なにを怒ってるの? 必要ないって、なにが? わたしが? その3  事情聴取を終えたお姉さんは、深々とため息をついた。 「クロモちゃん。わたくしこれまで何があっても貴方を甘やかしてきましたけれど、今回ばかりは 貴方が悪いですわ」  あの時お姉さんが使った魔法は捕縛の魔法だったみたいで、今もクロモは魔法の縄に捕らわれている。 魔法を解除しようにも手も縛られているから解除できないらしい。  あの後、お義兄さんも遅れて入って来て、わたしはお姉さんに、クロモはお義兄さんにそれぞれ別の 部屋で事情を訊かれた。  とは言っても、わたしは興奮して泣きじゃくっていたからかなり時間が必要だったんだけど。  気持ちが落ち着いてきて、お姉さんがしている勘違いに気づいて慌てた。クロモは暴れるわたしを 押さえてただけで、間違っても性的暴行を加えられたとかじゃない事を説明するのに、また時間が 必要だった。  クロモとお義兄さんは別の部屋にいたから、二人の話がどのくらいかかったのかは知らない。だけど かなり長い時間クロモは魔法で縛られたままなんだと思うと、申し訳なくなってきた。 「あの……。誤解だって分かったんですから、そろそろクロモに掛けた魔法を解いてあげて下さい」  お願いするとお姉さんは「まあ!」と声を上げた。 「優しいのね。ありがとう。けれどクロモにはもう少しあのままで反省してもらわないと」 「でも……」 「いいえ。いいのよ。わたくしに任せておいてちょうだい」  にっこりとお姉さんは笑顔を見せる。クロモは俯いたまま、何も言わない。縛られて手が動かせない せいでフードが頭から外れたままなのに、それについても何も言わない。あんなに顔見られるの、 嫌がってたのに。 「可愛いクロモちゃん。わたくしはね、いつだって貴方の一番の味方でありたいと思っていましたのよ。 だからこんな森の中で独り暮らしを始めた時も、城付きの魔法使いにならずにフリーで細々と生活を していても、心配はしても反対はしませんでした。今回末姫様の身代わりに彼女を召喚した事に ついてもね」  お姉さんはクロモに言い聞かすように、諭すように話しかける。 「けれど貴方が召喚したのですから、彼女については貴方が責任を持って幸せにしなければなりません のよ? 少なくともそうなるよう努力する責務が貴方にはありますわ。それとも貴方は人を人とも 思わない極悪人になってしまいましたの? もしそうなのでしたら、この子はわたくしが連れて 帰ります」 「別に彼女を不幸にしたいわけではない」  キッパリと言い放つお姉さんに、クロモはボソボソと反論した。 「ではなぜこの子を泣かせていますの?」 「泣かせるつもりは……」 「何の前触れもなく突然異世界に連れて来られ、知ってる人など誰一人いない状況で、唯一信頼した 貴方に無視されれば情緒不安定になって泣いてしまうのは当たり前でしょう?」  お姉さんの言葉に、わたしが納得してしまった。  わたし、情緒不安定になってたんだ。そっか。  いつもなら泣かないような事で泣いたり、クロモがいないだけで不安になったり、考え方が後ろ向き だったり。それって全部情緒不安定だったからなんだ。  妙に安心した。 「…すみません……」  低く小さくクロモが呟く。俯いた顔は今にも泣きそうにも見える。 「わたくしに謝っても仕方がないでしょう?」  叱るお姉さんの手を引き、わたしはお願いした。 「あの、わたしもお姉さんに話を聞いてもらって気持ちが落ち着いたし、クロモも反省してるみたい だから、良かったら二人きりで話しをさせてもらえませんか?」  お姉さんはかなり渋ったけれど、頼み込んでなんとかクロモと二人きりにしてもらえた。もちろん、 クロモにかけた魔法は解いてもらった。 「わたくし達は隣の部屋にいますから、何かあったらすぐに呼んで頂戴」  そう言ってお姉さんはお義兄さんに連れられ部屋を出て行った。  魔法を解いてもらったクロモは、軽く手や肩を動かしている。ずっと縛られて同じ姿勢だったから 大変だったろう。 「ごめんなさい。わたしが泣いたり暴れたりしたせいでお姉さん達に誤解されて……。痛かった でしょ?」  頭を下げると、クロモは小さな子供の様にふるふると首を振った。 「オレが、悪かったから……」  小さく呟くクロモは、そういえばフードを被っていない。縛られていた時は両手の自由が利かな かったから仕方ないけど、解いてもらった今、いつもなら一番にフードを被りそうなのに。  不思議に思っていると、クロモのあの綺麗な透き通った青い瞳がひたりとわたしを見据えた。 その瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥り、ドキリとする。 「……その……。君を不安にさせるつもりはなかった。……自覚がなかった」  言いながら、目を伏せるクロモ。フワフワの前髪が目にかかり、揺れている。  ドキドキしながらそんなクロモに見とれていたから、つい無意識に口を開いた。 「クロモは、なんで不機嫌だったの?」  わたしの言葉にクロモはビクリと身体を震わせた。  聞かれたくない質問だったんだと思いつつも、視線をあちこち彷徨わせるクロモが答えてくれるのを じっと待つ。  クロモは何度も口を開いては閉じ開いては閉じを繰り返している。言おう言おうとしているけれど、 なかなか決心がつかないみたいだ。  いつもなら待ちきれず「ああなの? それともこうなの?」と質問を始めてしまうけれど、今日は じっとクロモが喋り始めるのを待った。  フードを被っていないクロモは、幼い男の子のようにも見える。キラキラと光る金色の髪の向こうで、 今にも泣きそうにユラユラと揺れる青い瞳を見ていると「大丈夫だよ」とよしよしと頭を撫でたく なってくる。  そのクセその瞳がわたしを捉えると、妙にドキドキして落ち着かない。  やがてクロモは小さく、恥ずかしそうに呟いた。 「姉さんを……頼ったから……」 「へ?」  思いがけない言葉に、びっくりしてしまった。 「頼ったって、昨日お姉さんに色々と話を聞いてもらった事? けどあれは、女の人じゃないと 訊きにくい事とか知らない事を教えてもらっただけだよ? お姫様の化粧道具を見せて使い方を 訊いても、たぶんクロモは分かんないでしょ?」  言いながら、そういえばお姉さんと話をしたいと頼んだ時からクロモが不機嫌になっていたのを 思い出した。 「だからお姉さんの方が頼りになるとかそんなんじゃなくて。わたしがこの世界で一番頼りにしてる のは、もちろんクロモなんだから。だから、クロモに嫌われたり見放されたりしたらわたし、どうして いいのか分かんなくなっちゃうよ」  気持ちが伝わるように必死に訴える。クロモは顔を真っ赤にしながら、それでもフードを被らずに わたしの話を聞いてくれた。 「クロモが無口なのは知ってる。わたしがお喋りなのも。前に友達に『あんたくだらない話ペラペラ 喋り過ぎるから、肝心な大事な事まで聞き逃しちゃうんだよ』って言われた。けどわたしのお喋りは たぶん、治らないと思う。それと一緒でクロモが無口なのも、そう簡単には変わらないだろうなって 思ってる。けど、それでもお願いがあるの。何もかも全部教えてってのは無理だろうけど、わたしが 質問した時は、出来ればちゃんと答えてほしい。今回みたいに腹が立ってる時に『なんで怒ってるの?』 って訊いても答えたくないかもしれないけど、答えてくれると嬉しい。でないと本当に、わたしの事 要らなくなったのかなって思って……不安になるから……」  言ってて泣けてきた。まだ情緒不安定なままらしい。ボロボロと、涙が出てくる。  そんなわたしにクロモはオロオロしながらハンカチを差し出してくれた。そしてやっぱり、口を パクパクさせた後、ゆっくりと言った。 「キミが要らなくなる事なんて、絶対にない。……むしろ居てもらわなくては困る……」  だけどそれはお姫様の身代わりだからでしょう? と言いそうになって言葉を呑んだ。クロモは 最初からそのつもりでわたしを召喚したのに、それを訊いてどうしたいの、わたし。 「だったらお願いだから、出来るだけ、答えて。黙ってられると分かんないから。色々と悪いように 考えて不安になっちゃうから」  クロモのハンカチを受け取り、涙を押さえながらそう言う。  するとクロモがそっとわたしを抱きしめ、ゆっくりと頭を撫でてくれる。 「努力する。悪かった。オレはあんまり、人付き合いが上手ではないから……。けど、出来るだけ キミを不安にさせないようにするから」 「……うん」  その言葉が聞けただけで、わたしは安心した。充分だ。  今はただ、クロモの事を信じよう。わたしの頭を撫でるクロモの優しい手を信じよう。  しばらくして落ち着いてから、お姉さん達を呼びに行った。そしてもう大丈夫だって事を伝える。 「本当に大丈夫? もし我慢しているんなら、一晩でも二晩でも十日でも一年でも、ウチに泊めて あげる事は出来ますわよ?」  お姉さんの言葉に苦笑しながらも、お義兄さんは「泊まりに来るのは大歓迎だよ。遠慮せずいつでも 泊まりにおいで」と言ってくれた。 「ありがとうございます。ここの暮らしに慣れたら、クロモと二人で伺いたいです」  一瞬クロモは渋い顔をしたけれど、気にせずお姉さんに笑顔を向ける。せっかくお義兄さんが誘って くれてるのに無下に断るなんて出来ない。  大丈夫。クロモならちゃんと話せば分かってくれる。後でいっぱいお話しよう。  そんなわたしの気持ちが通じたのか、クロモもお姉さん達にボソリと告げる。 「今日は迷惑をかけました。……また、遊びに来て下さい」  殊勝な態度のクロモに、お姉さん達も頬を緩めた。  夕方、お姉さん達を見送った後、わたし達はほんの少しぎこちなさを残したものの、二人で夕食を 摂った。  相変わらずクロモは無口だけど、わたしのお喋りに時たまだけど相槌を打ってくれる。  まだまだ不安はあるし、これからもクロモとぶつかったりするかもしれない。  それでも元の世界に帰れるまで、ここでの生活を楽しもう。そう心の中で思った。

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