言葉が返ってきた。 「君も一緒に行くんだ。少し歩くことになるが、かまわないだろう?」  思いもしなかった彼からの誘いにエリティラは目を丸くした。以前服の布地を買いに行った時の事を 思い出し、嬉しさが込み上げてきた。  いいえ、そうじゃないわ。薬草を摘みに行くのなら知識のある者を連れて行けば役に立つもの。 もちろん魔女であるわたしがある程度の知識を持っていることはアルトワースも知っているから。  それでも城の外に出かけることに誘われたのは嬉しかった。 「では二人分の飲み物と食べ物を頼んでおきますわね」  笑顔で答えるとアルトワースも満足そうに笑みを浮かべた。

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