ヤギ飼いの水渡り その2  そんな話をしていると、ふと師匠が立ち上がった。 「師匠?」  不思議に思い声をかけると師匠はにこりと笑い言った。 「二人はそのまま話していて下さい」  そしてそのままスタスタと灌木の茂みへと近づいていく。 「どうしたのかな、師匠」  マインも不思議そうに師匠の後ろ姿を見送った。  そのまま話をと言われていたが、師匠の様子が気になってつい二人でそちらを見てしまう。すると 師匠は茂みの前で立ち止まり、ため息をついて腰に手を当て、何かを話し始めた。  茂みに向かって師匠が何か話しかけているのは分かるものの、その内容までは聞こえず、誰がそんな 所に隠れているんだろうと思った途端、茂みの向こうから「ぎゃーん」と子供の泣きわめく声が 聞こえてきた。  驚いてシガツは立ち上がった。それと同時にマインも立ち上がり、止める間もなく師匠の方へと 走って行く。  師匠の様子からも危険な事は無いだろう。だけどここにいるようにと言われたのに、行って しまっても良いものだろうかとシガツは躊躇した。  マインはそんな事考えもしないのか、そのまま師匠と横並びになり、茂みの向こうを見ている。  戸惑いながらゆっくりとマイン達に近づいて行くと、ひょっこりと茂みの向こうから村の子供達が 出て来て、シガツは驚いてしまった。  春の夜祭りでニールがソキを怖がり、石を投げてしまったのはつい先日の事だ。シガツは樹の上で 自分達の修業の様子を見ているはずのソキの事が気になり、ちらりとそちらへ目をやった。  ソキも子供達に気づいているのか、気配を消しているようだった。  シガツがみんなの方へと視線を戻すと、師匠がくるりと振り返り笑顔でこんな事を言い出した。 「ああ、シガツ。今日はみんなに精霊の話をする事になりましたから、よろしく頼みますね」 「は?」  思わずそんな声が出てしまい、慌ててシガツは口を押さえた。  よろしく頼みますねって、もしかしてオレが精霊の話をするのか……?  マインはもちろん魔法の修業をしているのだからある程度精霊や精霊使いについて知っておいた方が 良いだろう。  だけど普通の子供達にはどの程度の事まで話せば良いのだろうか?  戸惑うシガツにマインがにこりと笑いかける。 「せっかくみんな遊びに来てくれたから、みんなで精霊について勉強しようって事になったの」 「そ、そうなんだ……?」  答えながらシガツはちらりとニールを見た。  ニールは人外の者に対して、マインとは反対にとても敏感らしい。それは良い事でもあるのだが、 先日の様な行動は良くない。  それを思うと精霊についてちゃんと知ってもらうのは良い事なのかもしれない。たぶん師匠もそう 思って決めたんだろう。  師匠の顔を見ると「その通り」と言うように頷いてくれた。 「ソキもしばらくここにいる事ですし、みなさんも精霊についてきちんと知っておいた方が良いで しょう?」  そう言われてしまっては頷くしかない。けれど問題なのは、自分がみんなに教えなければならない らしいという事だ。  シガツは出来るだけみんなに気づかれないように、深くため息をついた。  陽当たりの良い草地の上に、みんなで輪になって座る。心地の良い風がサヤサヤと、頭の上で 吹いている。  遊びに来ていたのはニールとエマ、それからエマの弟のイムと一番小さなチィロの四人だった。 村の子供達の中でも特にマインと仲の良い四人だ。  ニールはしっかりとマインの横を陣取り、シガツに牽制するような視線を送ってくる。困ったなと 思いつつシガツはそれに気づかないフリをした。  それにしても、いったい何を話したら良いんだろう?  みんなの顔をぐるりと見回す。その中に師匠の顔もあったのだか、シガツに任せているせいか笑顔で 口を閉ざしたままだ。  少し考え、シガツは口を開いた。 「取りあえず、精霊について知ってる事、教えてもらえるかな」  みんなにどの程度の知識があるのか尋ねてみた。すでに知っている事を話したところでみんな 退屈してしまうだろう。  しかしシガツの質問に誰も口を開こうとしない。  見かねたのか師匠がマインへと質問を振った。 「マイン、先程は精霊使いについてでしたが、今度は精霊そのものについて知ってる事を言って ごらんなさい」  マインは首を傾げ、眉をしかめながら呟く。 「人と同じ姿をしていて…火と水と風に属している……?」  突然尋ねられてもピンとこないらしく、マインはたどたどしく口にする。 「力の強い精霊には特に気をつけなくちゃいけなくて……」 「そうそう。精霊はすぐに人を殺しちゃうから、怖いんだよね」  マインの言葉を聞いて思い出したように、ぽっちゃりとしたイムがそう言葉を重ねてきた。そんな イムの行動が気に入らなかったのか、ニールがギッとイムを睨む。 「おい。マインがまだ話してるんだから口を挟むなよ」  ニールが余程怖かったのかビクリと体を震わせると、イムは今にもベソをかきそうな顔になった。  もしかして、とシガツは思った。もしかして先程茂みの向こうから聞こえた泣き声はイムのもの だったのだろうか。 「どんどん意見を言って構いませんよ。その方がみんながどんな事を知っていてどんな事を 知らないのかが分かりますから」  師匠がイムを庇うように、にこりと笑いながら言う。その言葉にイムは気を持ち直し、ニールは むっとしながらも渋々引き下がったようだった。  やっぱりさすがだなとシガツは思った。夜祭りの時も思ったのだが、『星見の塔の魔法使い』は みんなに信頼され、一目置かれている。この師匠に教えを請う事になって良かった。  とはいえ、ニールからしてみれば自分の意見を押さえ込まれた形になって面白くないだろう。  そう思いながらニールに目をやると、一番小さなチィロがニールをなだめるように彼の服の端を きゅっと握りしめ、言葉を紡ぐ。 「昔話とかで、いっぱい精霊の怖い話とかあるよね、ニール」 「ん、ああ」  チィロに問われ、ニールが頷く。  精霊の昔話?  興味をひかれ、シガツは二人を見た。風の塔でも時折幼い頃に聞いた昔話が話題にのぼった。面白い 事にその地方によって似たような話でも微妙に違うところがある。  そういえばこの辺り出身の学友はいなかったはず。そう思うとここらで伝わるという昔話をぜひ 聞いてみたくなった。 「良かったらどんな昔話があるのか聞かせてくれる?」  つい、ニールにはあまり好かれていなかった事を忘れて頼む。するとニールは呆れたようなバカに したような目でシガツを見た。 「は? 誰でも知ってる話だろ? 『ヤギ飼いの水渡り』とか」  子供が寝る時に繰り返し聞かされる昔話。そんな誰でも知ってる話も知らないのかと言いたげに、 ニールが言う。シガツが風の塔に入るまで、地方によって細かい部分が変わる事があるのを知らな かったように、ニールもそれを知らないのだ。  だからその事をニールに伝えた。それでもニールはシガツの為に話をするというのが気に入らない のか、口を閉ざしたままだ。  これは良くないなと思ったのか、エマが何か言おうと口を開いたと同時に、一番小さなチィロが ニールを見上げた。 「ボクも昔話、聞きたいな」  ニールはチィロをかわいがっているのだろう。にこりと笑いかけられ、仕方ないなと言いながら ニールは昔話を語り始めた。  昔々、ヤギ飼いの少年がヤギ達に草を食ませる為、小さな小さな小川を越えて草原へとやって きました。  ヤギ達を見ている内に少年は、ポカポカ陽気についウトウトとお昼寝を始めてしまいました。  するとヤギ達がメエメエと騒ぎ始めました。  慌てて起きるとヤギの群れの向こうに狼の群れがヤギを狙ってやって来ていました。  少年は慌ててヤギ達を小さな小川の向こうへと戻そうとしました。  ところがどうした事でしょう。小さな小さな小川だった筈のその川は轟々と濁流の流れる大きな 川へと変わっていたのです。  このままではヤギが狼に喰われてしまう。  どうにかヤギを川向こうへ渡せないかと考えていると、川の真ん中にあぐらをかいてニヤニヤと こちらを見ている少年の姿を見つけました。  水の精霊だ。  川の流れに流される事なく水の上に座り続けるその姿にヤギ飼いの少年はゾッとしました。だけど 今はそれより、後から来る狼にヤギが食べられてしまう方が恐ろしかったのです。  そこでヤギ飼いの少年は水の精霊に話しかけました。 「水の精霊さん、水の精霊さん。どうか僕とヤギ達をこの川を渡らせて下さい。このままでは狼に 食べられてしまいます」 「渡らせてやっても良いが、そなたは我に何を捧げる?」  そうは言われてもヤギ飼いの少年は身ひとつでここへ来ていました。他にはヤギ達しかいません。  しかし悩んでいる暇などありません。そこでヤギ飼いの少年はたくさんのヤギが狼に襲われるよりはと 水の精霊にこう頼みました。 「一番最後に渡り終えたやつを貴方に差し上げます」 「よろしい。では渡るが良い」  水の精霊がそう言うと、ザアッと川の水がせき止められ、歩いて渡れる程の深さと川幅になりました。 「ありがとうございます。ほら、行くぞ」  ヤギ飼いの少年はヤギ達に声をかけましたが、水の精霊の行いにヤギ達は恐れをなし、尻込みを しました。そこでヤギ飼いの少年は一匹のヤギの尻を叩き走らせました。すると次々と後を追うように ヤギ達は川を渡り始めました。ホッとしてヤギ飼いの少年も川を渡り始めました。しかし向こう岸へ あと一歩という所で、濁流がヤギ飼いの少年を飲み込みました。  なぜなら、一番最後に川を渡り終えたのはヤギ飼いの少年だったからでした。

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