なにを怒ってるの? 必要ないって、なにが? わたしが? その2  クロモの姿を捜して家中を歩く。不意につい昨日の事が思い出されて不安に襲われる。  だけどわたしはぷるぷると首を振ってそれを払いのけた。  クロモはちゃんと、次からは声をかけるって約束してくれたんだから、大丈夫。  自分にそう言い聞かせて、昨日みたいにパニックにならないように深呼吸する。  とにかくとりあえず一度、自分の部屋に戻ろう。  そう思って気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと部屋に戻り、ふとベッドのサイドテーブルを 見ると、一枚の小さなメモが置いてあった。朝起きた時には無かったものだ。 「クロモから?」  そう思って慌てて手に取るけれど、読めない。 「クロモったら、わたしがこっちの世界の文字読めないって事、忘れちゃってるんだろうなぁ……」  呟きながら、そのメモをじっと見つめる。  推測するに、たぶんこれはどこかに出かけてくるという書置きなんだろう。そんなに長い文章じゃ ないから、行き先といつ頃帰ってくるかを書いてくれてるんだと思う。  なんで直接言ってくれなかったんだろう。ぎゅっと胸が痛くなって寂しさがやってくる。けど、 何があってわたしと口をきいてくれないのかは分からないけど、それでもわたしとの約束を守ろうと ちゃんとこうやって書置きを残してくれて行ったんだと思うと、嬉しかった。怒ってても、わたしに 気を使ってくれてるんだ。  だから大人しく、部屋で待つことにする。  けど、今のわたしに特にやる事もない。部屋でただボーっとしてたらどんどん不安が増してくる。 だから不安を振り払うように、どうしたらクロモと仲直り出来るか考えてみる事にした。  何かに怒ってるんなら謝れば許してもらえるかもしれない。けど、そもそもどうして怒っている のかが分からない。理由も分かってないのにただ謝るのは違う気がするし、同じ事でまた怒らせちゃう 可能性が高い。  クロモになんで怒ってるのか、訊いてみる?  でもクロモはそれを言ってくれるだろうか。訊いて教えてくれるんなら、昨日とか今朝の時点で 教えてくれてる気がする。けど、実際何度か「何か怒ってる?」って訊いてもクロモは答えて くれなかった。  たぶん、今訊いてもクロモは答えてくれない。  だったらせめて、クロモの為に何か出来ないかな。何かクロモが喜ぶことをして心が和らげば話も 出来て仲直り出来るかもしれない。  そう思ったら前向きになれた気がした。さっそく何をしたらクロモは喜んでくれるだろうかと 考えてみる。  一番最初に思いついたのは、単純だけれどクロモの好きな料理を作ってあげること。けど当然だけど 瞬殺で却下。未だこの世界でお茶さえ入れられないのに料理なんて出来るわけないし、そもそも クロモが何を好きなのか知らない。なによりこの世界の料理を知らない。  だったら何をしてあげたら喜ぶ?  何かお手伝い……は、断られたよね。何も怒ってない時でさえ断られたのに今の状態で手伝い してって言うとは思えない。  あ、掃除とかどうだろう。お掃除ならそんなにやり方変わらないだろうし、道具の場所さえ 分かればわたしでもなんとかなるかも。  そう思うと俄然やる気が湧いてきた。  まずはドレスが少しでも汚れないようにする為に、エプロンを探す。お姫様がそんな物持ってるか どうかは分からなかったけど、お嫁さんに来たんなら一枚くらい持ってきててもおかしくはない。  そう思ったんだけど。それっぽい物が見当たらない。けど考えてみたら『割烹着』だってそうと 知ってなきゃエプロンと同じ用途で使うようには見えないよね。お姫様のエプロンも、わたしには 普通のドレスに見えて実はそうなのかも。  どっちにしろ分かんないものはしょうがない。あんまり汚さないよう気を付けながらお掃除するしか ない。  部屋を出てお掃除道具を探し始める。それっぽい収納の扉を開けては閉め開けては閉め……。  だけどそれらしい物は見つからない。掃除道具は頻繁に使うから、そんなに奥の方にしまうとは 思えないんだけど。  首を傾げながらあちこちの扉をパタンパタンしていると、いつの間に帰ってきたんだろう、クロモが 後ろから声を掛けてきた。 「何をしている」  その声は、やっぱり不機嫌そうに聞こえる。けど、声をかけてくれたのは嬉しい。だからわたしは 出来るだけ明るい声で言った。 「あ、うん。お掃除をね、しようかと思って。道具を探してたの。どこにしまってあるのかな。あ、 それとこの世界ってエプロンってあるのかな。お姫様の衣装箱探してみたけどそれっぽいの 見当たらなくって。もしクロモ持ってるなら貸してくれない? お姫様のドレスだからやっぱり 高級だろうし、お掃除で汚すのもったいないから」  振り向きクロモの所に行きながら早口で答えたけど。 「必要ない」  そう言ってくるりと向きを変えると、クロモはそのまま歩き出してしまう。わたしは慌ててクロモを 追いかけ呼び止めた。 「ちょっと待って。必要ないって、掃除が? それともエプロンが?」  だけどクロモは立ち止まる事もこちらを見る事も、返事をする事もなく歩き続ける。なんで?  少しの間、返事が返ってくるのを期待してクロモの後ろをついて歩いたけど、クロモは振り向かないし 足も止めてくれない。返事をするつもりなんかないんだと気付いて、わたしの足は止まった。 「わたしが、必要ないの?」  ポロリと思いが声に出た。と同時に涙もポロリとこぼれる。  すぐ泣く女なんて嫌い。後ろ向きな考えも嫌い。  だけど涙は止まってくれないし、嫌な思いに取りつかれる。  そもそもクロモはお姫様の身代わりがいればいいわけで、わたしが必要なわけじゃない。他の人に バレさえしなきゃ、等身大のお人形を置いといたってかまわないんだ。  だから、わたしが何かをしてもしなくても、関係ない。  そんなおかしな考えが頭の中に浮かんで涙が止めどなくあふれる。立っている事が出来なくなって、 しゃがみ込み膝を抱えてわたしは泣き出した。  どのくらいの間、そうやって泣いていただろう。ほんの少し気持ちが落ち着いたわたしは、 泣いてたままの姿勢で落ち込んだ。  本当になにやってんだろう、わたし。ちょっと上手くいかなかったからってすぐ泣いたりして。 わたしこんな、泣き虫じゃなかったはずなのに。  こんなんじゃダメだ。こんなふうにすぐ泣いてたら、その内嫌がられる。もっと前向きにならなきゃ。  決意を込めて、バッと勢いよく顔を上げた。すると、目の前にこちらに手を伸ばしたクロモの顔が あった。戸惑ったような困ったような表情をしたクロモの顔が。 「え?」  びっくりして顔が熱くなる。クロモも真っ赤になって、すぐにわたしから飛びのいた。 「え? え? なんで……?」  どうしてここにクロモがいるのか、分からない。さっきわたしを無視して行ってしまったはずなのに。  尋ねるわたしにクロモは再び背を向け行ってしまおうとする。 「待って。ちゃんと話して」  慌てて立ち上がり、わたしはクロモのローブを掴んだ。それに気づいたクロモは立ち止まり、大きく 息をついた。 「放せ」  冷たい声でクロモは言うけど、放さない。 「やだ。ちゃんと話してくれるまで、放さない。今、なんでわたしの方に手を伸ばしてたの? なんで、 不機嫌なの? わたしの事、本当に必要ないの?」  たとえどんなにクロモの声が冷たく聞こえても、フードの下のクロモは困ったような顔をしてる事は 知ってる。  聞くまでは絶対に放さないんだからって意味を込めて、掴んでいたローブをギュッと引っ張った。 「うわっ」 「え?」  ドスンとクロモが尻もちをつく。 「ご、ごめん。そんなに強く引っ張ったつもりじゃなかったんだけど。痛かったでしょ?」  慌ててクロモの前にまわり、手を出す。転んだ拍子にフードのとれたクロモは顔を真っ赤にして、 今にも泣きそうになっていた。 「え? え? え? え? ごごごごごめん。そんなに痛かった?」  びっくりしてしゃがみ込んで転んだままのクロモの顔を覗き込む。するとクロモは顔を真っ赤に したままパッと顔をそむけた。 「あの、ほんとにごめん。けど、クロモも悪いんだからね。ぜんぜん返事してくれないんだもん。 わたし、そんなに頭良いわけじゃないから、ちゃんと言ってくれなきゃ分かんないよ。だから、 クロモの口からクロモの気落ちを、聞きたい」  言ってる内に興奮したせいなのか、ジワリと涙が滲んできた。それと同時に悲しかった気持ちまで ぶり返してきて、またボロボロと泣いてしまいそうになる。 「もおっ。そんなに簡単に泣く女なんか嫌いなのにっ」  涙を止めようとわたしは顔をしかめてそれから思いっきり自分の頬を引っ叩いた。 「! やめろ」  それまで顔をそむけたままだったクロモが驚いてわたしを止めに入る。 「自分を傷つけるなど」  だけどわたしは激しく首を横に振り、それに抵抗した。 「こんな、すぐ泣くような後ろ向きな自分なんて嫌だもん。だから叩けば、涙引っ込むから……」  後から考えたらすごいバカげた理論なんだけど、その時は本気でそう思ってた。そんなわたしの 両手首をクロモが捕まえる。 「放してよっ」  涙がこぼれる。それが嫌で暴れもがくようにクロモの手から逃れようとした。 「泣きたくなんかないんだってば。だから放してっ」  だけどクロモの手は、がっちりとわたしの手首を捕えて放さない。 「やだ。クロモなんてキレイな顔でかわいい王子様みたいなのに、なんでそんなに力が強いのっ?」  支離滅裂な事を言いながら暴れる。  泣きたくなくて、ギュッと目を閉じてみても涙はあふれ出てくる。 「やだ、もおっ」  いつの間にかわたしは床に押し倒され、両手を縫い留められていた。 「落ち着け」  暴れるわたしを押さえつける為だろう。クロモは完全にわたしの上に馬乗りになっている。  わたしもクロモも無我夢中だったせいだろう。 「おはようっ。クロモちゃんに妹ちゃ……」  お姉さんが部屋に飛び込んで来るまで、その足音に気が付かなかった。 「何してますの! クロモちゃんっ」  言うと同時にお姉さんは宙に魔方陣を描き、それを放つ。わたしを押さえつけていたクロモは当然、 それに反応するのが遅れ……お姉さんの魔法は見事クロモにクリーンヒットした。

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