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 村に着き、シラグ達と別れたエリティラは生まれ育った小さな家へと向かった。懐かしい家が見えた時、 日はもう沈みかけていた。  薄暗くなりかけていたが、扉の前に人が立っているのはすぐに気が付いた。 「アルトワース。来ていると思ったわ」  エリティラが城を出れば帰る所はここの他にはない。冷静に考えれば連れ戻すために彼がここに 来ることは分かりきっていた。 「遅かったな」  ポツリと呟くアルトワースの声は不機嫌にも聞こえる。 いったいいつからここで待っていたのかしら。 いいえ、アルトワースの事ですもの、遠見の魔法で私が村に着いたのを確認してからここに来たに 決まっているわ。  エリティラは小さく息を付いてから口を開いた。 「魔法で来たわけではないもの。このくらいはかかるわよ。……立ち話もなんだから、どうぞ お入りになって?」  呪文を唱え、家にかけた封印を解く。封印といっても、たいそうなものではないけれど。  扉を開け中に入るとエリティラはアルトワースを招き入れた。ランプに灯を入れ、それから窓を 開けて閉めきって澱んでいた空気を新鮮なものと入れ替える。そして水を火にかけるとやっと エリティラはアルトワースの方を見た。 「夕食は? と聞きたい所だけど、残念ながら食材が無いの。でも、お茶くらいは出せるわ。 ……貴方が嫌でなければだけど」  ポツリと付け加えられたひと言にアルトワースは胸が痛んだ。お茶に魔法薬を盛るのではないかと 疑っているとエリティラは思っているのだ。実際、魔法をかけられたと思い込んでいた時にそれを 疑っていた。研究室で彼を手伝っていた時に出されたお茶の中に何か入れたのではないかと。それ 以前にも、ここで初めてお茶を出された時にもやはり、なにかおかしな物が入っていないか疑いながら 飲んだではないか。彼女がそう思うのは仕方のない事だ。 「ありがたくいただくよ」  過去の自分を叱りつけたい、そんな苦い思いを抱えながらアルトワースは低く呟いた。  お茶を入れたエリティラはアルトワースの向かいの椅子に座った。何を話すでもなく、二人は ゆっくりとお茶を口に運んだ。  まずは今までの事を詫び、許しを乞わなければ。  アルトワースは何度も口を開こうとしたが、言葉が出てこなかった。  そんな彼をエリティラは見てはいなかった。まだ彼の瞳を見て話をする勇気が出てこなかった。  けれどいつまでもこうしているわけにはいかない。ゆっくりと飲んでいたはずのお茶ももう空に なってしまった。  エリティラは目を閉じ、大きく息を吸った。 「勝手に城を出て、悪かったわ」  話し始めたエリティラにつられるようにアルトワースも口を開く。 「いや、それは……」 「待って、お願い。黙って話を聞いてちょうだい」  アルトワースの言葉を制し、懇願した。一気に喋ってしまわないと決心が鈍ってしまいそうだった。  彼女の願いにアルトワースは頷き、口を閉じた。  エリティラはもう一度深呼吸をしてから、ゆっくりと話し始めた。 「わたしはこの家で生まれ育って、魔女の仕事もここでしてきたわ。母は早くに亡くなってしまったから、 魔法を教わったのは祖母からだった。魔女は、たぶんどこの家でもそうだと思うのだけれど、口伝えで 魔法を教わったわ」  そこまで言うとエリティラはひと呼吸置いた。  魔女が口伝で魔法を教わる事はアルトワースも知っていた。だが、なぜ今その話をするのだろう。 「それでも、教わった事を忘れないようにと書き留めておく事はあるわ。魔法使い達のように丁寧に 他人が読んでも分かるような、本としてまとめるようなものとは程遠いけど」  テーブルの上で組まれたエリティラの手にギュッと力が入った。二度、三度と深く息を吸い、覚悟を 決めたようにひたとアルトワースを見据えた。 「この家を納得いくまで調べてちょうだい。魔法研究に熱心な貴方なら、その残されたメモと道具や 薬草類を見ればわたしがどういった魔法を使えるのか推測出来るでしょう?」  そしてわたしが人の心を操るような魔法など使えないと分かってちょうだい。  エリティラはそう言っているのだ。自身のすべてを見せるから、潔白である事を知って欲しいと。  アルトワースはたまらず立ち上がった。 「そんな必要はない」  彼の低い声に言葉に、エリティラは衝撃を受けた。  どうしてそんな事を言うの? シラグに気持ちを伝える事から始めなくちゃと言われ、そうだと思った。 けれど今のままでは何を言ってもアルトワースの耳には届かないとも思った。だからまず、ありもしない 魔法についての誤解を解こうと思ったのに。そうするにはこの家を見てもらうのが一番だと思ったのに。 「そんなにわたしが信じられない?」  滲む視界でアルトワースを捉えた時、彼の腕が彼女の身体を包み込んだ。 「そうではない。そうではなく、すまない。私が悪かった」  謝罪された事に驚き、エリティラは彼の顔を見ようとした。けれどアルトワースに抱きすくめられ、 身動きがとれない。 「私が愚かだったのだ。自分の気持ちにさえ気づかぬ大バカ者だったのだ。自分の感情に振り回される など初めてで、それをすべて君のせいにしてしまった。……君のせいではないのに」  エリティラは身体の力が抜けるのを感じた。  では、彼はもうわたしが魔法をかけたと疑っていないのね?  どっと押し寄せてきた安心感に安堵の息をもらす。  今なら素直に口に出せそうな気がする。エリティラは息を吸い込み、口を開きかけた。けれどそれに 気づいたアルトワースが言った。 「待ってくれ。色々と言いたい事もあるだろうが、先に言わせてくれ」  アルトワースはそこで言葉を止め、抱き寄せていた身体を離した。深く青い瞳が彼女を見つめている。 エリティラは頬が赤く染まるのを感じた。そしてアルトワースもまた紅潮しているように見える。 「愛してる。エリティラ、君を愛している」  アルトワースはますます赤くなりながら、それでもエリティラを見つめた。 「こんな感情を持ったのは初めてなんだ。だが、私のこの手で君を幸せにしたい」  彼の口から出たとは信じられない言葉に、エリティラは思わず吹き出した。と同時に涙が瞳から あふれ出す。 「それってもしかして、プロポーズ? わたしたち、もう結婚しているのに?」  笑いながらポロポロと涙を流すエリティラにアルトワースは困惑した。 「どうして泣いている? ……嫌、だったか? 泣く程に私を許せないのか」  オロオロと、本気でそう口にしているアルトワースにエリティラはまた笑った。 「ばかね、嫌ならこんな風に笑ったりなんてしないわ。涙は嬉し涙よ。わたしも……同じだわ。 わたしも自分の気持ちに気づいたのはつい最近なの」  エリティラはそう言うとアルトワースの首に腕をまわし口づけた。 「わたしも貴方を愛してる。だから、何度プロポーズされても嬉しいわ」

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