8-2

 アルトワースは慌てた。城を出ていったいどこへ行ったんだ?  もちろん村に帰ったと思うのが普通だろう。だが、見たところ何かを持ち出した様子も見られない。 これでは馬を借りる事も出来ないだろう。  どちらにしろ空間移動の魔法を使えないエリティラが今日中に村に辿り着く事は無理だ。だとしたら 今頃はどこかの村に泊まっているのか?  アルトワースは城から彼女の住んでいた村までの地図を頭に思い描き、女性の足でどこまでなら行ける かを考えてみた。そしてこの辺りだろうとあたりをつけ、遠見の呪文を唱えた。  金品を持ち出した様子がないので、宿屋に泊まっている可能性は低い。たぶんどこかの民家に泊めて もらっているだろう。  アルトワースは床に映る映像の中に彼女を見つけ出そうと目を凝らした。だが、立て続けに様々な 場所を映し続けたせいだろうか、次第に画像が乱れ、ぼやけてきた。 「くそっ」  自身をなじり、魔法を終わらせた。これでは彼女を見つける事など出来ない。  いてもたってもいられない気持ちとは裏腹に、身体はぐったりと疲れていた。魔法を立て続けに 使ったせいなのは分かっていた。  震える手でもう一度水差しを取り、水を飲み干した。  苛立つ気持ちを押さえつけ、自分に言い聞かせる。  これ以上無理をしたところで彼女を見つけることは出来ない。一刻も早く彼女を見つけたければ、 まずは一度体力を回復させる事だ。  その夜エリティラは小さな村の一軒の家に泊まる事になった。そこはシラグのご主人の親戚の家で、 彼女たちは元々そこに泊めてもらう予定だったのだ。  エリティラは予定外の自分の存在を申し訳なく思ったが、その家の主人は快く彼女を受け入れてくれた。  そうしてエリティラはシラグと同じベッドで眠る事になった。  エリティラは少しほっとした。馬車に乗っている間ずいぶん泣いた事でほんの少しすっきりとは していたが、独りで夜を明かせばきっとまた涙があふれだし、そのまま悲しみの海に溺れていただろう。 「それにしても嬉しいわ。使ってくれているのね、髪飾り」  にこにこと笑いながらシラグがエリティラの髪を指さす。 「やっぱり似合ってる。相談してた頃からきっとエリティラは魔女の黒い服よりこういう明るい かわいらしい感じのものの方が似合うと思っていたの。私の目に狂いはなかったわね」  嬉しそうに笑う彼女に、ついエリティラも笑みがこぼれた。 「そうね。私も本当はこういう服やアクセサリーの方が好きだわ。けど、それじゃあ魔女としては 暮らしていけないのよ」  服を脱ぎ、たたんで脇のテーブルの上に置いてベッドの上に腰掛けた。  この服ももうあまり着ることが出来なくなるかもしれない。村に帰ってあの家でまた以前のように 恋占いをして生活するのなら、黒い服を着、髪を染めて少しでも魔女らしくならなければ。 「それじゃ、お城の魔法使いに感謝しなきゃ」  シラグもまた下着姿になり、隣に座るとにっこりとした。驚いた顔のエリティラに説明するように 言葉を続ける。 「だってこっちが本来のエリティラでしょ。そして、そうさせてくれたのがご主人なんでしょ?」  そうたとえば、もしもエリティラが魔女の家に生まれたのでなければきっと、こういう明るい服を 着ておしゃれをしたりシラグのような友達と色々なおしゃべりをした事だろう。けれど現実には エリティラは小さな村の魔女で、魔女らしく暗い色の服を着るしかなかった。  そんな魔女であるエリティラが明るい色の服を着るきっかけをくれたのは確かにアルトワースだった。 髪を染めたり派手な化粧をしなくてもいいと。  そしてエリティラは夫婦になったのだから、少しでもいい関係にいられるよう好かれるように、 素の自分を好きになってもらえるように今の格好を選んだ。  無理矢理結婚させられた相手だったけれど、エリティラはアルトワースの事が嫌いではなかったから。  けれど結局は徒労に終わった。無駄だった。意味がなかった。  彼にとってエリティラは、ありもしない魔法を知っているはずの魔女でしかなかった。彼女がどんな 女性かなんて関係ない。本当の彼女など彼には必要ないのだ。  黙ったまま瞳を曇らせていくエリティラの手の上に、シラグはそっと自分の手を添えた。 「どうして喧嘩したの? 良かったら話して?」  喧嘩をしたなんて一言も言っていないのに、とエリティラは思ったけれど、すぐに見ればある程度の 予想はつくわよね、とも思った。  私も恋愛相談を受けていた時はなんでも話して、と相手に促していた。第三者に話をする事で気持ちの 整理が出来る事もある。  自分が相談する立場になるなんて思ってもみなかったわ、と思いながらエリティラはポツリポツリと 最初から話し始めた。  シラグはエリティラの話を静かに頷きながら聞いてくれた。そしてエリティラが話し終わると にっこりと笑いかけた。 「アルトワースを愛しているのね」 「ええ。けれど彼は私の事なんてどうでもいいのよ」  自分が言った言葉が胸に突き刺さり、エリティラは涙を流した。シラグは彼女の肩を抱き、優しく 語りかける。 「そんなことないわ。どうでもいいならそのエンビスとかいう剣士と話をしただけでヤキモチを妬いたり なんてしないわよ」 「私も最初はそう思ったの。愛されているとまではいかなくても、少しは好意を持ってくれているん だって。今すぐは無理でもその内夫婦として信頼しあえる、愛しあえるって。でも、駄目なの。彼に とって私は魔法の知識を持っている道具なの。だから他人に取られたくないだけなの。しかも本当は 私はその魔法を知らない。アルトワースは私がその魔法を知っていると思いこんでいるけれど、私は 知らないの」  ポロポロと涙がエリティラの頬を流れ落ちた。あんなに泣いたのにまだ涙が涸れていなかったなんて。 「魔法を知らない事が分かって、捨てられるのが怖いのね?」  シラグの言葉がズキリと胸を刺した。最初から何度も知らないと言い続けてきたのにそれを 信じなかったアルトワース。でも本当に知らないと気づいたらきっと、彼は私に見向きもしなく なるだろう。今まで何度も考えてきたけれど、他人の言葉で言われるとやはり胸が痛む。 「ねぇ、でもエリティラ。その前にちゃんと彼に愛してるって伝えた?」  シラグの言葉に息が止まった。  彼に好かれたくて髪を変えた。服を変えた。化粧を変えた。彼の仕事を手伝った。  だけど、ちゃんと気持ちを伝えた事があっただろうか。伝えたとしたらあの時、彼が初めて私を 欲しいと思ってくれたあの時。  エリティラにはほんの半日前の事が随分昔の事のように感じられた。  その時の事を思い出し、頭を巡らす。 「あの時はまだ、自分の本当の気持ちに気がついていなかったわ」  そうよ。これから愛を育てていけばいいとは思っていたけれど、こんなにも彼の事を愛していた なんて気づいていなかったわ。 「だったらちゃんと言わなくちゃ。どんなに愛し合ってる夫婦でもたまには声に出して言わなきゃ 不安になるものよ。ましてやあなた達は愛から始まった結婚じゃないんですもの。ちゃんと 愛してるって言って、そこから始めなくちゃ」  シラグの優しい言葉にエリティラはしがみつきたくなった。それでも頑なな心がそれを拒む。 「無駄よ。彼はわたしの言う事なんて信じないもの」  こわばるエリティラにシラグはそれでも微笑みかけた。 「それでも言わなくちゃ。アルトワースがどう思っているかじゃないの。エリティラの気持ちを正直に 言うの。伝えるの」  そうなのかもしれない。もちろん「愛してる」と伝えたところで信じてもらえないかもしれない。 それでも言わないまま伝えないまま別れてしまえば、きっと長い間後悔する。  もう一度彼と話し合おう。愛してるって伝えてみよう。 「ありがとうシラグ。もう一度彼と話してみる。自分の気持ちを伝えてみるわ」 「じゃあ、明日お城に戻るのね?」 「ええ。……いいえ」  頷きかけたエリティラは突然思い立ったように首を振った。 「いいえ、一度村に戻るわ。お邪魔して悪いけれど、送ってもらっていいかしら?」 「それはもちろんいいけど、旦那様と話し合うんじゃないの?」  不思議そうな顔をするシラグにエリティラはコクリと頷いた。

前のページへ 一覧へ 次のページへ


inserted by FC2 system