6-3

 結局、エンビスがエリティラを追ってくる事はなかった。彼女が逃げ出した事にショックを受け 追いかけなかったのか、それとも別の場所を探しているのか。  どちらにしろエンビスの姿を見ることなく部屋の前までたどり着けた事で彼女はほっと胸を なで下ろした。まさかここまで追いかけて来ることはないだろう。ここにはアルトワースがいるの だから。  エリティラは気配を消すの魔法を解き、ひと呼吸ついてから部屋の扉を開けた。部屋の中には アルトワースがこちらを向いて立っていた。  その姿に安心したのも束の間、冷たい声が彼女に放たれた。 「どこへ行っていた」  明らかに怒っているその声に彼女は身を固くした。 「そ、外の空気を吸いに……」  その事は一言告げていたはずなのに、どうしてアルトワースはこんなに怒っているの?  訳が分からずエリティラは頭を巡らせた。  もしかしたら本を読んでいる最中に声をかけたから、頭の中に入っていなかったのかもしれない。 そして何か用事を頼もうと思った時に私がいなかったから不機嫌になってしまったんだわ、きっと。  けれどアルトワースが口にした言葉は意外なものだった。 「嘘をつくな。男に会いに行っていたんだろう」  突然言われた内容に驚いて、エリティラはとっさに言い返した。 「何を言っているの? 誰に会うっていうのよ」  けれどその後すぐに、もしかしてと思った。  もしかしてエンビスとの事を誤解されたのかもしれない。  先程エンビスと出くわした場所はこの部屋の窓からぎりぎり見える位置にある。けれど大声でない 限り会話を聞き取ることは出来ないだろう。さっきの光景を見て彼が誤解してしまう可能性は充分 考えられた。  誤解を解かなければ、とエリティラは口を開きかけたけれど、アルトワースに強く腕を掴まれ驚いて 言葉を失った。 「確かに意にそまぬ結婚だったかもしれない。だが、夫婦となったからには君は私のものだ」  そう言うと彼は彼女を引き寄せ、怒りにまかせるように口づけをした。  エリティラは息が止まるほど驚いた。今までアルトワースがこんな風に乱暴に彼女を扱うことは なかった。けれど唇や腕、触れ合った部分からやがて怒りだけではない何かを感じて、エリティラは そっと彼の背に手をまわした。  誤解だと分かってほしい。裏切るような事などしていない。その気持ちが伝わるように、と エリティラは口づけを返した。  けれどアルトワースの口から出たのは怒りの言葉だった。 「今まで何人の男にその肌を許した? 城に来てからもその身を許したのか?」  頭を突然殴られたような気がした。 「ひどい、どうしてそんな……」  あまりの衝撃にそれ以上の言葉が出て来ない。エンビスとの事を誤解されているかもしれないとは 思っていた。けれどまさか男なら誰でも良いみたいに思われていただなんて。  確かに魔女の中にはそういう女性もいる。普通の人たちから敬遠されやすい魔女が子供を持とうと 思ったら、選り好みなんてしていられないと言う魔女もいる。そして、その噂を聞きまるで娼館に 通うように若い魔女の元へいく男たちがいるのも事実だった。  エリティラはそういう魔女達を非難するつもりはなかった。子供が欲しいからだろうと、快楽を 求めてだろうと、それはその魔女の自由だ。エリティラがとやかく言う筋合いはない。けれどだからと 言って自分がそんな風になるつもりも見られるつもりもなかった。どうして夫であるアルトワースにも 触れさせていないこの肌を他の男になんて触れさせる事が出来るだろう。 「今もエンビスとかいうあの男と逢い引きしていただろう」  アルトワースの手にますます力が入り、掴まれた腕が悲鳴を上げた。けれど痛みよりも憤りの方が 勝り、エリティラは彼を睨みつけた。 「冗談じゃないわ。なんでエンビスと逢い引きなんかしなくちゃならないのよ」 「事実、たった今、会っていた」  アルトワースは怒りに燃え、我を忘れていた。普段なら決して大声を出すことなどない彼が、今は 他の部屋に聞こえる程に怒鳴りあげていた。 「確かに待ち伏せされていたわ。けどそれはわたしの意志じゃないし、そんな事望んでもいないわよ」  やはり先程の様子を見られていたのだ。そして、誤解した。  そう考えるとエリティラは、急に怒りの中にも悲しみが湧きだした。名ばかりの夫婦なのだから、 信頼関係が薄いのは仕方がない。けれどちょっと男性と一緒にいる所を見ただけで、何人もの男と 浮気をしていると思われる程信用されていなかっただなんて。  彼女の瞳が悲しみにかげった事に気づかぬままアルトワースは怒りをぶつけてくる。 「ならば誰だ? 他の男か」 「そんな人、いるわけないじゃない」  声が震える。涙が出そうになるのをエリティラは必死にこらえた。けれどアルトワースの次の言葉で あふれ出す涙を止めることは出来なくなった。 「いないわけがないだろう。髪を変え服を変え化粧を変えて、香りまでつけて、それをいったい誰に 見せていたんだ」 「貴方以外に誰がいるっていうのよ」  涙で視界が歪む。ボロボロと涙がこぼれ落ちるのが分かる。それでもエリティラはアルトワースから 視線を逸らさなかった。  視線を逸らしたのはアルトワースの方だった。 「そ、そんなはずはない」  泣きながら訴える彼女の姿を見てアルトワースは急に胸が痛んだ。それと共に彼女の言った言葉が 頭の中をぐるぐると回り出す。彼女が着飾っていたのは彼のためだと。  だがそんなはずはないという思いも一緒に回っている。 「どうしてそんなはずがないのよ。なぜそんな風に思うの?」  涙をこぼし、しゃくりあげながらまっすぐに彼を見つめながら問うてくる彼女にアルトワースは 戸惑い、混乱しながら答えた。 「なぜ、それは。……君は私と結婚などしたくなかったのだろう?」  そう、彼女は元々彼との結婚など望んでいなかった、なのに結婚させられたのだ。嫌われていても 当然ではないか。  けれどエリティラは彼の言葉にびっくりしたような顔をして、それから少し表情を緩めた。涙も、 驚いた拍子に引っ込んでしまったらしい。 「そうね、こんな結婚のしかたを望んでいなかったのは確かだわ。だけどもう、してしまったんだもの。 愛があって結婚するのが理想だけれど、現実はそうじゃない。望まない結婚をした女性は私だけでは ないのだし。どうせなら夫婦円満に過ごしたいと思っているわ。……結婚してから愛を育てる ことだって、出来るでしょう?」  自分の気持ちを喋って気持ちが落ち着いたのか、エリティラは彼に微笑んで見せた。しかし アルトワースの方はまだ動揺が治まらないらしく、「しかし……」と言いながら彼女から視線を 反らした。 「結婚式の夜、貴方は「心が通い合うまでは」と言ってくれたわ」  エリティラは静かにそう言うと、そっと彼の腕に手を沿わせた。 「物探しの魔法の依頼を任せてくれた時、とても嬉しかった。貴方がわたしのことを気にかけて くれている事がとても嬉しかったの」  彼女はうっすら頬を染め、本当に嬉しそうに彼の事を見ていた。嘘をついているようには見えなかった。  アルトワースは彼女の手を取った。彼女は驚き、目を丸くする。 「では、本当に他の男の気を引こうとしたわけではないのだな」 「もちろんよ」  彼の真剣な瞳に彼女は目を逸らさず答えた。ここで誤解が解けなければ、きっと何十年も疑われた ままになる。エリティラは自分の気持ちを素直に伝えた。 「わたしは貴方の妻でありたいと思っているもの」  頬が赤くなるのが自分でも分かる。けれど恥ずかしくても伝えなければ。 「では、本当の夫婦になる覚悟が出来たというのだな」  それは質問ではなく、確認だった。アルトワースは彼女の答えを待たず唇を重ねた。エリティラは それを受け止め、キスを返した。やがて彼の腕が彼女を優しく包み込んだ。彼女もまた彼の身体に手を まわし、彼のぬくもりを感じようとした。  きっとこれから何もかもが上手くいく、エリティラはそう信じた。  彼の唇が、彼女の唇から首筋へと降りていく。気がつくと服の上からではあるけれど、彼の手が彼女の 胸に触れていた。  初めて味わうその感覚に彼女はしばらくうっとりとしていた。けれど彼がさらにその先に進もうと していることに気づき、エリティラはほんの少し正気に戻った。 「あの、アルトワース?」  彼女の問いかけに「ん?」と短く答えたが、彼が手を止めることはなかった。すでに服のボタンは 外され、彼女の白い胸は今にもこぼれ落ちそうになっていた。 「ねぇ、待って。今、ここで?」  扉は閉めているけれど、鍵などかけていない。めったに人が来ることはないけれど、いつ来客が あるかは分からない。  それに寝室はすぐそこにある。  彼女の言いたいことが伝わったのか、アルトワースはひと言「ああ」と低くうなると彼女を抱えあげ、 寝室へと向かった。そして彼女を彼の寝台へ寝かせると上着をとり、再び彼女に口づけした。  寝台には彼の香りが染み着いていて、まるで世界中が彼に包まれているような気がして、エリティラは クラクラした。彼の手が再び彼女の服の上を滑り、彼女から引きはがそうとしている。  冷たい風が素肌にあたり、胸が露わになった事に気づいた。きゅっと固くなった胸の先端に彼の 熱い手がかぶせられ、思わず吐息が漏れてしまう。  エリティラは彼の背に手をまわした。するとアルトワースはそれに応えるように彼女の首筋にキスの 雨を降らせた。そしてそのまま鎖骨へ、それから胸へと降りていき、ついには胸のつぼみを口へと含んだ。  胸の先端を唇でころがされ、彼女は身体をくねらせた。彼の髪に指を差し入れ、抱きしめる。  アルトワースが彼女の服をさらにおろそうとした時だった。誰かが扉をノックした。 「失礼いたします」  誰かがガチャリと扉を開け、研究室へと入ってきた。  心臓が飛び跳ね、エリティラは慌てて胸元を隠した。そして起きあがろうとしたけれど、 アルトワースは彼女の上にのしかかったままだった。  のいて、と彼女が言おうとした時、アルトワースが耳元で「静かに」と囁いた。そして小さな声で 何かの呪文をつぶやく。するとフワリ、と彼の影が立ち上がった。実物と寸分違わぬその影は、 そのまま研究室へと歩いて行き訪問者と向き合った。先程の声の若さから、訪問者は召使いの少年と 推測できる。 「何の用だ?」  寝室で発したはずのアルトワースの声は研究室にいる影から聞こえてきた。  目の前で見せられた魔法にエリティラは改めて彼がすごい魔法使いだということを実感した。 こんな風にいとも簡単にこんな高等魔法を操れるだなんて若い魔女達が彼に焦がれるのも当たり前 なんだわ、と思わずにはいられない。  そんな彼が、自分の夫。今までは名ばかりだったけれど、これからは名実共に夫になるのだと思うと 彼女は身体が熱くなった。  アルトワースは不機嫌そうに召使いの少年に対応した。影からでもその不機嫌さが伝わってしまった のか、少年は緊張しながらアルトワースに告げた。 「あの、王様がお呼びでございます。今すぐに来て欲しいと……」  今、ここを離れたくはなかった。だがこれは王命であり、少年を困らせても仕方がない。 「分かった。すぐに参りますと王に伝えておいてくれ」  影の言葉に少年は頭を下げると飛び出すように部屋から出て行った。その姿が見えなくなると アルトワースの影はユラリとかき消えた。 「王の呼び出しを無視するわけにはいかないな」  アルトワースは深く息をつき、身体を起こした。  彼の身体が離れてしまう事が名残惜しいと思いながらも、エリティラは笑顔を作って言った。 「ええ、行ってらっしゃい。続きはまた後で、ね」  しかしアルトワースは彼女が一瞬見せた寂しそうな顔を見逃さなかった。  すかさず彼女を引き寄せ、唇を重ねる。 「すぐに戻る」  寂しがる事はない、と伝えるようにもう一度唇を重ね、アルトワースは彼女を残し、部屋を後にした。

前のページへ 一覧へ 次のページへ


inserted by FC2 system