ヤギ飼いの水渡り その3  話し終えたニールは小さく息をついた。みんなの前で昔話をするという役を終えホッとしたのか、 それともこの話しについて何か思うところがあるのか。  そんなニールに気づく事なく無邪気にチィロが話し出す。 「もっと足が速かったら良かったのにね」 「最初からこのヤギをあげるって指定しとけば良かったんだよ」  イムも負けじと意見する。  そんな二人を微笑ましく思いながら、シガツは口を開いた。 「いや、このお話はそもそも精霊と取引をする怖さを語ってるんだよ」  シガツの声に、みんなが彼を見る。すこし緊張したが、シガツは笑顔を絶やさないよう気をつけながら 再び口を開いた。 「もちろん精霊にも色々いて、人間に好意的な精霊もいればそうじゃない精霊もいる。けど、どっちに しろ人間とは違う力、違う考え方を持ってるから気をつけないといけないんだ」  話を聞いている子供達はそんなに歳の違わないシガツが説明するのを感心したように、静かにじっと 彼を見ていた。ただひとり、ニールだけは反発するようにシガツを睨んでいる。 「何を今更。精霊が怖くて油断ならないから気をつけなくちゃいけないって事はみんな知ってるさ」  バカにするようにニールが吐き捨てる。確かに、春の夜祭りでニールはソキに反応して恐怖を感じた のだから、充分にそれは解っているのだろう。ただ、その対処法は間違ってはいたが。  そんなニールの言葉を聞いて、マインは慌ててフォローするように言葉を紡いだ。 「でも、ソキみたいに怖くない精霊がいるって事も分かって欲しいな」  マインにしてみれば、友達であるソキを怖がらないで欲しいという気持ちから出た言葉だろう。 それはシガツも同じだから、そう言いたくなる気持ちは分かった。だが。 「確かにソキは精霊の中でも特に人間に好意的だよ。だけどソキみたいな精霊は本当に珍しいんだ。 だからその事をしっかり覚えておかないと後で痛い目に遭うかもしれないよ」  風使いになる為の修業でまず一番始めに教わる事はやはり精霊の恐ろしさだった。対処を間違えて しまえば命さえ失いかねない。その事を嫌という程教えられる。  しかしマインは初めて会った精霊がソキだったせいか、そのあたりの感覚がどうも鈍いようだ。 その辺りは師匠も気にしていたようだけれど、シガツからもしっかりと言っておかないと別の精霊に 対しても同じように接しそうで怖かった。 「そういえば今日は……いないのね」  話題にのぼった事で思い出したように、エマが恐る恐る辺りを見回す。やはりいくら口で「怖く ないよ」と言ったところでそう簡単に恐怖というものは無くなってはくれないだろう。 「いないわけではないのですが、お客様が来た時には姿を見せないようにと言い含めていますので」  エマ達を不安にさせないよう、優しい声で師匠が告げた。その言葉に村の子供達はやはり、ほっと しているようだ。 「ねぇ、この間は突然だったからびっくりしちゃっただろうけど、今ならソキが風の精霊ってのは 分かってるし、だけどほんとにイイコなの。だから、会ってみない?」  さすがに前回の事は反省しているだろうけど、それでも友達であるソキと友達であるみんなに仲良く なってもらいたいという気持ちが強くて、マインはみんなの顔色を伺うようにゆっくりとそう言った。  シガツはちらりと師匠の顔を見てみた。少し渋い顔をしているが、それでもマインを止めようとは していない。  マインは辛抱強く、他の子達の返事を待っている。会えばきっとみんな仲良くなれると信じて。  シガツはというと、本音を言えばまだ不安だった。特にニールは、人外の者に対してかなり強い 恐怖心を持っている。本人は強がって認めないだろうが、かえってそれが悪い方向へと行きはしないかと 不安だった。 「い…いいよ。マインの友達だもんな、悪い子のわけがない」  案の定顔を引きつらせながらも笑顔を作ってニールが言う。その声の震えに気づいたようにエマが すかさず言った。 「でも怖いから、最初は遠くからにして、ね」  エマに同調するようにイムやチィロもコクコクと頷く。エマは遠く離れて立っている樹を指さし 言った。 「あそこ。まずはあの木の所から始めましょうよ。あそこなら、怖くない」  ある意味微笑ましい提案にシガツは少し和んだ。風の精霊の場合、あのくらいの距離などあっと 言う間に飛んで来てしまえるし、悪意があるならあの距離からでも傷つける風を吹かす事も可能な 精霊もいる。その事を伝えるべきか、伝えたら更に怖がるだろうかと悩んでいると、ニールがバカに したように口を開いた。 「あんな遠くに離れてないと怖いのか? お前ら」  オレはちっとも怖くないぞと言いたげなニールだったが、それが強がりだという事は皆分かっていた のだろう。だからなのか、エマはニールの言葉に怒る事なく肯定する。 「怖いわよ。ね、みんな。だからやっぱり遠くからがいいと思うの」 「ボクも、怖いから遠くからがいい」  小さなチィロもそう呟く。 「そうですね。みんながそう言うのでしたら、今日は遠くから見るだけ見てみますか?」  みんなの様子を見ていた師匠は、頷くとシガツへと目をやった。 「シガツ。あの木の所まで行ってソキを呼びなさい」  もちろん、人に害を加えるつもりがないソキだからあの距離で会うのを許可したのだろう。  師匠に頷き返し、シガツは歩き出した。  シガツは指定された木の所までやって来ると、大きく息を吐いた。  正直、まだ少し迷っている。ソキの事は怖がらないで欲しいという思いと、なんの力も持たない村の 子達には精霊は恐ろしいものだと覚えていて欲しいという思い。  ちゃんとソキは特別で他の精霊については警戒してくれれば何の問題もないのだが。  ともかくソキを呼ばなければ、とシガツはみんなの方へと振り返った。元々ソキは自分達の修業の 様子を近くの木の上から眺めていた筈だから、ここよりもみんなの近くにいる筈だ。  シガツは小さく息を吸い、彼女を呼んだ。 「ソキ」  それは決して大きな声ではなかったが、きっとソキには届いた筈だった。なのにソキは姿を現そうと しない。  不意に不安がよぎった。ソキが記憶を失って連絡がとれなかった時の事が思い浮かび、何かあったの だろうかと彼女の姿を捜した。  すると小さな風が巻き起こり、みんなから少し離れた木の上からソキが姿を現しシガツの方へと やってきた。  シガツはほっとし、ソキへと手を差し伸べた。見るとソキは不安そうな顔をしてシガツを見ていた。  ふわりとソキがシガツの手を取り、彼の傍へと降り立つ。出来るだけ子供達に姿が見えないよう、 シガツや傍の木の陰に隠れて。  それに気づいたシガツはズキリと胸が痛んだ。ソキがいつもの様にすぐに姿を現さなかったのは、 村の子供達がいるからだ。  いつもなら誰かに気を使うなんて事は滅多にないのに、こんなにも恐る恐る姿を現したのは、先日の 件でソキも傷ついているのだろう。 「とりあえず遠くから、みんながソキを見てみたいらしいんだ」  どう伝えたら良いのか分からず、事実を呟く。 「うん。聞こえてた」  頷くソキの瞳は、それでも不安に揺れている。 「もしソキが嫌なら無理に姿を見せなくてもいいんだぞ」  あまりに不安そうな彼女にシガツは心配になった。自分が呼んだからソキは躊躇しながらも姿を 現したのだろうが、そうでなければ村の子供達が帰ってしまうまでは隠れているつもりだったのだろう。  師匠やマインの言う通り、村の子達にソキに慣れてもらう事は必要なのかもしれない。それでも シガツは思った。村の子達もソキ自身も互いの存在を恐れているのに、今会わせる必要があるのだ ろうか?  だけどソキはふるふると首を振った。 「ソキは大丈夫。今日は遠くから姿を見せるだけなんでしょ? 心配なのは、あっち。遠くても やっぱり怖いんじゃないかな……」  言いながらソキはちらりと村の子達の方を見た。 「本当に大丈夫か?」  大丈夫と言いながらシガツの陰に隠れるように立つソキが心配になる。ソキは頷きながら、意を 決したようにゆっくりとシガツの陰から子供達が姿が見える場所へと移動した。  子供達がざわついているのがここまで伝わってきた。そのざわつきにソキが傷ついてやしないかと シガツは心配になった。  ソキがやったのだろうか、フワリと風に乗って今までよりもはっきりとみんなの声が二人の元へと 届く。 「やっぱりちょっと怖いな」 「でも、ああやってただ立ってるだけだと普通の女の子みたいだよね」 「そ、そうさ。何も怖がる事ないさ。魔法使いが悪さはしないって保証してくれてるし、なにより マインの友達なんだし。ね、マイン」 「うん。ソキはね、ほんとに良い子なの。だからみんなにも仲良くして欲しいの」  そんな会話が聞こえてきて、シガツは浅くため息をついた。  やっぱりそう簡単に精霊への恐怖は拭い去れない。それは良い事ではあるけど、ソキからすれば ショックだろう。  だけど同時にマインの友達だからと『仲良くなりたい』と言ってくれているのにもホッとした。 時間をかければいつか本当に仲良くなれるかもしれない。  ソキに目をやると彼女もそう思ったのか少し緊張が和らいでいた。 「いつか仲良くなれるよ。オレ達だってちゃんと本当の友達になれただろ?」  シガツの言葉にソキはにこりと笑顔を見せた。  ソキに「また後で」と告げ、みんなの所に戻るとわいわいとみんなが話していた。 「あ、シガツ。お帰りー」  マインがにこにことシガツを迎えてくれる。するとイムが身を乗り出すようにシガツに質問してきた。 「なあ、どうやって風の精霊なんかと友達になれたんだ?」 「マインは知らないで友達になって、後から風の精霊って知ったのよね。貴方は? 精霊って知ってて 友達になったの?」  姉のエマも興味があるのかそう言ってじっとシガツを見ている。  話題が自分に移っている事を知り、シガツはちょっと照れながら小さく咳払いをした。 「そうだよ。でも最初から友達になれたわけじゃないけどね」  思い出すと懐かしい。そんなに昔の事でもないのに。  周りを見るとみんなが、シガツの話の続きを待つようにじっと彼を見ている。  だからシガツは、ソキとの出逢いをみんなに語り始めた。

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