異世界に飛ばされちゃったわたしは、どうもお姫様の身代わりに                        花嫁にされちゃったらしい。 その5  うつむいたクロモのフードの奥の顔は、よく見ると真っ赤になっている。わたしはというと、 あんまりびっくりしたもんだから危うく目の前のお茶をこぼしそうになった。 「ちょっと待って。だったら尚更わたしを身代わりにしてる場合じゃないでしょ。ちゃんと本当の事 言ったほうがいいって」  立ち上がってクロモを見る。けどクロモはブンブンと首を振り、それからため息をついた。 「本当の事など、言えん。嫁してきたその日に逃げられ、すぐに亡くなったとなれば、俺が疑われる」 「へ?」  目が点になった。 「お姫様、さらわれたって言ってなかったっけ……?」  わたしの言葉にクロモはしまったとばかりに口を塞いだ。けど、すぐに決意したようにこちらを 向いた。 「彼女には好いた男がいたらしい。だから俺と本当の夫婦になる前に、逃げ出した。少しは悪いと 思ったのだろう、置き手紙がしてあった」  そう言ってクロモはポケットから、小さく折り畳まれた紙を取り出した。受け取って開くと、 キレイな柄の便せんに女性らしい文字が綴られている。けど。 「これ、何語?」  そこに書かれていた文字は日本語でもなければアルファベットでもない。全く見た事のない文字 だった。 「そうか、文字は違うか」  クロモの言葉にここが異世界だった事を思い出す。 「そっか。言葉が通じるから忘れてた。ここ、日本じゃないんだよね」  口に出して急に心細くなった。自分は今、知らない場所にいるんだ。  クロモはわたしのつぶやきなんて聞こえていなかったかのように話を続ける。 「俺に宛てた、姫の詫びの手紙だ。好いた男がいるから俺の嫁にはなれない。その男の元へ行くから 捜さないでくれという内容が書いてある」  もしわたしに心のゆとりがある時だったら、振られたクロモがかわいそうと同情しただろう。だけど ここが異世界だと急に再認識して心細くなったわたしは、それどころじゃなくなっていた。 「そのまま無事に男の所へ逃げおおせてくれていたなら、良かった。だけど共に逃げた侍女の遺体が 見つかり、姫もまた崖から落ちた形跡があった」  クロモの震える声が聞こえてたけど、不安でいっぱいいっぱいだったわたしはそれを理解する ことなく聞き流していた。クロモの事情より、自分のほうが大事だった。だから話の腰を折るように 尋ねる。 「わたし、いつ帰してもらえるの? もう用事が済んだんなら、帰っていいんでしょ? いいよね!  着替えてくるから、もう帰して」  悪い予感から逃げるように立ち上がり、わたしは着替えた部屋に戻ろうとした。早く、早くしないと 不安に押しつぶされそうだった。  だけどクロモにはしっと手を掴まれ、言われた。 「帰れぬ」  短いその言葉の意味を理解するのに、随分時間が掛かった気がする。  時が固まったようにその場に凍り付き、それからゆっくりとクロモを振り返った。 「な、に……言ってるの? 帰れないって、召還してここに呼んだんだから、同じように帰せる はずでしょ?」  ひきつったように笑みを浮かべる。そんなわたしの目には、今にも涙がこぼれ落ちそうな程涙が たまっていた。  泣く女の子が苦手なのか、それともさすがに罪悪感があるのか、掴んでいた手を放すとクロモは フードを更に目深に被った。 「すまない。が、君の世界がどこなのかが分からない。姫と瓜二つの女性を見つけるため無作為に あらゆる世界へ向けて魔法を放ったから」  ボロリと涙がこぼれた。  さっきはいきなり知らない世界に連れて来られたショックで泣いた。それでもクロモを見てたら そんなに悪い人でもなさそうで、だからその内帰れるだろうってなんとなく思ってた。なのにクロモは 帰れないって言う。 「すぐじゃなくても良いから、帰れる方法は、ないの?」  ぐずぐずと泣きながら尋ねる。だけどクロモは答えてくれない。 「何か方法はあるんでしょ? あるよね? あるって言って! こっちに召還出来たんだもん。 向こうに帰れないはずがないよ」  クロモの服の胸元を両手でギュッと握りしめ、グイと引っ張った。クロモは抵抗しなかった。顔を 上げ、彼の顔を覗き込むと、クロモは今にも泣きそうな、申し訳なさそうな顔をしていた。  ずるい。そんな顔してわたしが責めるのやめさせようとしてるの?  クロモの服を握ったまま、わたしはうつむき、額を彼の胸に埋めた。ボロボロ流れる涙をそのままに、 必死で考える。 「クロモは、お姫様の代わりが欲しくてわたしを呼んだんだよね? お姫様の事、好きだったの?」 「いや」  わたしの問いにクロモはくぐもった声で短く答える。 「書き置きがあったんなら、それ見せて逃げ出した後事故で亡くなったって、本当のこと説明すれば 良かったじゃない。なんでそうしなかったの?」  しゃくりあげながら尋ねると、突然クロモが、わたしを抱きしめた。 「すまない。自分本位だった。召還される者の気持ちなど考えていなかった。……あの置き手紙を 見せ姫が亡くなった事を知らせれば、花嫁に逃げられた俺がカッとなって彼女を殺したんじゃないのかと 疑われるのが怖かった。だから慌てて、そっくりな者を召還した。それが君だった」  懺悔するように告白し、クロモはわたしを抱きしめる腕に更に力を込めた。わたしは抱きしめられた 事にびっくりして、涙が止まってしまった。  クロモの胸は、温かかった。ギュッと抱きしめられて少し苦しくはあったけど、不安で心許ない 時だったからそのしっかりとした腕がかえって頼りになって安心できる気がした。  そしたら、再び涙が出てきた。  もう帰れないかもしれない。全部クロモのせいだ。そんな気持ちがこみ上げてきて、声をあげて 泣いた。  だけどその反面、今抱きしめてくれている人は信用できる。安心できると心の奥で思っていた。 だからこそ、彼の胸の中で泣けた。  彼はずっとわたしを抱きしめ続けていた。わたしが、泣きやむまで。  気持ちが落ち着き始めて、わたしは深呼吸した。  何を言えばいいのか分からない。だけどクロモが本当に悪かったと思ってくれてるなら、 ひとまずは「まーいっか」と許してあげる気持ちになった。  だからそっと彼の胸を押し、見上げた。 「帰る方法を探すって約束して。そしたらその間は、お姫様の身代わりをしてあげる」  これが良い選択なのかどうかは分からない。だけど今は目の前の彼の誠意を信じて、そうする事に 決めた。

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