たぶん最終章、レースの魔法の女神様の再来と呼ばれるのは                          また別のおはなし。 その11  シオハさんが帰ってしばらくしてから、クロモが家に帰ってきた。 「帰った」  いつものように短く告げるその一言が、待ち遠しかった。 「お帰りなさい。あのっ……」  言いかけて、言葉が止まる。シオハさんの事をクロモに相談したかったんだけど、 なんて言ったら良いのか分からない。 「何かあったのか?」  わたしの様子に気づいて、クロモが訊いてくれる。  何かあったわけじゃないし、わたしの勘違いかもしれない。でも。  不安な気持ちをどう説明したらいいのか分からなくて、わたしは俯いた。すると クロモがポンと、わたしの肩に手を置いた。 「取りあえず部屋に入って、何か温かいものを飲もう」  そう言われて初めて、わたしはクロモを玄関で立ちんぼさせてしまっていた事に 気づいた。  クロモはホットミルクを入れてわたしの前に置いてくれた。 「熱いぞ」 「うん。ありがとう」  お礼を言って、ふーっと冷ましてからほんの少し、口に入れる。そのほんの少しの甘い ミルクの味に、なんだかホッとした。 「それで、どうしたんだ?」  わたしが落ち着いたのを見て、クロモが優しく尋ねてくれる。 「わたしの、気にしすぎなのかもしれないけど……」  そう言ってわたしは、話し始めた。 「その、今日ね、シオハさんが来たの。だからいつもの様に上がってもらって持ってきた 物を見せてもらってたのね。それで……」  言いかけて、思い出して背中がゾクリとした。 「前から、社交辞令とは言えちょっとなんか褒めすぎじゃない? とは思ってたんだけど、 最近その目が本気っていうか……」 「姉さんは止めなかったのか?」  クロモが不機嫌そうにつぶやく。  しまった。お姉さんに対して怒らせちゃった? 「あ、お姉さんは今日は来なかったの」  慌ててお姉さんをかばう。だけどクロモはますます不機嫌そうな顔になった。 「他に誰もいないのに男を家に入れたのか?」  まるで浮気をした奥さんを咎めるような勢いのクロモに、わたしは泣きそうになった。 けど、クロモはすぐにそれに気づいてくれた。 「す、すまない。泣かないでくれ。悪かった」  オロオロしながらクロモは、わたしの隣りに座ってポンと軽く肩を抱いた。  その様子にちょっとホッとしてクロモを見ると、クロモは顔を赤くしながら心配そうに わたしを見ていた。  そうだ。心配かけちゃったんだ。だからクロモはつい怒っちゃったんだ。 「ごめんなさい。わたしも、もうちょっと気をつければ良かったの。お姉さんが来てないん だから、シオハさんを家に入れなきゃ良かったんだよね」  ホント、自分の危機管理能力の低さに今更気がついた。  ここはスマホも家の電話も無いし、ご近所さんがいないからどんなに叫んだって誰も 来やしない。人を疑うのはあんまり気持ちの良いものじゃないけど、例え知ってる人だと しても少しは警戒はしとかなきゃいけなかったんだよね。 「それで、何かあったのか?」  クロモが、ゆっくりと訊いてくれる。わたしの様子から、さすがに変な誤解までは しないでくれている。 「何かって程じゃないの。けど……たぶん、ハッキリとは口にしなかったけど、言い寄られ そうになったっていうか……」  言っててなんだか自分が、自意識過剰な女みたいな気がしてきた。恥ずかしいっ。  恥ずかしさで隣りにいるクロモの顔を見れなかったけど、肩を抱いたクロモの手に ギュッと力が入ったのは分かった。 「あ、無理にどうこうとかいう事はなかったんだよ。直接的な言葉もなかった。だから わたしも今まで、たぶん気のせいだ、やたら褒め称えるのは商売人の社交辞令だ、じっと 見てきたりちょっと距離が近くなるのも商売人としての癖なのかなって思ってた。 ……思い込もうとしてたのかもしれないけど。けどね、今日おまけだって言ってくれた 物がいつもと違って袋に入ってたの。中には、シオハさんと同じカラーのネックレスが 入ってて……」  この国の男の人は、自分と同じ色のアクセサリーを身につけさせてその女の人を自分の ものだって主張するって言ってた。つまりは、そういう事だよね?  クロモを見上げる。クロモは難しい顔をして何か考えている。  沈黙が怖くて何か喋りたかったけど、クロモの考えの邪魔をするのも嫌で、黙った ままでいる。  わたしに対して怒ってるって事はないと思う。だってわたしの肩を抱いたクロモの 手は、優しくて温かい。  だから甘えるようにそのまま、わたしはクロモの腕の中にいた。  しばらくしてクロモが、静かに口を開いた。 「今度から君が一人にならぬよう気をつける。共に行ける時は仕事先に連れて行くし、 どうしても無理な時はあらかじめ姉さんに頼んでおく」 「ありがとう。嬉しい。けどお姉さんにあんまり迷惑かけちゃいけないから、一緒に 行けない時はシオハさんが来ても家に入れないよ? 居留守使ってもいいし、一人の時は 買えないから帰ってって言ってもいいし……。それに今日、そのネックレス 受け取らないで返したから、分かってくれたかもしれない。……ていうか、もしかしたら 気まずくなって、向こうがもうこっちに来なくなるかも?」  わたしはシオハさんから色々な物を買うのに慣れちゃってたから、来なくなると不便に なるかもって不安になるけど、よく考えたら以前はクロモ、ずっと街まで買い出しに 行ってたんだよね。  だから不便とは思わなかったのかもしれない。 「もし彼が来たとしても、もう来ないように言っておこう」  そんな事をクロモが言い出した。来なくなるかもとは思ってても、来させなくするの とは違う。 「それは……。わたしの思い込みかもしれないし、シオハさんに悪いような気が……」 「いや、以前街で会った時に俺も感じていた事だ。それに……」  少し迷ったように間を開けて、クロモは言った。 「もしかしたら彼は、本物のニシナ姫を知っているのかもしれない」

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