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      7  部屋には王だけでなく、王妃もいた。 「お呼びでございますか」  アルトワースが部屋に入ると待ちわびたとばかりに王は頷いた。 「急ですまぬが遠見をしてもらいたい。そなたも存じておろうが、妃の弟がこちらに向かっておるのだが、 どうも共の者とはぐれてしまったらしいのだ」  王の言葉に王妃も不安そうな顔で頷きながらアルトワースを見た。  王妃の弟が訪ねて来るという話はアルトワースも聞いていた。そういえばそろそろ到着しても良い頃 だった。 「どの辺りではぐれてしまったのですか?」  遠見の魔法は見たい場所を映す魔法だ。人を捜すにしてもどの場所を探すか決めて術をかけなければ ならない。 「使いの者の話によるとエルスリの街で姿を見失ったとか」 「エルスリですね」  アルトワースは頷き、映像を床に映すために屈むと手をかざし呪文を唱え始めた。ぼんやりと床に 映像が浮かび上がる。その映像が形を取り始めた時、フワリとどこからか甘い香りが風にのって アルトワースの鼻をくすぐった。  王妃か侍女がドレスにつけている香りだろうか。その香りはエリティラのつけているものとよく似て いて、彼女を思い起こさせた。  彼女の指通りの良い髪、柔らかな肌。つい先程まで彼の腕の中にあった、彼女の熱い身体。そんな ものが彼の脳裏にまとわりつき、集中を妨げた。 「どうしたのだ、アルトワース。そなたにしては珍しい。どこか具合でも悪いのか?」  いつもならすぐに焦点を結ぶ映像が、ぼやけたまま乱れたのを見て王は怪訝な顔をした。 「いえ、そんな事は……。申し訳ありません、今一度」  王の声にはっと我に返り、アルトワースは再び呪文を口にした。  こんな事は初めてだった。初めて使う魔法ならともかく、人前でしかも王の前で、幾度も使った ことのある魔法を失敗するなどあるはずがなかった。  焦りから呪文を言い間違えそうになる。が、なんとか呪文を唱え終わり、エルスリの中心部の映像が 床にきれいに映し出された。  安堵し、そこを基点に探そうとした時、ひとりの召使いが王妃の弟の無事を知らせに部屋へと入って きた。  結局何の役にも立つことが出来ないまま退室したアルトワースは、自分に腹を立てながら部屋へと 戻る道をたどった。  こんなことは初めてだった。王に呼ばれ、頼られたのに何の役にも立てなかったなど。しかも魔法の 失敗で。  理由は分かっている。あの時、エリティラの事を思い浮かべてしまったからだ。魔法を使っている時に 他に気を取られるなんて。  ムカムカとした気持ちのままアルトワースは部屋の扉を開けた。するとエリティラの姿が目に 飛び込んできた。衣服を整え、椅子に座っている。けれどまだその頬はほんのりと薄紅色に染まっている。 そして彼を見た途端、更に頬を蒸気させてふわりと笑みを浮かべた。 「お帰りなさい、アルトワース」  その顔を見た途端にアルトワースは怒りがすうっと引いていくのを感じた。完全に怒りが無くなった わけではない。だが、それよりも彼女に触れ口づけをし抱きしめたいという欲望が、心と身体を 支配していく。  その事に気づいたアルトワースはばかな、と思った。 結婚前に何度か女性を抱く機会はあった。だがこんな風に欲望に我を忘れたことなどなかった。 「? どうしたの?」  扉を開けたままそこから動かないアルトワースを見て、エリティラが不思議そうに問いかけてきた。 「いや」  短く答え、頭を振る。欲望に囚われるなど気のせいだ、と思いながら部屋の中に入り扉を閉めた。 だが、机の上の魔法書が目に入りふと気づいた。最近魔法の研究が進んでいない。  なぜ、という思いに対してひらめいた答えにアルトワースは愕然とした。  急に顔色を変えたアルトワースに驚き、エリティラは立ち上がって彼のそばへと行く。 「アルトワース? なにかあったの?」  王のところでなにかがあったのかしら。エリティラは心配し、彼の腕へと手を伸ばし触れようとした。 その瞬間、アルトワースははじかれたようにその手を振り払った。  驚くエリティラに更に追い打ちをかけるように彼はつぶやく。 「私に、魔法をかけたのか?」 「え?」  唐突に言われ、彼女は目をぱちくりとさせた。いったい何の話をしているのか分からない。  しかし彼の頭の中には先程生まれた疑念が渦巻いていた。 「いつのまに私に魔法を……」  何冊かの魔法書の片隅に残されていた彼女の先祖の使った魔法。詳しいことは書かれていなかったが、 人の心を操る類の魔法らしい。彼女はそんな魔法など知らないと言っていたが、嘘だ。私にその魔法を かけたのだ。  だが心の中では彼女はそんな事などしないと叫ぶ彼もいた。彼女はそんな事をする女性ではない。 目の前にいるエリティラを見てそう思う。まっすぐに彼に向けられた瞳の中に何かをたくらんでいる 様子など垣間見えない。  しかしそれさえも魔法にかけられているからそう思ってしまうのでは、という疑念が生まれる。そんな 疑念を持ちながらも彼女を見ていると口づけを交わし、今すぐ寝室へと連れて行きたくなる。 「あの、話の意味がよく分からないんだけど……」  先程やっと少し心が通い合ったと思っていたエリティラは、アルトワースの突然の不機嫌の理由が 分からずにとまどった。 「魔法だ。かけただろう? でなければ私があんな……」  あんな失敗をするなど今までなかった。やはり魔法をかけられたに違いない。  アルトワースは激しく憤り、エリティラを睨みつけた。その様子に彼女は怯えた。アルトワースが 手をあげることはないと分かっていたけれど、まっすぐに怒りを向けられ身体が震える。  わたしがアルトワースに魔法をかけた? なぜ彼はそう思っているの?  その疑問を投げかけようにも、彼の怒りの激しさに声が出てこない。  彼女が黙ったままなのはやはりそれが事実だからなのか?  アルトワースはますます怒り、エリティラの肩を掴もうとした。しかし、ビクリと震え怯えた彼女の 反応を見て、途端に後悔の念が押し寄せてきた。  彼女を怯えさせたいわけではない。断じてない。妻は夫に従順であるべきだが、妻を虐げる夫になる つもりは毛頭なかった。  アルトワースはそっと彼女の頬に手を伸ばした。身を固くした彼女の頬をそっと包み込む。その手に 宿る熱は彼のものなのか彼女のものなのか。分からないままアルトワースは彼女に口づけをしていた。

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