黄昏と暁の公園 その2  彼に出逢ったのは、そんな頃の事だった。  会う以前から他の闇の一族の人達から、彼の話は聞いていた。闇の一族の中でも血が濃いという彼は、 わたしと同じ様に互いに少しでも仲良くなれればと、この公園へと来ているらしい。  だけどなぜかわたし達はすれ違う事が多く、互いに噂は聞いていても顔を合わす事がこれまで 無かった。  だから「今来てるよ」と他の闇の一族の人に教えてもらった時、やっと会えると思った。  彼の方も誰かからわたしが来ていると聞いたのだろう。わたしが会いに行く前に、向こうから会いに 来てくれた。 「はじめまして。君が、光のお姫様」  優しい笑みを浮かべ声をかけてきた彼を見た途端、時間が止まったかと思った。  彼だ。間違いない。夢の中の、愛しいあの人だ。  堰を切ったようにあの人への愛しさが体中からあふれ出す。  会えるとは思っていなかった。だけど必ず会えると信じていた。  夢の中だけの人だと思っていた。だけど必ずどこかにいると知っていた。  矛盾した思いがぐるぐると心の中で渦巻く。  嬉しい。やっと、やっと巡り会えた。  だけどそれを感じていたのは、わたしの方だけだった。 「? どうしたんですか?」  突然涙を流し始めたわたしに驚いた彼は、オロオロとしている。 「ご、ごめんなさい。なんでもないです」  慌てて涙を拭いながらわたしは言ったけれど、なんでもないはずがなかった。  間違いなく、彼だ。だけど彼は何も覚えていない。  別にそれが悲しかったわけではなかった。そうではなく、彼という存在に出逢えた事に感動して涙が あふれ出てしまったのだ。 「えーと、これ……」  彼が差し出すハンカチを笑顔を浮かべ、受け取る。 「ありがとう。ごめんなさい、びっくりしたでしょう?」  びっくりしないわけがない。初対面の挨拶でいきなり泣き出したのだから。 「はじめまして、闇の一族の王子様。わたしは、光香といいます」  改めて、挨拶を述べてお辞儀をする。すると彼もにこりと笑みを浮かべてお辞儀を返した。 「光香……。かわいい名前だね。俺の名前は日狩。これからよろしく」  そのとろける様な優しい笑みに、あっと言う間に恋に落ちた。いや、その前から恋には落ちていた。 出逢う前から。 「こちらこそ、よろしくお願いします」  はにかみながら、彼を見る。彼の方も、わたしの様子に気づいたのだろうか。わたしの送る視線に、 ほんの少し頬を赤らめた気がした。  その日は本当に幸せだった。  彼に出逢えた。彼と話せた。彼と仲良くなれた。その事実が世界を薔薇色に変えたと思っていた。  この先、もっと彼と親密になり恋人同士となる。それを信じて疑わなかった。夢の中の様に、 わたし達は甘い、幸せな恋人になるのだと。  だからすっかり忘れてしまっていた。たとえ親同士の決めた事とはいえ、わたしには許婚が いるのだという事を。  それからというもの、彼とは度々会えるようになった。今まで会えなかったのが不思議なくらい、 約束をしていなくても会う事が出来た。  他愛のない話をしているだけで、幸せだった。  はじめの内はわたしの片思い。だけどわたしの気持ちに気づいてくれた彼も、少しずつわたしに 気持ちを寄せてくれた気がした。 「……あの、かるくんって呼んでもいいかしら」  これまでずっと、日狩さんと呼んできたけれどそれは他の人と同じ呼び方で、自分だけの特別が 欲しくて尋ねてみた。  突然の申し出に彼は少し驚いたようだったけれど、すぐに楽しげに目を細めて笑った。 「じゃあオレは、キミの事をみっかって呼ぼう」  その言葉が、どんなに嬉しかったか。  わたしたちだけの、特別な呼び名。まだ恋人同士ではなかったけれど、それでもとても幸せだった。  それからわたし達が想いを交わしあうのに、そう長い時間はかからなかった。わたしはかるくんを 愛していたし、かるくんもわたしを愛してくれた。  この公園は二種族の交流を深める為のもので、まだ数は少ないけれどわたし達以外にも恋人同士に なった人達が祝福されていたから、当然わたし達も祝福されるものだとばかり思っていた。  だけどこの公園で、光の一族のリーダー格を務めている人が、ある日わたしを呼び出し言った。 「光香さんは光児さんのご婚約者でしょう?」  びっくりした。 「確かにそんな話は出ているらしいけれど……」  親同士の他愛のない口約束。その程度にしかわたしは思っていなかった。まさか他の人達にも 知られていたなんて。 「幼い頃から身近に育っているから、本当のお兄様のようにしか思っていないわ。きっとお兄様の ほうも、そうよ……」  言いながら、それは違うのではと記憶が訴える。  以前わたしはお兄様に、未来の花嫁として見ていると言われやしなかっただろうか……?  だけどわたしはそんな風に思った事なんてなかったし、ちゃんとお兄様にその事は伝えていたはず。  わたしの答えに彼は、慎重に口を開く。 「光香さんの気持ちはそうだとしても、光児さんとの話は光の一族の間では知れ渡っています」  知っている人から見ればわたしは、婚約者がいるのに他の男の人とも交際しているふしだらな 女だといいたいのだろう。 「こちらとしても、こんな事は言いたくない。だけど光の王子の婚約者を闇の王子が寝取ったと なれば、せっかくの友好にヒビが入りかねない」  だから、かるくんと別れろと言うの?  悲しくて涙が出そうになった。そんなわたしを見て、彼は慌てた。 「いや、えーと。だから。光香さんと日狩さんの事に気づいている者はまだわずかです。ですから 広まる前に、光児さんとの件をきっちりとしておいた方が良いと思うんです」  お兄様との婚約が、本当ではないと皆に知らせたならわたしが誰に恋しようと自由なのだからと。  まずは一番にかるくんに事情を話そう。そう、思っていた。もしも誰かの口からわたしがお兄様の 婚約者だと聞かされたら、嫌な気持ちになるだろうから。  だけどその日はかるくんと会う事が出来ないまま、帰らなければならなかった。話をした後送ると 言われ、半分強制のようにそのままその人に家まで送ってもらう事になったから。  それがまた、ひと騒ぎ起こしてしまった。お兄様ではない男の人に送ってもらった事で、ひどく みんなに怒られてしまった。  そしてその日から、わたしは一人で外出する事を禁じられてしまった。  どうにかわたしはかるくんに会いに行こうとした。だけどわたしに付いて来る人達はみんな、 あの公園に行く事を許してくれなかった。  だったらせめて手紙をと思ったけれど、なんて事だろう、わたしは彼の詳しい住所を聞いて いなかった。  どうする事も出来ず数日がたち、わたしはお兄様に泣きついた。  どちらにしろ、お兄様とも話はしなくてはならなかったのだ。だからお兄様に、他の人には内緒で 一緒にあの公園に行って欲しいと頼み込んだ。  だけどお兄様は首を横に振った。 「光香。君は最近日狩とかいう闇の一族の者と親しくしているようだね。その若者に会いに行くつもり なのか?」  そんなの許すはずがないだろうと言わんばかりの目でお兄様はわたしを見ている。口調も表情も 穏やかなのに、その目だけが怖い。 「お兄様。わたしは……」  どう伝えたら分かってもらえるだろう。大好きなお兄様だから、かるくんの事も応援してもらいたい のに。  だけどお兄様は、わたしとは違う気持ちだった。 「光香。君は将来オレと結婚する事が決まっているだろう? いくらなんでも、他の男と親しく し過ぎるのは、賛成出来ない」  お兄様さえわたしの味方ではないと気づいたわたしは、それ以上言葉を紡ぐ事をやめた。

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