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      9  その朝、アルトワースは最悪な気分だった。あの後体力を回復させる為にとベッドに入り横になったが、 一向に眠りは訪れることなく頭の中で悪い考えばかりがぐるぐると渦巻いた。それでも身体は、安静に して横になっていたのだから多少は休まっているはずなのだが、精神の方がぐったりとして少しも 回復したようには感じられなかった。  朝になり、少しも食欲はわかなかったが何か口に入れておかねばと大広間に向かった。そこでは大勢の 者達がわいわいと朝の挨拶を交わし、楽しげに食事を取っている。いつもなら気にもとめないそんな 賑やかさが今日はやけにうるさく感じた。  もともと朝食は少ししか食べないアルトワースだったが、今日は何も口にしたくない気分だった。 だが、体力の回復を望むならば食事をする事も必要だ。アルトワースはいつも食べるパンとお茶に加え、 チーズも皿に乗せると少しずつ無理矢理口へと運んだ。  とにかくこれを全部食べ終えたら、部屋に戻り彼女の捜索を再開しよう。  アルトワースは何の味もしないパンとチーズを噛み砕き、お茶でどうにか喉へと流し込んだ。そうして 皿の中が空になるかならないかの時、王妃が声をかけてきた。 「昨夜からエリティラの姿が見えないようだけど、何かあったの?」  内心ギクリとしたが、アルトワースは顔には出さなかった。  エリティラは王妃に気に入られている。だから王妃が彼女の不在に気づいたとしても無理はない。  アルトワースはひと口お茶を飲み、気持ちを落ち着かせた。 「ご心配にはおよびません」  すぐに見つけ出して連れ戻しますから。  そう言いそうになる言葉を飲み込む。  そのまま口を開こうとしないアルトワースに王妃は小さく息をつき、隣に腰を下ろした。 「アルトワース、貴方がエリティラの事を愛しているのは知っているわ。だけどもう少し彼女にも そのことを伝えてあげてくれない?」  突然の王妃の言葉にアルトワースはたじろいだ。  王妃は誤解している。だが、そう誤解させたのは自分だ。エリティラを連れてきて王に結婚の許可を 取ったのは自分なのだから。  アルトワースは誤解を解くために口を開いた。 「私が彼女と結婚したのは魔法の知識を得る為です。彼女は私の知らない魔法を知っているのです」 「ええ、その話は王様から聞きました」  王妃は驚くことなくそう言った。確かに王には謁見の間で許可をとる事前に話をしていた。だから 王妃がその話を知っていても不思議ではない。  だがそれならばどうして王妃は私が彼女を愛しているなどと思うのだろう。  眉間にしわを寄せるアルトワースを見て、王妃は驚いたようにつぶやいた。 「もしかして、自分で気づいていないの?」  王妃の呆れたような呟きに反論しようと口を開きかけた時、王妃の元へと王がやってきた。 「私の美しい王妃はこんな所で何を話し込んでいるんだ?」  ちゃかすような口振りの王に王妃は口元をゆるめ立ち上がると、その頬にキスをした。 「あなたの大切な魔法使いに説教をしていましたのよ。愛しい妻をもっと大切にするべきだとね」  それを聞き、王は大げさに眉を八の字にする。 「アルトワース、そなたせっかく迎えた妻をないがしろにしておるのか?」 「まさか」  アルトワースは即座に否定した。彼女をないがしろにするなど、とんでもない。  だが、最後に見た彼女の悲しそうな顔が頭の中に甦り、アルトワースは分からなくなった。  少なくとも彼女は幸せではないのだろう。幸せならばあんな顔はしない。あんな顔をさせた自分は 彼女を大切にしていなかったのか? ないがしろにしていたのか? 「ないがしろにしている、とまでは言いませんわ。けれどエリティラはアルトワースに愛されていると いう自信がないようなんですの」  ため息まじりに話す王妃に王は首を傾げた。 「アルトワースの方から望んで出来た縁なのに、どうしてエリティラは愛されていないなどと思うのだ?」 「望む理由が愛とは限らないでしょう。事実アルトワースはあなたに魔法のために彼女と結婚したと 言っているのだし」 「それはアルトワースの照れ隠しだろう?」  アルトワースが魔法の研究に熱心な事は王も充分知っていた。だけどたったひとつの魔法の為だけに 結婚をすると言うなど、そこまで馬鹿ではないだろう。 「私も先程まではそう思っていましたの。けど、アルトワースったら自分がエリティラを愛している 事に気づいていないようなんですもの。……もしかして、エリティラにも魔法を知りたいから 結婚したんだって言ってしまったのではないでしょうね?」  王妃に問われ、アルトワースは静かに答えた。 「それが事実ですから」  王も王妃も完全に誤解している。結婚を決めたのは愛からではない。本当に魔法が知りたかったから 故だ。だが、今は……?  その先に続く言葉が見つからず、アルトワースは眉間に皺を寄せた。  王も王妃も呆れたように息を付いた。その時、聞き慣れない男の声が入ってきた。 「事実、なのですか? 魔法の為に彼女と……。彼女を愛してはいないと……!」  驚いた三人はそちらを見た。エンビスだった。エンビスは怒りをこらえたような顔をして アルトワースを見ていた。 「申し訳ありません、立ち聞きをするつもりはなかったのですが」  エンビスは頭を下げ、王と王妃に非礼を詫びた。しかしアルトワースに対しては隠す事なく怒りを 込めた眼を向けてきた。 「貴様には関係のない話だ。口を挟まないでもらおう」  アルトワースもまた威圧的な眼をエンビスに向けた。  エリティラがエンビスの事をなんとも思っていない事はもう充分分かっていた。だが、エンビスが 彼女に想いを寄せている事はまた別の話だ。 「関係なくはありません。魔法の為だけに彼女と結婚したというなら、その魔法を知りさえすれば あなたは彼女が必要ではなくなるのでしょう。だったら私に彼女をください。私は彼女を愛しているの です」  怒り震えながらも真っ直ぐに思いを伝えてくるエンビスにアルトワースはムカつき腹を立てた。 「エリティラは物じゃない。下さいと言われてどうぞと言うとでも思ったのか」  言いながらアルトワースは苦さを感じていた。一方的に結婚を決めた時にエリティラに言われた言葉が 甦ってくる。だが、だからこそその後は彼女の気持ちを尊重していたつもりだった。 「ですがあなたはエリティラを愛してはいないのでしょう。だったら彼女を自由にするべきだ」  エンビスの言葉に弾かれたようにアルトワースは立ち上がると彼を睨みつけた。 「結婚を決めたのは魔法の知識を得る為だが、今現在彼女を愛していないとは一言も言っていない」  解き放つように出た言葉にアルトワースは自分でも驚いた。二人のやりとりを傍観していた王は ニヤリと笑い、王妃もほっとしたように微笑む。 「つまり、彼女を愛しているのだな?」  背中を押すような王の言葉にアルトワースは素直に答える。 「ええ、彼女を愛しています」  するりと出てきた言葉をアルトワースは受け入れた。  今まで疑心暗鬼になり、何もかもを疑っていたのが嘘のように心が落ち着いた。  と同時に彼女にしてしまったひどい仕打ちに気づき、青ざめる。 「失礼します。大切な用事が出来ましたので」  挨拶もそこそこに広間を飛び出すと、アルトワースは自室へと急いだ。  とにかく彼女を捜し出し、詫びなければ。そして。  アルトワースが姿を消した広間では、エンビスががっくりと肩を落としていた。 「気を落とすな、その内そなたにも似合いの女性が現れよう」 「ええ、きっと現れますとも」  王と王妃に慰められ、エンビスは無理に笑顔を作った。

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